なぜ起業は米国ですべきなのか?
先日、私が暮らすシアトルにある日本領事館の人たちと食事をする機会があり、米国で活躍する日本人の目から見た日本の問題点を指摘してほしいと言われたので、「ベンチャー企業が育ちにくい」ことを指摘した。
一番の問題は、政府による大企業の優遇政策である。表向きは資本主義の形を取りながら、実質的には社会主義に近い日本においては、さまざまな法律や規制が既得権を持った大企業を守り、ベンチャー企業による参入を排除する、という方向に社会が作られている。
日本が欧米に追いつけ追い越せと急速に成長していた高度成長期にはこの政策がうまく働き、さまざまな分野で大企業が経済成長と雇用確保の意味で大きな役割を果たしてきたことは事実である。
しかし、中国が「アジアの工場」として日本の製造業ビジネスを根こそぎ奪い、米国がMicrosoft、Google、Apple、Amazon、Facebookなどの「ソフトウェアで勝負して急速に成長するベンチャー企業」を生み出してきた中、日本の製造業は国際競争力を失ってしまい、逆にこの大企業優遇政策が企業の新陳代謝を阻害し、結果として日本の再生を妨げている。
人材の流動性が高く、競争原理の働く米国では、優秀な人材は競争力を失った大企業からはさっさと抜けて、伸び盛りのベンチャー企業に転職したり、自分で起業したりする。新しい雇用を生み出し社会に成長をもたらすのは、野心に溢れた起業家たちが作るベンチャー企業だ、という発想が米国には根強くあるのだ。まさに「アメリカンドリーム」である。ベンチャー企業を資金や経営面で支援するためのベンチャーキャピタル[1]やインキュベーター[2]のしくみも充実しているし、どんなに小さな会社でも、会社と経営者が魅力的であれば優秀な人材を採用することは容易である。
一方、社会主義的な日本にはそんな風潮はない。ベンチャー企業を作り一攫千金(いっかくせんきん)を狙うような連中は「山師(やまし)」(注3)だ、という発想がある。政府による大企業優遇政策や解雇規制の結果、一度大企業に就職してしまえば、たとえその企業が国際競争力を失ったとしても「いつまでも会社にしがみついていたほうが得」という状況ができてしまっているのだ。
起業のプロセス
米国における会社登記の手続きはとても簡単である。法律的には(本社をどこにおくかにかかわらず)登記はどこの州で行ってもよいが、創業者や株主の権利を守るための州法がしっかりしているデラウェア州にしておけば間違いはない。
デラウェア州で登記したあとに、今度は連邦政府のIRS(Internal Revenue Service:アメリカ合衆国内国歳入庁)からEIN(Employer Identification Number:米国法人番号)を取得する。EINはIRSが会社の所得を把握して法人税を徴収するために導入されている番号で、銀行口座を開設する際には必須である[4]。
次にすることは、実際に業務を行う州(場所によっては、さらに郡や市)でのビジネスライセンスの取得である。これは、基本的には州単位での法人税を徴収するためのしくみだが、州ごとに法律・規則が違うので注意が必要である。
起業に際して最も大切なこと
米国で起業する際に最も大切なことは、弁護士料をけちらずに一流の弁護士を雇い、創業メンバー間の契約書や、増資の際の投資家との契約書をきちんと作っておくことである。常識や善意に頼って物事を進める日本社会と違い、米国では、あらゆるケースにおいて最悪の事態を想定して契約書を作っておくことが必須である。その際に重要なことは、問題が起こってから弁護士を雇うのではなく、問題が起こるはるか前から準備して、あらかじめ契約書に記載しておくことである。
数人で会社を始めた場合、最初はどんなに良い関係であったとしても、途中で誰かが抜けたり、誰かをクビにしなければならない状況が生じる可能性はどうしてもある。そんな場合に、創業者として分配しておいた株をどうするのかは、関係の良い創業時にあらかじめ決めておくことが必須である。
辞める(もしくはクビになる)メンバーから株を買い取ると言っても、非公開株の場合はいくらが適切な価格かを決めることは不可能だし、交渉も簡単ではない。そのため、ストックオプションと同じように、「1年以内に辞めた場合、株は全部返却する、1年経ったところで所有する4分の1は返さなくてよくなり、そのあとは1月に48分の1ずつ返さなくてもよくなる」などの期限つきの契約を創業時に交わしておくのが原則である。
投資家からお金を集める場合もそうで、借金であれ増資であれ、投資家は優秀な弁護士を雇って厳しい交渉をしてくるので、こちらも同じように優秀な弁護士を雇って対抗することが必須である。