先を歩むエンジニアへのインタビューを通してエンジニアのキャリアについて考える本連載、今回は、UI(User Interface)に主眼を置いた斬新なWebサービスをFlashで提供し、iPhoneアプリの黎明期からヒットを何作も出してきた、「fladdict」という名前でも有名なTHE GUILDの深津貴之さんにお話を伺いました。
デジタルと物理的なデザインを学んだ大学時代
──いつからテクノロジに興味を持ち始めたのでしょうか?
深津:大学で「都市情報デザイン研究室」に所属し、「テクノロジで生活がどう変わるか」を研究していました。そこでおじいちゃんと孫に遠隔でコミュニケーションが発生するとどう変化が起こるのかなどを研究しました。いろいろとやっているうちにインタラクションやUIに興味を持ち、Flashを始めました。その後、就職に興味が湧かず、学びたいこともあったのでロンドンに留学して、プロダクトデザインを学びました。ロンドンでは、デジタルではない物理的なインタフェースデザインを学び、椅子や照明を作っていました。
──物理的なプロダクトを学んだことは、今に生きていますか?
深津: iPhoneはまさにそうですね。留学先はロジカルなデザイン教育をしていたので、デザイン志向的なことを先取りで勉強できたのはラッキーでした。また、研究室の半分くらいが留学生で、文化が違う人たち全員に良いと思わせるデザインとは何か、コンセプトを伝えるにはどうすればよいかなど、日本の文脈に依存しないプロダクトデザインを学べたことも財産になっています。
──当時2004年ごろ、ブログで積極的にFlashの新しい表現を情報発信なさっていましたね。
深津:そうですね。ロンドンに住んでいて日本との接点がなくなってしまっていたのと、Flashを使った実験をいろいろ行っていたのとで、ブログを書いていました。あのころはFlashをやっている層とブログを書く層はかぶっていなかったので、珍しかったみたいですね。
──そのあと斬新なクリエイティブの仕事をし続けている中村勇吾さんの会社thaに入られましたが、何かきっかけはあったのでしょうか?
深津:ロンドンで2年半ぐらいやり続けていたのですが、生活に困窮していました。というのも物理的なプロダクトデザインはお金がかかって、椅子1脚作るのも高コストなんです。そんなとき、中村勇吾さんにmixiのメッセージで一本釣りされて、そのままとんとん拍子でthaに入社が決まりました。thaではWebデザインを行ったのですが、プロダクトを作るのにお金がかからないデジタルってすばらしい、ということを再認識しました(笑)。
──デジタルなものならPCさえあれば作れますもんね。
深津:いろいろな人に使ってもらうという視点からも、配信コストがほぼないですしね。
Flash制作での学び
──日本に戻られて、thaではどのような仕事をされていましたか?
深津:ぐりぐり動く、フルFlashのサイトを何本も作りました。thaではディレクションを中村勇吾さんたちが行っていたので、僕は実装の部分とインタラクションの部分を主に担当していました。同業の人が見ても「これどうやって実現しているんだろう?」とわからないようなものを作るという意気込みで毎回作っていました。
──今、スマートフォンの世界もそうですけど、インタラクションってすごく重要じゃないですか。そのときにいろいろ学ばれたんでしょうか?
深津:ロンドンからthaにかけてですね。気持ちの良い動きを追求して、とことん3年ぐらいthaでやっていました。発想は、正攻法で論文から得ることもあれば、Webに関係ない文脈の技術から得ることもあります。Webに関係ない技術をWebにアレンジすると、Webではすごく新しいものになったりしますね。
──tha時代につらかったことってありますか?
深津:うーん、どうなんでしょうね。広告業界の案件が多く動かない締め切りがあって、かつthaは基本的に前例がないことをやるので、コードの使い回しはほぼできず毎回ゼロから作りなおしでした。そもそもそれが実現できるかどうかの検証から始まるので、非常につらいと言えばつらいんですけど、楽しいと言えば楽しかったです。
──逆に得られたものはありますか?
深津:いっぱいあります。中村勇吾さんたちと一緒に仕事をして、どこに注目すべきか、どこに注意すべきかといった勘どころ的なことは、「目を見て盗む」じゃないですけど、いろいろ得られました。そのうえで、さまざまなことにチャレンジできたなぁと。
ヒットiPhoneアプリ開発
──iPhoneアプリはいつから始めたのですか?
