発明への対価
ノーベル物理学賞を受賞した中村修二博士は、日亜化学工業を相手に彼の「発明への対価」を求めて訴えを起こし、一度は東京地裁が「200億円」を正当な対価として認めたこと(最終的には8億4千万円で示談)で有名だが、あとから対価を認めるのは米国ではあり得ない話だ。
私がアーキテクトとして設計したWindows 95は、PCのOSとしてデファクトスタンダードになり、これによってMicrosoftが稼ぎ出した利益は、少なく見積もっても数兆円になる。日亜化学工業が青色LEDで稼いだ利益[1]の数十倍だ。東京地裁の考え方を適用すれば、私は数千億円をもらってしかるべきだが、話はそんな単純ではない。
まず第一に、Windows 95は私一人が作ったものではない。OSのコア部分を作っているエンジニアだけで40~50人。周辺のソフトウェアを作っているエンジニアやテスタ、デザイナ、プログラム・マネージャ[2]を含めれば300人ぐらいの大所帯だ。
それに加え、Windows 95を世の中で成功させるために、数多くの人たちが世界中のハードウェアメーカーと交渉し、サードパーティの開発者を説得し、各国のPC量販店と共同戦線を張り、WindowsPCの価値をさまざまなチャンネルを通じて啓蒙活動したことも忘れてはならない。
それに加え、これだけの大規模な開発投資に必要な資金を提供してくれた株主たちがいる。株主たちがWindows 95の成功を信じて積極的な開発投資をすることを許してくれたからこそ、この「大ギャンブル」に勝つことができたのだ。
従業員のやる気とボーナス
ある商品の成功に「誰がどのくらい貢献したか」を定量的に導き出すことは不可能である。人によって能力や努力に違いがあるだけでなく、役割も違えば、リスクの取り方も大きく違うからだ。
旧来型の資本主義の考え方で言えば、仕事の対価として給料をもらって働く従業員は一切の資本リスクは負っていないので、ビジネスの成功がもたらす利益は、資本リスクを負う株主だけが配当やキャピタルゲインの形で受け取れば良いはずである。万が一会社が倒産した場合に株主たちは多大な損害を被るが、働いた時間に対する報酬をすでにもらっている従業員たちは一銭の損もしないからだ。
それだけでは従業員のやる気に結びつかないという考えで導入されたのがボーナスだ。横並びが好きな日本では形骸化しているが、ボーナスとは本来、会社全体の業績と従業員一人一人の貢献度の両方を考慮して与えられるものである。
しかし、会社が稼いだ利益をボーナスとして従業員に支払ってしまうと、その分だけ株主に渡す配当や会社内部に留保する資産が減ってしまうので、経営陣としてはそのたびに難しい判断を強いられる。従業員から見ても、自分が一生懸命に働いた結果がボーナスに反映されるかどうかが、そのときの経営者の判断で決まってしまうというのは不安である。
持ち株制度とストックオプション
そこで、従業員にも株を持ってもらって、株主と運命共同体になってもらおう
というアイデアで作られたのが、「社員持ち株制度」だ。日本企業でも幅広く採用されているが、実はいくつか問題がある。
一番大きな問題は、それまではゼロリスクで働いていた従業員に大きなリスクを負わせる点である。資本家は複数の会社の株を持つことによりリスク分散できるが、持ち株制度ではそれができない。結果的に、対総資産比という意味で、従業員のほうが株主よりもはるかに多くのリスクを負うことになってしまうのだ。特に持ち株制度を老後のための貯金代わりに使っていた場合、会社が倒産したときには、仕事と老後資金の両方を同時に失うことになる。
持ち株制度のこの根本的な問題点を解決するのがストックオプションである。ストックオプションは、従業員に資本リスクを負わせずに、株価の上昇分だけをキャピタルゲインとして得てもらおうというしくみである。
私はMicrosoftを2000年に辞めたが、そのとき、私を引き止めるためにMicrosoftが提示したストックオプションは、時価計算をすれば約4億円相当のものであった。ストックオプションなので、株価が上がらなければ一銭にもならないが、たとえ10%上昇しただけでも4千万円の利益が得られるというものであった。
YouTubeがGoogleに買収されたときに、ストックオプションにより受付嬢が1億円以上の利益を得たということが有名になったが、その背景にはこんなしくみがあるのだ。
中村博士も、もし日亜化学工業がストックオプションのしくみを持っていれば、株価の上昇により数億円から数十億円の利益を得ており、会社を訴える必要などなかっただろう。