WebKitからフォークされたBlink
Googleが、WebKitからフォークしたBlinkをChromeブラウザ向けに開発することを発表した。これは、これまで足並みをそろえてWebKitを共同開発してきたAppleとGoogleが袖を分かつことを意味する。WebKitがモバイルデバイスのデファクトスタンダードになっていること、AppleとGoogleがHTML5の標準化に大きく貢献してきたことを考えれば、今後の標準化に支障が出るのでは、と懸念する声も聞こえてくるのも当然である。
業界全体にこれほど大きな影響力を持つWebKitだが、WebKitの誕生にMicrosoftのインターネット戦略が大きく関わっていたことをご存じだろうか。
Steve Jobsが1996年にAppleに戻って最初にした大きな仕事は、当時のAppleの財政を立て直すための貴重な資金(1億5千万ドル)をMicrosoftから手に入れることだったが、そのときに同時にMicrosoftと結んだ「Microsoftは今後5年間Mac向けのMicrosoft OfficeとInternet Explorer(以降IE)を開発することを約束する。AppleはMac向けには(Netscape Navigatorの代わりに)IEをデフォルトのブラウザとして配布する」という契約も非常に重要であった。
IE3/IE4によりNetscapeとの「第一次ブラウザ戦争」に勝利してWindowsの世界でデファクトスタンダードの地位を勝ち取ったMicrosoftからすれば、Macの世界でもOSにIEをバンドルしてデファクトスタンダードの地位を取ることは非常に重要だったのだ。
Microsoftの内部抗争
しかし、当時Microsoft内部では、Windowsビジネスを守るためにIEを活用しようとする保守勢力と、IEをmsn.comの普及に活用しようとする革新勢力の間での強烈な内部抗争が始まっていた。保守勢力を率いていたのがWindowsチームの担当副社長Jim Allchin、革新勢力を率いていたのがmsn.comチームの担当副社長Brad Silverbergであった。
この内部抗争は1999年まで続き、結局は保守勢力の勝利に終わり、Brad SilverbergはMicrosoftを去ることになったが、ここでぐらつき始めたのはMac向けのIEの開発である。Windowsグループの傘下に入ったIEの開発チームが、Mac向けのIEの開発に力を入れられないのは当然であった。
Mac向けのブラウザとしては、IEだけでなくNetscape Navigatorもあったが、Microsoftとのブラウザ戦争に破れたNetscapeは経営困難に陥り、1999年にはAOLに吸収され、この開発にも赤信号が点滅していた。
AppleがWebKitベースのSafariを発表したのは、ちょうどMicrosoftがMac向けのIEのサポートを終了することを正式に発表した2003年だが、これは偶然ではない。
Safariの自社開発を余儀なくされたアップル
AppleがKHTMLをフォークする形でWebKitプロジェクトをスタートさせたのは2001年だが、Mac向けのブラウザの提供に関しては、MicrosoftにもNetscapeにも期待できないことはその時点ですでに明らかだった。Appleとしては自らブラウザを提供するという選択肢を選ぶしかない、という状況に追い込まれていたのである。
つまり、MicrosoftがAppleとの契約によりせっかく手に入れたMac用のデフォルトブラウザという地位を、90年代の終わりに自らWindowsを守るために捨てたことが、Safariを、そしてWebKitを誕生させることにつながったのである。
2000年代に入ると、MicrosoftはMac版IEだけでなくWindows版IEの開発チームも大幅に縮小してしまう。ある時点ではIEの開発チームが実質的に存在しなかったのだから、2001年にリリースされたIE6と、2006年にリリースされたIE7の間には5年間のギャップができてしまったのは当然である。
これが結果的にはSafariの台頭を許してしまい、(iPhone向けSafariを通じて)WebKitをモバイルデバイスのデファクトスタンダードにし、WebKitを搭載したGoogle Chromeを誕生させ、HTML5を誕生させることになってしまう、という皮肉な結果となってしまったのである。
- 参考資料