我々が生きているのは「過去」でもなく「未来」でもなく「今」です。
人間の「ハードウェアクロック」は約25時間で、外界の24時間とはズレがあるらしいのですが、とはいえ。それ以外の要因も含め、自らのうちにある「システムクロック」が結構大幅にずれていることはないでしょうか?
或いは変更の利かない「過去」に思いを馳せ。或いはまた見ぬ「未来」に思いを寄せ。
一番大切であるべき「今」を軽視してはいないでしょうか?
今回は、そんな「大切で、軽視されやすい“今”」に注目する禅語をチョイスしてみました。
禅語「前後際断」
ランク:新人 カテゴリ:現場スキル
「ぜんごさいだん」と読みます。前後裁断と書いてあるところもあるようですが、前後際断というほうが正しいようです。
前と後の際(あいだ)を断つ、というのがこの言葉の意味合いになります。
この言葉の裏側にある「この禅語が伝えたい言葉」を紐解いてみましょう。
世の中には「因果」というものがあります。
あらゆるものの現れ(果)には必ず原因(因)があるものなので、過去に起きたさまざまを考察せずに知ろうとせずに今を理解しようとするのは、大変に愚かな行為であります。
しかし一方で、過去や未来にとらわれてしまうのは、それはそれで愚かなことではあります。
莫妄想、という禅語は第6回で書きましたが。
過去に捕らわれ未来を妄想するだけでは、今を大切に生きるのは。それはそれは難しいものがあると思うのですが如何でしょうか?
過去にとらわれることの問題は、おそらく割合に多くの人がある程度イメージできるのではないかと思いますので、ここでは「未来を妄想する」ことを取り上げてみたいと思います。
関数を例題にとってみましょう。関数がメソッドでもクラスでもファンクションでも機能でも、どのレイヤーのお話でも通用する話ですので、そのあたりは適宜、皆さんの理解のしやすい内容に変換しながらご覧いただければと思います。
関数化は「共通の処理を抜き出す」ことです(少々語弊がある言い方ではありますが)。
はじめの頃はうまく抜き出すことができず、先輩たちに突っ込まれて「なるほど~」と思うことも多々あるかと思うのですが。
ある程度経験を積み重ねますと何となく「あぁ多分これは共通になるんだろうなぁ」となんとなくあたりがつくようになってきます。
或いは。
はじめの頃は、お客様の要望を聞いて「その通りに」設計をして機能が足りなくなる、なんてことも多々繰り返していくうちに。
何となく「あぁ多分今はなにも言われていないけれどもそのうち言い出すんだろうなぁ」と、後で出てくる機能に気付くようになってくると思います。
そうやって人は成長していく……と思っていると、そこに大きな落とし穴が待ち受けています。
その落とし穴を、今回はまずXP(エクストリーム・プログラミング)のプラクティスから取り上げてみましょう。
YAGNI。You Aren't Going to Need It の略で、直訳すると「あなたはそれを必要としないでしょう」、となります。
おそらく使う多分共通化されるだろうきっと必要なはず絶対に後で言い出す。
いずれもそれらは予想でしかありませんし。苦労して時間をたっぷりと費やして作った「きっと後で必要だと言われるであろう機能」に限って、それが必要とされることは滅多にないのです。
前後際断。
因果は大切な考え方です。相手を知識を理解しようとするのなら、因を考えずに考察を検討を学習を理解をするなどあり得ません。
しかし。
自らの行いまで因果に縛られている必要は、まったくないのです。
自らの前と後を断ちきって。
「今」この瞬間を大切に生きてみませんか?
禅語「遊戯三昧」
ランク:中級 カテゴリ:現場スキル
「ゆげざんまい」と読みます。三昧、という言葉は、寿司三昧 競馬三昧 料理三昧 読書三昧などなど、という言葉に出てくるあの三昧です……が、意味は大きく異なっています。
禅で「三昧」というのは、全身全霊で取り組みつつなお自らを失わない、絶妙なバランス感覚の極致のような境地を指し示しています。
が。
遊戯(ゆげ)とは遊戯(ゆうぎ)です。
……なんでしょうか遊戯三昧という禅語は「遊び倒せ」という禅語なのでしょうか?
