11月24日、
「C&C賞」
表彰台のLinus
表彰式は、
ぼくはさまざまな「インフラ」に支えられて今までやってこれた─Linus氏受賞講演から
贈呈式の後、
「親戚に科学者がいたこともあり、 子供のころは科学者になりたいと思っていました。普通の子供だったらスーパーマンや消防士になりたい、 といった夢をもつ時分です。世界がどう機能しているのか、 ということに興味がありました。ニュートンやアインシュタインが、 ぼくにとってのヒーローだったのです。」
そんなLinus少年のその後を変えたのが、
「数学者だった祖父に、 コンピュータを教わりました。コンピュータで遊んでいるうちに、 プログラミングが科学よりもおもしろくなったのです。」
といっても、
「ぼくが本当の意味でLinuxのコードを書くのに専念していたのは、 最初の半年から10ヵ月くらいです。その後何をしていたかというと、 “コミュニケーション” です。開発者同士がいかにうまくコミュニケーションをとって、 開発上の問題を解決していくかが非常に重要なことを、 これまでに学びました。まさに “C&C” というのは、 ぼく自身のテーマなのです。」 「これまで本当に多くの人が人がLinuxの開発に加わってくれました。開発者だけではありません。たくさんのコードのテストや検証作業にも多くの人が参加してくれました。これまで関わってくれたすべての人に感謝します。」
「最近ぼくが関心をもっているのは、 プログラミングよりも開発のプロセスです。コードを書くよりも、 コードを書くためのサジェスチョンができることを目指しています。ぼく自身が最近開発したプログラムには、 コミュニケーションのためのツールが多くあります。というのは、 これほど分散した形で発展しているシステムはLinuxだけだからです。多くの国、 地域、 そして企業、 組織にまたがった形で開発が進んでいます。そんなシステムに必要なのは、 単なる開発力よりもコミュニケーションです。」
ではコミュニケーションをとるために大事なことは何だろうか?
「ぼくは人生の半分である約20年をLinuxにかけてきました。その中で起こった大半の問題はコミュニケーションに関することです。必ずしもいいことばかりがあったわけではないのに、 20年間コミュニケーションをなぜ続けられたのか? それは情熱を持ち続けているからです。コンピュータに関わっているような人に情熱はないと思われるかもしれませんが、 ここまで続いているのがその証拠です。仲良しだけでは続きません。こうして情熱を持ち続け、 コミュニケーションをとってくれた皆さんに感謝します。」
そしてまとめとして、
「“インフラ” (Infrastructure) とは、 異なる立場の人たちが共同作業をするための場といえます。その確立にはNECも大きな役割を果たしてくれています。そうしたインフラに、 ぼくは助けられてきました。」 「まず、 Linuxがフィンランドで生まれたのは偶然ではありません。ぼくがLinuxを作ろうと思ったのは、 貧乏で高いプログラムを買うことができなかったからですが、 フィンランドに無料で高い教育が受けられるインフラがあったから、 それだけの力をつけることができたのです。」 「アメリカ西海岸を中心としたオープンソースコミュニティのインフラ。彼らのサポートのおかげで、 Linuxを発展させることができました。また、 “財団” (Foundation) というインフラもぼくの活動を支えてくれています。Linux Foundation、 そしてこのC&C財団もそうです。こうした財団の皆さんにも感謝を贈ります。」 「そして最後に、 すべてのLinux利用者というすばらしいインフラに感謝します。このインフラのおかげでLinuxができました。思いもつかない利用法でLinuxを活用してくれた方、 さまざまな使い方をしてくれたみんなのおかげで、 いろんな意志決定が生まれました。日本のユーザもいま、 組込みなどの分野で大きなインフラとなってくれています。その皆さんに感謝します。」