パソナテック第1回シリコンバレーツアーPhotoレポート

第4回シリコンバレーで働く人たち―Google、Adobe、フリーランス(前編)

イベント最終日、現地時間の7月4日は、一行が滞在したPark55 Hotelにて、Blueshift Global Partners社長 渡辺千賀氏をモデレータに、シリコンバレーで働くエンジニア3名によるパネルディスカッションが行われました。

パネリストの自己紹介―Google、Adobe、フリーコンサルタント

参加したのは、Google Software Engineer廣島直己氏、Adobe Systems Computer Scientist松原晶子氏、First Compass Group佐藤真治氏の3名です。まずはじめに、今回のパネリストの自己紹介が行われました。

写真1:左から、パネリストの廣島氏、松原氏、佐藤氏、右はモデレータを務めた渡辺氏
写真1:左から、パネリストの廣島氏、松原氏、佐藤氏、右はモデレータを務めた渡辺氏
廣島氏:

私は、1997年にアメリカに来てWeb関連の会社を立ち上げました。その後.comバブルなどを経て、2001年からシリコンバレーに来て、いったんWebから離れてデジタルTVのファームウェアなど組込み開発を行っていました。2008年3月にグリーンカードを取得し、1ヵ月前からGoogleに在籍しています。

松原氏:

私は現在、Adobeでソフトウェアエンジニアをしています。コアテクノロジーズチームでUIフレームワーク、具体的には、Adobe CS3 Photoshopのアイコン化できるパレットなどのUIテクノロジーの開発を担当しています。

佐藤氏:

最初、日本の大学を出てから日本の企業に就職したのですが、そこを辞めてスタンフォード大学計算機工学科に入学しました。卒業後にアップルコンピュータでソフトウェアエンジニアを3~4年ほど、また、スタートアップ企業でヒトゲノムの分析をするためのソフトウェアを開発するソフトウェアエンジニアを3年ほど勤めました。

それから、友達と会社を立ち上げたのですが、.comバブルがはじけその影響から会社は一度クローズしています。それから、とくに特定の企業には勤めていないのですが、知らないうちにいわゆるコンサルタントをやることが多くなって、今に至ります。最近はエンジニアリングよりも企画が仕事になっていますね。

シリコンバレーでのコンサルタントとは?

三者三様、さまざまな経歴を持っていました。共通しているのが、皆、シリコンバレーで定職を得て働いていることです。その中で、最後の佐藤氏のコンサルタントについて、モデレータの渡辺氏から次のような補足が入りました。

渡辺氏:

こちらで言うコンサルタントというのは、景気の善し悪しと関係していて、状況によって意味合いが変わります。

まず、景気が悪いときのコンサルタントというのは、言い換えれば無職で、クライアントがいてもいなくてもコンサルタントと名乗れるからです。

逆に、景気が良いときのコンサルタントは、正社員にならずとも好きに仕事ができる職種になり、複数のクライアントと契約することで収入もかなり高くなります。

最近のアメリカは景気が悪いと言われていますが、ここシリコンバレーを見る限り、物価が高騰するなど、景気の悪さは影響が少ないと思います。

廣島氏:

ちなみに、私もコンサルティングはやっていますね。

なぜやるかというと、頼まれるからです。ただし、誰のオファーでも受けるというわけではなく自分が納得したもののみ受けるようにしています。当然、それはお互いが納得して実現しているので、きちんとした対価が発生することにもなります。

元々のバックグラウンドと今の仕事の関係

皆、シリコンバレーで働くことを実現しています。しかし、元々シリコンバレーで働くことが目的ではなかったとのことでした。そのあたりについて、渡辺氏からシリコンバレーに来るまでの経緯について質問が上がりました。

廣島氏:

私は、1989年ごろ、キャプテンシステムという通信サービスを売っていました。ちなみに全国で5位の販売実績なども上げましたね。なので、はじめからプログラマーで稼いでいたのではなく、元々はセールスエンジニアに近い職種でした。

一方、ソフトウェアの開発は、個人的にゲームをするためにプログラミングしていたのですが、そのときはそれ(プログラミング)が仕事になるとは考えていませんでした。

それから、知り合いがラップトップPCを購入したことを自慢し、それに触発されてプログラミングの仕事を始めましたね。ただ、当時はあまりおもしろい仕事が増えなくて、結局会社を辞めて自分で仕事を始めることになりました。

ちょうどそのときインターネット黎明の時代でもありました。1994~95年ぐらいでしょうか。豊田市に最初のプロバイダを作って、1人で使用するにはコスト的に高くなってしまうので、他のユーザにも解放してビジネスにしていました。このとき、インターネットが凄いことになりそうと感じましたね。