深津: 2008年にiPhoneのSDKがリリースされて、興味があったので空き時間に勉強し始めたら、おもしろかったんですよね。iPhoneって大学で僕が学んでいたような「テクノロジが生活を変える」という話と、モバイルとタッチUIでのプロダクションデザインの話と、thaでやっていたような気持ち良い動きを実現するインタラクションの話、この3つが交わっているデバイスだったので。
──なるほど、今まで深津さんが大学でも趣味でも仕事でもやってきたことが、マッチしたんですね。
深津:そうですね、それで熱中していって。で、thaにはもともと「3年働いたら辞めろ、会社にぶら下がり続けるな」みたいな文化があって、僕も「そろそろ3年働いたので辞めてよいですか?」みたいな話をしたのが2008年9月でした。そのあと、10月に初めて自分のアプリをリリースしました。
──今でこそiPhoneの開発環境はすごく整っていますが、iPhone開発をほとんど誰もやっていなかった当時は苦労されましたか?
深津:僕はActionScript出身でCをまったく知らない状態でObjective-Cを始めたので、ポインタの概念もわかりませんでした。公開されているObjective-Cのソースコードもほとんどなく、学ぶのが大変でした。
──それでも短期間にアプリを作れたのはなぜでしょうか?
深津:やるかやらないかっていう話じゃないですかね。わからない技術に挑戦して作ることはtha時代に山ほどやったので、別にiPhoneアプリでも変わらなかったですね。仕事柄、飛び込むのは得意でした。
──なるほど。1作目はどんなアプリをリリースされましたか?
深津: ToyCameraというカメラのアプリです。今なら山ほどある写真にフィルタをかけるアプリなんですが、当時はほとんどありませんでした。しかも既存のものは、アプリを起動して、カメラボタンを押さないとカメラが起動しませんでした。ToyCameraが世界で一番始めに起動時からカメラが起動していたアプリだったと思います。
──ToyCameraは、当たりそうとか、そういった直感があって作ったんですか?
深津: iPhoneが日本に上陸するとき、「カメラがしょぼい」ってすごい言われてたんですよね。「日本人はiPhoneを買わねぇよ」みたいな。あまりにカメラがしょぼいしょぼいと言われていたので、「そのしょぼいカメラを価値に変えることができたら勝ちだよな」「そのしょぼいカメラをアドバンテージにするには」と、いろいろリサーチしまして。その結果、レトロカメラのような思うように写真が撮れないカメラの需要あることがわかって、iPhoneをそういうものにしてしまえば「カメラがしょぼい」問題は全部解決するんじゃないかということで作りました。
──ハードウェアのマイナス点をうまく活用してプラスにしてしまったんですね。そのあともカメラシリーズを何作か出されましたよね。
深津:はい、その中でもミニチュア風に撮影できるチルトシフトのカメラがヒットしました。今では普通の一眼レフにもチルトシフトのエフェクトが搭載されるようになったのでこのアプリは売れなくなっちゃったのですが、自分の先見の明に勝った気分を味わえました(笑)。
──実際にどれぐらいアプリが売れたのかを、よかったら教えていただけますか?
深津:有料と無料を合わせてですけど、750万本ぐらいのダウンロード数でしょうか。
──すごいですね! 有料アプリのみの本数は想像することにします(笑)。
アプリ開発者からその先へ
──これまでヒットアプリをたくさん出されていて、普通に考えるとアプリ開発をし続ける道に行きそうなんですが、アプリ開発をしつつも、UX(User Experience)デザイナとしてコンサルしたり、iPhoneアプリのペーパープロトタイプを描けるノートを作ったりと、深津さんはまた別の道を歩んでいるように感じられます。
深津:アプリを作るのは好きなんですが、クラウド上にデータを保存し、プラットフォームをどう活用するかにアプリの本質がシフトしている現在、クライアントサイドアプリを単発で売るのは正直もうビジネスになりません。ToyCameraの時代はあくまでゴールドラッシュだったと判断しています。また、リソースが潤沢にある大企業が、本腰を入れてアプリを作り費用をかけてプロモーションしている今、そことわざわざ戦うことはないと思うんですよね。
──なるほど、そんな中で2013年にエンジニア・デザイナ集団のTHE GUILDを自ら設立されましたが、きっかけみたいなものはあったのでしょうか?