それとも「遊び人だけがなんのアイテムも所持せずに賢者になれる」という、某国産RPGの妙な奥深さを指し示している禅語なのでしょうか?
いえいえけっしてそうではありません。では、遊戯三昧とはどんな境地なのでしょうか?
適職なんて言葉があります。
やはり職業には向き不向きがありまして。あなたにぴったりな適職を、例えば占いや診断などで見つけ出していくことで、より適性の高い職業が見つかるものです。
……なんて考えているうちは、「向いている職業」なんてものを探している間は、絶対に見つからないものです。
或いは。
労働は常に「重く苦しく厳しいものである」として、常に苦しみに耐えながらお仕事をされている、なんて方もいらっしゃいます。
確かに労働は「やらなければならないもの」です。しかし、その「やらなければならないもの」というのは、それほどまでに苦痛にまみれたものにならなければいけないのでしょうか?
そうして、この禅語は教えてくれます。
遊戯三昧。
この言葉の本当の意味は「することを、し続けることを楽しむ」という意味なのです。
やりましょう、続けましょう。
「向いていない」といってすぐに投げ出すのではなく。
せっかくのご縁なのですから、まずは真剣に取り組んでみましょう。「石の上にも三年」なんて言葉もありますし「向き不向きよりも 前向きに」なんて言葉もございます。
楽しみましょう。
しかめっ面で苦い顔でやったって、何も楽しいことはありません。
同じ仕事でも。表情一つで楽しくもつまらなくもなる、なんて実験結果も、実際に出ているのが面白いところです。
やらなければならないことは、どうせやらなければならないのです。
だとしたら。
「向いているもの」が見つかるまでつまみ食いを続けるのではなくて。
苦渋に満ちた顔で心でやるのではなくて。
今を、続けることを、楽しんでみませんか?
禅語「常行一直心」
ランク:上級 カテゴリ:職場にて
「常に一直心を行ず(つねにいちじきしんをぎょうず)」と読みます。どんなときでも真っ直ぐな心で励む、という意味合いになります。
至極尤もあたりまえな話ではあるのですが。
あえてなお、この禅語を選択してみました。しばしの間おつきあいいただければと思います。
以前にも書いたことがありますが。私は、プロのエンジニアと同じくらいにプロの占い師をやっております。
一時期は占い師をメインの職業にしていた時期もあり、そういう時には当然ながら、1日に何人ものお客様を拝見します(maxで1日に42人を拝見しましたが……色々と限界を突破しました)。
毎日毎日、1日に何人ものお客様を見ますと。やはり一瞬の気のゆるみというものは出てくるものです。人間ですから、調子の高低なんてものもございます。
しかし。
私達の「毎日毎日繰り返す1日に何度もある」占いは、占いに来られているお客様にとっては「己の人生すらも左右しかねない」ほどの重みを持っていることが少なからずあるのです(とはいえ。占い師に人生のレールを引いてもらうのもどうかと思いますので、そのあたりは常にはっきりと申し上げておりますが)。
同様な話として。
ごく一部の方を除いて、不動産の購入というのはおそらく「一生に一度だけの、人生最大の買い物」であることが多いのです。
不動産屋さんにとっては「日常業務」だと思うのですが。
お医者さんのお話を出してもよいのですが……少々ブラックになりますので止めておきましょう。
というか「調子が悪いから適当に診断した」とかいう話は、間違ってもあってはならないと思いますし(ないと信じてはおりますが)。
そうして。
我々の携わるITもまた会社の基盤付近に抵触することが多い昨今、やはり同じくらいに重みのあるものだと思いますが、如何でしょうか?
ぼちぼちやる適当に手を抜いてほどほどに。
それはお客様に申し上げられる言葉でしょうか?
いつかそのうち今度頑張る。
その「今度」って、いつですか?
その「今度」が来たときに、本当に全力でできるのですか?
常行一直心。
「どんなことでもどんな時でも直向な心で行う」。
至極あたりまえなはずのこの禅語ですが、それは「童子でも容易に理解しうるが、80の翁でも行い難い」境地、なのではないでしょうか?
上に立つ身であればこそ、折々に自問自答するべき禅語であるように思うのですが、如何でしょうか?