私が大学を出て就職したのは1995年の4月のこと。横浜の小さなソフト開発会社でした。その会社が新卒採用をはじめた第一期、1番目に内定をもらったのが自分でして、そのせいもあってか、当時の社長にはなんだかんだとかわいがってもらってた記憶があります(おもしろがっておもちゃにされてただけという説もある)。
この時期の話は、拙著『新卒はツラいよ!』という漫画エッセイに過去書いたことがあるので、そちらを読んだ人ならご存じなのですが、3年半ほど勤めた最後、私はその会社をクビになります。社長直々の鶴の一声でクビ。
その後、いろいろと紆余曲折あって私は今に至るわけですけども、社長は社長で紆余曲折あったようで、「どうもハワイでホームレスをやってるらしい」と知ったのは、Facebookでたまたま見かけた1~2年ほど前の話。
そのFacebookを通じてメッセージを飛ばし、会うと決まったのが今回の旅行直前のことでした。Facebookのメッセージ機能って、122円払えばつながりのない相手でも、「その他」の方に行かず「受信箱」に入れてもらえることができるのね。知らなかった。
今回のハワイ行きで、ひそかに自分の中で大きめのイベントと捉えていたのが、この「昔の社長に会う」ことでした。
現在社長が住むカポレイの街は、ワイキキから30分ほどフリーウェイをひた走った先にあります。午前中の用事を済ませ、家族と別れてフリーウェイに乗ると、見慣れてきたワイキキの街並みが、徐々にアメリカらしい田舎道へと変わっていって、フリーウェイを下りれば、だだっ広い、渋滞とは無縁そうな道が広がってる。その一角にあるスーパーマーケットが、今回の待ち合わせ場所でした。その中のスタバで待ってるって話になってた。
中を覗いてみると…いた!ちょうど注文をする列に並び始めたところのようでした。
「社長、おひさしぶりです」と声をかけると
「あ、ひさしぶりだね~、20年ぶりくらい?」とはにかむ社長。
そう、もうそれぐらいになるんですよね。気がつけば今の自分が、当時の社長と確か同い年くらいのはず。人が一人成人するぐらいの年月が過ぎたと思うと、不思議な気分になります。
社長は、自分の記憶にある当時よりも、むしろ元気そうでした。元気というか、健康そうだった。毎日、仕事が入ってない日はサーフィンをするしかないので、早寝早起きサーフィンが日課。もちろん肌は真っ黒。そりゃ健康にもなるわなあ…と。「若く見られるでしょ?」と聞いたら「見られるねー」ってことだったし、やっぱり運動と早寝早起きは若々しさを保つ秘訣なんだなあ。
そういったたわいもない話や、昔の話、今の話をとりとめもなく。
当時一番調子のいい時で、複数経営してた会社からの収入を合計すると、月に1億円稼いでたらしいというのは、ちょっと想像を超えてました。後に続く「あのお金どこ行っちゃったのかなあ」には苦笑い。
会社を失ったあたりの話は、よくよく聞くとなかなかに「ぞーっ」とするものでした。会社には数億のお金がプールされていて、それに加えて新事業を興そうとアメリカで準備をしていたと。複数の融資を受けて、いざ!という段に起きたのが9.11のテロ事件。これで状況が一変して、後始末に追われてアメリカへの長期滞在を余儀なくされて。そうするうちに、日本で社長印等を預けていた人物によって、口座のお金も会社もそっくり抜いて行かれて、後には社長名義の借金だけが残ったと…。
怖ええ。
ほんと人生いろいろだ。
しかし、「海外に移住して、毎日早寝早起きサーフィンで日がな一日のんびりしてて、たまに仕事」って、普通に考えたら成功者のリタイヤ組とやってること変わんないような…。
「これでお金があればね(笑)」と社長。
思わず、「コンサルさんが南の島で漁師に経営改善勧めてシエスタでうんたら」な話を頭に浮かべちゃったりも。
今はこのハワイで、自前のミニバンを使った貸切チャーターを生業としている社長。なのでホームレスといっても、「段ボールと夜空が僕のお友達-」ではなくて、ひと頃取りざたされたネット難民が近いみたい。クレジットヒストリが悪くて家が借りられないとか、そういうの。これで日々のスタバ代とかガソリン代をまかないながら、また金持ちになってみせるよーと機会を伺っている様子でした。
「そしたら本書いてよ(笑)」
「そりゃもちろんです(笑)」
本当にそうなればいいなあと、暗くなったフリーウェイをワイキキ方面に走りながら、晴れ晴れとした気持ちで思うハワイでの一日でした。