10月29日、サイボウズ東京本社にて、技術評論社×サイボウズ共催、日本マイクロソフト協賛によるイベント「エンジニアの未来サミット for students 2011」の1回目が開催されました。
このイベントは、技術評論社主催で行われた「エンジニアの未来サミット」の意志を継ぎ、これから社会に出ようとする学生の皆さんに身につけてほしいスキル、心構えから、今後の日本社会をどう乗り切っていくべきかまで、幅広い話題に業界の著名人が答えるというもの。この形での開催は昨年から行われており、今年もこれから年末にかけて全3回開催の予定です。
第1回となる今回は、プログラミング言語Rubyの開発者、まつもとゆきひろ氏をゲストに迎え、学生代表のパネラー、そして「ソフトウェア デザイン」の連載記事でもおなじみの竹迫良範氏(サイボウズ・ラボ)、モデレータとして技術評論社の馮富久を交えた熱いトークが展開されました。
プログラミングは“最も人間的な活動”
前半は、まつもとゆきひろ氏による「10年後のプログラミング言語」と題した講演です。自他共に認める「プログラミング言語オタク」のまつもと氏が、プログラミング言語の誕生から現在にいたる進化、そしてこれからを概観しながら、「言語」を通したITや開発者、社会のあり方へと話は進みました。
プログラミングというと、一見コンピュータを相手に無機質なやりとりを行うように見られがちですが、まつもと氏は「非常に人間的な活動」だと言います。プログラムの産物であるツール(ソフトウェア)を使うのは人間です。つまりプログラマは未来のユーザに向けてコンピュータを通して働いているのです。コンピュータは(まだ)自分のプログラムを自分で開発することはできません。人間にしかできないことです。
プログラミングが人間的であるだけに、プログラムの出来はプログラマの気分に左右されます。当然、気分良く開発できるとはかどりますし、何かに邪魔をされると、思った通りにできなくなることもあります。プログラミング言語も、当然プログラマの気分をなるべく良くできる、つまり「プログラマが思ったとおりに動く」プログラムを作ることができる方向に進化していると言えます。
さらに自然言語についての有名な仮説「言語は思考に影響を与える」(Sapir-Whorf仮説)を取り上げ、プログラミング言語もプログラマの発想に影響を与えると言います。こうして影響を及ぼし合った延長線上に現在のプログラム言語もあり、今後も人間の作業を楽にする方向に進化する。そしてその新しい言語を作っていくのは、「これからプログラマになろうとしている皆さんです」とまとめ、講演を締めました。
まつもと氏ご自身も関わるRubyについてのトピックとしては、これまでRubyなどのスクリプト言語があまり使われることのなかったHPC(High Performance Computing)や組込み/リアルタイム分野でのプロジェクトが紹介されました。「習得が容易で簡潔に記述でき」かつ「システムの深いところまで記述できる」という言わば「いいとこ取り」が今後も進化のポイントになるのでしょう。
日本のIT産業は米国化の道を辿る?
後半は先に紹介したとおり、まつもと氏に加えサイボウズ・ラボの竹迫氏、そして学生代表としてサイボウズ・ラボユースの林拓人氏(筑波大学)、鈴木勇介氏(慶應義塾大学)の2人、モデレータとして技術評論社の馮が登壇し、会場からの質問に全員で答える形でディスカッションが行われました。
質問は、おもに日本と海外(おもに米国)のIT産業を比較したり、日本の産業が置かれた状況に関するもの、そして学生の間に学んでおくべきこと、の2つに集中しました。
まず、日本の産業の優位性はどうなっているのか、今後どうすべきかという質問に、社会人である竹迫氏や馮は、個々の企業についての日本の優位性はすでになくなっているので、今後はネットを活かした企業や業界同士の連携、そこから生まれる文化的なものに優位性を見いだせるのでは? とコメント。一方、学生の林氏、鈴木氏は「まだ語れるほどの経験はない」と言いながらも、コミュニティ活動など技術の底上げをしていくことを提案します。
まつもと氏はこれらをまとめて、技術至上主義はアメリカの文化で、日本では技術力に対する評価があまり高くないことを指摘しました。若い人がより技術志向になっているということで、日本もアメリカ化(シリコンバレー化?)が今後一層進んでいくのではないかと見ているようです。
これに関連して、日本ではプログラマが米国に比べて評価されていないのでは? という質問がありました。竹迫氏は「米国のIT技術への評価が高いのは、製造業がダメになったから。日本も他の産業がダメになってきているので、相対的にITは評価されていくのでは?」とやはり米国化を懸念します。
まつもと氏も、「日本では『経験不問』でプログラマを募集することがあるが、米国ではまずない。だがそれが有利に働くこともある」と指摘。これからは技術のある人とない人の格差がどんどん広がって、学ばない人が振り落とされる、ITの格差社会が到来すると予言しました。
その評価について、「職場で評価されない場合はどうするか?」という質問にまつもと氏は「やめるしかない」とバッサリ。「会社を変えることはできない。周りがダメなことを変えようと思わない方がいい」と、組織に依存しないことを勧めます。まずは自分を磨き、評価される場も自分で見つけるしかない時代になっていくのでしょうか?
数学、英語、そしてソーシャルネット活用でスキルを上げろ!
そのスキルアップについて、学生時代の早いうちからコンピュータ教育が必要ではないか? との質問には、現役学生の林氏が、「大学から始めて遅すぎることはない」と答えました。大学の授業でさまざまな言語やアルゴリズムに触れることで、その魅力に気づくことも多いようです。プログラミングを覚えるには文法だけではなく、さまざまな抽象概念を理解する必要があります。やはりある程度の高等教育の素養がなければ、スキルとはならないでしょう。
では、「文系の人が今からプログラマになるために学んでおくべきことは?」という質問には、竹迫氏は数学を挙げました。「世の中をモデル化して本質を見つけるのがプログラミング。そのためには数学を使って論理的に考える必要がある」(竹迫氏)。林氏はご自身の経験から、できるだけたくさんのプログラミング言語に触れることを勧めます。また、まつもと氏は「英語に抵抗がないこと」を挙げました。ペラペラになるのは難しいですが、最先端の情報は英語で発信されることが多く、英語に苦手意識がないだけでいろいろと有利になるのは明らかですね。
鈴木氏は、わからないことをブログやTwitterでつぶやくだけでも誰かが答えてくれるので、そういう身近なところから始めては? と提案。これには馮も同意して、この10年ソーシャルサービスがかつて考えられないほど広がったことを挙げ「まず発信すると何かが変わる」とソーシャルの利用を強く勧めました。
最後に各パネラーが一言ずつコメントする中、まつもと氏が語った「今後は個人の可能性がポジティブ、ネガティブに関わらす拡大していく」という言葉がこの日の結論になったと思います。個人の能力がより評価されていく先には、より厳しい選抜社会が待っています。難しいことですが、まずは自分の適性を探るため、少しずつでもいろいろなことに挑戦してみるのが大切ではないでしょうか?