深津: 2012~2013年は、半分は自分のアプリを作り、あとの半分は受託の仕事をしていました。でも1人でやっていると仕事の波が激しくて、忙しい時期に仕事が集中し、請け負えず断ったりしていました。きた仕事を一度断っちゃうと、同じところから仕事がきにくくなっちゃうんですよね。こもって好きなことがやりたくなって半年とか全部仕事を断ると、次の仕事がなかなかこなくなってしまって……。そういうのをリスクヘッジしたいと思っていて、周りのフリーの人に話を聞いてもそんな感じだったので、それなら複数人で仕事を共有すれば、リスクをヘッジしつつ品質も上げられそうだなと思い設立しました。
深津さんの生存戦略
──さて、このインタビューの本題なんですが、エンジニアは何をどう差別化して、キャリアを築いていけばよいと思いますか?
深津:その人が何になりたいかじゃないですかね。単純に9時出社5時退社の生活をしたければ、無難な働き方ができるところに就職すべきです。先端を突き進みたいなら、学び続ける必要があると思います。先端を突き進まないのに、新しい、楽しいプロジェクトをやりたいというのは、単にわがままですし、それはどうしようもないんじゃないでしょうか。
──僕が思う深津さんのほかの人と違う強みの1つ目は、先端を突き進み続けるための、新しいものへの好奇心が持続しているところだと思っています。そういった突き動かす力って、どこから湧き続けているのでしょうか?
深津:エンジニアって2種類いて、いわゆる正統派のエンジニアは車輪の再発明はせず、きっちりとありものを使ったり、それを良くしていったりします。僕はもう一つのだめなタイプのエンジニアで、喜んで車輪を再発明してしまう。それが趣味なんですよね。なのでWebのテクノロジといった、流行り廃りが激しく、プラットフォームがくるくる変わる環境のほうが有利なんです。変化し続ける環境のほうが、新しい考え方で飛びつけますし、そこで優位性が発揮できると思っています。
──なるほど。深津さんの2つ目の強みなんですが、新しいものに対するセンスが優れていると思っています。FlashやiPhoneなど、新しい技術のうち、来るものを早いうちから見極めて、ちゃんと手を付けていますよね。
深津:僕の中の流行るテクノロジの基準があって、それは「普及したときに人間が怠け者になるテクノロジほど普及する」というものです。たとえば入力インタフェースだと、指でのストロークか音声だったら、音声入力のほうが怠け者に優しいから、覚えることが必要なストローク入力より勝つでしょう。この基準にのっとって、新技術が登場したとき、人が怠け者になる技術はキャッチアップしますが、技術的な習得がおもしろいだけのものはエンジニアが楽しいだけであって流行らないので投資しません。
──今までずっと先端を走り続けてきたと思うのですが、これからも走り続けるのですか?
深津:別に先端じゃなくても、自分がやったことのない分野ならどこでもやります。僕は言われているほど、先端を走っていないんですよね。そうじゃないこともやっているけれど、そっちは話題にならないので、先端の取り組みだけしているように見えるんじゃないでしょうか。
──そうじゃないこともプラスになっていますか?
深津:バックグラウンドは広ければ広いほど良いと思います。なんにしろ、人が1やっているときに300くらいやっとけば何やっても勝つ、みたいなのはあるんじゃないでしょうか。
──ある意味、量で勝負しているわけですね。今は量をこなせていますが、将来体力的な不安はないのでしょうか?
深津:必ずしも自分で300すべてを手で動かす必要はなく、自動化したりアウトソースしたり、いろいろな方法があると思っています。
キャリアに悩んでいる人へ
──最後に、深津さんのようになるには、どうしたらよいでしょうか?
深津:身もふたもなさ過ぎる話なんですが、コードを書いたらよいんじゃないでしょうか。たぶんキャリアに悩んでいる人は、悩んでいる時間がもったいないと思います。たとえばコードを書き続けていて、GitHub上のOSS(Open Source Software)に数千回コミットしている人で、「仕事がなくてキャリアが心配です」って人は聞いたことがないじゃないですか。
──ないですね。できる人はプライベートでも開発やもの作りをやっている人が多いと思います。
深津:はてなブックマークに投稿したり、Twitterでリツイートしたり、それだけで何かした気になって満足してしまうんですよね。僕も油断すると、やった気になってしまう。なんとなくキャッチアップした気になって、本質的な知識が得られなかったりします。きちんと手を動かして挑戦していくことが重要だと思います。
──本日は貴重なお話、ありがとうございました。