ただ、日本ではパソコン通信からインターネットに変わるぐらいの雰囲気しかなかったので、じゃ、アメリカでやろう、ということになってアメリカに来ました。プログラマーになったのは、ある意味なりゆきです。

松原氏:

私は、元々文系の学生で、大学院に入ってから初めて工学系の授業を受たのです。そのとき、データベースリサーチャーとして有名なDavid Dewittのクラスを取っていたこともあり、就職の際、彼に推薦状をもらえたり、また、コンピュータサイエンスの授業のTA(ティーチングアシスタント)をしていたことなどから、IT系企業への就職がしやすかったんです。

それから1997年の夏にシリコンバレーに来たのは.comバブルが湧き始めたころで、当時は人材不足エンジニアの働き口はたくさんあってすぐに働くことができました。それからソフトウェアエンジニアとして、今に至ります。

佐藤氏:

私は、大学時代日本で機械工学を専攻していました。名古屋出身で東京で働くのは嫌で、また、地元の名古屋でトヨタに勤めて会社の歯車になるのも嫌だったんです。そこで、電力会社に入社し、原子力発電所にアサインされましたが、結局あまりおもしろくありませんでした。

また、私自身小学生6年生のときに読んだZiLOG(ザイログ)8ビットのマイクロプロセッサに関する本が大変おもしろくて、そのころからコンピュータに興味を持っていて、そこからコンピュータプログラミングにはまり始めました。自分でゲームのバイナリを打ち込むなどしていたのが元々のきっかけだったと言えます。それで、会社を辞めて、アメリカの大学に入学したんです。

アメリカと日本、エンジニアの地位の違い

渡辺氏:

そう考えると、松原さん以外は皆オタクだったんですよね。偏見を持たれやすかったりしませんでしたか。

廣島氏:

日本の場合、とくに日本のエンジニアの地位が低いです。言い換えれば肯定されにくい。

でも仕事をするのであれば自分を肯定してもらえるところでやらなければおもしろくない。そうすると必然的に人が(肯定してもらえる場所に)流れていきますよね。

変化を待たず、自分から変化を生む

松原氏:

それと、たとえば、社会が変わることを待つことも考えらますが、ただ待っているだけでは時間が過ぎてしまって、自分も年を取ってしまいます。私の場合は、仕事を始めたころは日本における職場でのまだ女性の地位が低い現実がありました。

だから、社会が変わるのを待ても仕方がなく、自分をアクセプトしてくれるところに動いたほうが賢明だと考えて自分から動くことにしました。

佐藤氏:

もちろん、受け入れてもらえなかったり、肯定してもらえなかったりすることに対して、自分に理由があることもあります。そうだったとして、その状況を変えるには2つの方法が考えられます。1つは、もっとがんばって受け入れてもらえる状況を目指すこと、もう1つが自分が動いて環境を変えてみることです。

前者のようにがんばってみることも大事ですが、ロジカルに考えてそれが難しいと判断したのならば、自分から動くべき。

松原氏:

そうですね。社会を良い方向に変えようというのは立派だと思いますが、人間には年齢という問題もあるから、動ける間に動いたほうが良いと思います。

写真2:パネルディスカッション風景
写真2:パネルディスカッション風景

シリコンバレーではエンジニアが格好良い

このように、日本の場合、オタクのような雰囲気が偏見を持たれやすいなど、エンジニアの見方がアメリカと異なるという意見が上がりました。また、だからこそアメリカへ人が流動するという意見で、皆一致しています。では、実際シリコンバレーでのエンジニアの評価や待遇はどのようになっているのでしょうか。

渡辺氏:

シリコンバレーでは、エンジニアが格好良いと言われています。そう感じることはありますか?

廣島氏:

ええ、まず給料が高いですね。

松原氏:

たしかに、日本では、エンジニアの給与体系は良くないと聞いています。

渡辺氏:

これはシリコンバレーでというよりも、1つの会社で見た場合、全部署の中でエンジニアの給与体系が一番良いということですよね。ついでサポート業務の人でしょうか。

逆に、経理や人事と言った部署は低いですね。

営業に関して言えば、プロダクトマーケティングはエンジニア系給与体系、広告宣伝は文系給与体系と言えます。

廣島氏:

給与以外に、今の世の中の動きでは、ソフトウェアエンジニアの仕事そのものがなくなることがないと思っていますし、だからこそソフトウェアエンジニアは格好良くてもてると思っています。

自分から動くことを考える

松原氏:

逆に、日本のエンジニアの地位が低いのはわからないです。

佐藤氏:

そうですね。日本はなんでエンジニアの評価やイメージが悪いのでしょうか?

松原氏:

たとえば、ヒーローとなるような人がもっと出てくればいいと思いますし、メディアが取り上げていくべきだと思います。

廣島氏:

いや、周辺だけではそこまで変わることはないと思います。自分自身が、そんな給料で働いていたらダメ、という気持ちでいる必要があるのではないでしょうか。

佐藤氏:

ちなみに、私の場合少し世代が違っていて、プログラマーをやっていたころは、まだパソコンがないころで学生でも時給5,000円ぐらいすぐに稼げた時代。メインフレーム主流の時代で、汎用コンピュータのエンジニアが少ない時代でした。だから、人材そのものが少なくて、ニーズが高かったということもありますね。

ちなみに、皆さん、自分からエンジニアになるぞって思っていました?

廣島氏:

いや、やりたいことをやっていたら結果的に、というほうが近いですね。

アメリカは不適合者たちの集まり?

渡辺氏:

では、実際にアメリカに働くことになったとしてどう残っていけるのか、そのあたりに伺ってみたいと思います。

1つ『Survival of sickest』というおもしろい書籍を紹介させてください。これは、人間の身体はいろいろと耐性を持っているが、特異的に強いものがあるとその反動があり、結果として他の病気にもなりやすいということを紹介しています。つまり、進化というのはさまざまな要因があって、問題に対して一番のものが残るのではなく、他のものが残ることもあります、という内容のものです。

この考え方は、シリコンバレーに来ている日本人にも当てはまるような気がしています。つまり、日本に合わず結果としてはじかれた人がこちらで活躍している、ということです。

廣島氏:

たしかに、日本に適合できなかったとは言えますね。

佐藤氏:

これは、日本人、シリコンバレーといったセグメントに限らず、アメリカ全体がそうではないでしょうか。伝統的にそういう人が集まっている国だと思います。

Googleの採用プロセス、シリコンバレーの雇用状況

ここまで、シリコンバレーで働くエンジニアとそれを受け入れるアメリカの風土といったものについてお話しいただきました。続いて、具体的な採用プロセス、とくにGoogleの採用プロセスについて廣島氏にお話しいただきました。

渡辺氏:

次は、実際にシリコンバレーで働く場合、たとえばGoogleの採用プロセスがどうなっているか、お話しいただけますか。

廣島氏:

最初、去年の夏ぐらいにGoogleのリクルーターから、一度会ってお話ししませんか、と声をかけてもらったのがきっかけです。ただ、そのときはGoogleに入る気はまったくなく、とりあえず会うだけあってご飯を一緒に食べようかな、ぐらいにしか考えていませんでした。それからも、何度か断ったにもかかわらず、そのリクルーターは声をかけてくれまして。

それから今年の3月に私自身がグリーンカード(アメリカ永住権)を取得したのを機に、記念受験的に受けてみようかな、というのがきっかけでした。

声掛け≠採用

廣島氏:

それで、この後が実は大変なんです。ここまで熱心に声を掛けてもらったからといって、即採用ではなくて。あくまで試験を受ける資格をもらっただけなんですよね。

試験は4月に受けたのですが、そこで実際に課題に対するコードを書かされたり、難しい質問をされたり。全部で5~6ステップあったと思います。すべて異なるエンジニアが面接官をしていましたね。

後からわかったのですが、解を見つけるのはもちろん、その解を見つけるまでの思考プロセスをチェックされていたようです。

ちなみに、時間にして6時間、全3日に分けて実施されました。

松原氏:

5~6ステップというのは多いですね。ただ、アメリカでは試験でのインタビュー中のやりとりをすごく重要視すると思います。そのぐらい、エンジニアに対して求めるものが高いということの裏返しでもありますね。

スキルあるエンジニアの需要が高い

渡辺氏:

たしかに、あるレベルを満たしたエンジニアというのはすごく重宝されます。表面的なエンジニアではなく、実際にスキルを持っているということが大事ですよね。需要より供給が少ないからでしょう。

だからこそ、先ほどの話のように、シリコンバレーのエンジニアの地位が高く、大切にされるんだと思います。

廣島氏:

まぁ、Googleの6回っていうのはやりすぎのような気もしますが…(笑)

佐藤氏:

採用というのは、会社と人のお見合いみたいなものですよね。

廣島氏:

採用形態ですが、Googleはフルタイムでの採用ですね。その代わり、面接官全員がOKしなければいけなくて、さらにそのレポートを見た上長、最終的にはLarry PageがOKしないと採用に至りません。このあたりは、日本企業に近いものがあります。

渡辺氏:

Googleのフルタイム採用などは、さすが余裕のある会社だと言えますね(笑⁠⁠。

写真3:パソナテック社員によるイベント会場への案内
写真3:パソナテック社員によるイベント会場への案内

(後編に続く)

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