失敗を振り返り、未来につなげる
開催に先立ち、今回のイベントの企画者であり主催者でもある、株式会社ユーザーローカル閑歳孝子氏から挨拶がありました。
「これまで数多くのWebサービスが登場し、今ではFacebookやTwitterなど世界規模のサービスが登場しています。その一方で、日の目を見ずに消えていったサービス、期待はずれとなったサービスも数多くあるわけです。今回は、そういった表に立てなかったサービスに関わった方たちをゲストに迎え、あえて“なぜ失敗したのか”について語っていただき、これからのWebサービスの企画や開発につなげていければと思っています」と、開催趣旨を述べました。
豊富な経験と実績のあるパネリスト&モデレーター
今回のイベントに登壇したのは以下の5名のパネリストと1名のモデレーター。
パネリスト
- 清田いちる氏(ギズモード編集長、右から2番目)
「今回は個人の意見です」と前置きした上で、前職ニフティ時代やシックス・アパート時代に企画し、リリースしたサービスについて語った清田氏。メッセンジャーやブログパーツなど当時を反映したサービスなどにも関わっていたそうです。
- 赤松洋介氏(サイドフィード株式会社、右から3番目)
「Web 2.0全盛時代に『AERA』に載りました」と自身の過去について話ながら、2005年につくったマーケティング関連の会社での出来事を語った赤松氏。歯に衣着せぬするどいツッコミが印象的でした。
- 尾下順治氏(アクセルマーク株式会社、左から3番目)
第二電電時代から通信・ITに関わり、その後ベンチャー企業の立ち上げ、現在はエフルートからアクセルマークに移った尾下氏は、ピボットの難しさと重要性について語りました。
- 佐々木大輔氏(NHN Japan株式会社、左から2番目)
NHN Japanに統合される前のライブドア時代にリリースしたサービス「nowa」について振り返った佐々木氏。「ようやく供養ができました」など、その比喩の面白さで聴講者の心を掴んでいました。
- 関信浩氏(シックス・アパート株式会社、一番左)
シックス・アパート時代のグローバルサービス「Vox」について、赤裸々に語った関氏。選択と集中の難しさ、世界と日本の考え方の違いなどについて、自身の経験を踏まえて語りました。
モデレーター
- 山崎徳之氏(株式会社ゼロスタート、一番右)
山崎氏は、バラエティに富んだパネリストたちからたくさんの本音を引き出し、軽快なテンポでのセッションを進行しました。
まずはじめにそれぞれの自己紹介が行われ、ついでディスカッションが進行しました。
イリジウムの失敗
アイスブレイク直後、まず最初のテーマとして上がったのが尾下氏が折衝担当として関わったイリジウムについて。イリジウムはもともとモトローラが計画した衛星電話サービスの総称で、その後、DDI、そして現KDDIネットワーク&ソリューションズがサービスを再開させたが普及には至りませんでした。さまざまな要因がある中、「意思決定に時間がかかった」(尾下氏)とのこと。その他、国家レベルでの調整などが非常に難しかったようです。
モデレーターの山崎氏から「おそらく今日紹介する失敗の中でも、最も大規模な失敗なのでは」と振られると、「人工衛星66個分なので、おそらく何百億ドルレベルではないでしょうか」(尾下氏)と説明があり、サービスと同じく宇宙レベルの失敗だったと言えるでしょう。
nowaとVox――ブログブーム全盛の中、なぜ盛り上がれなかったのか
さて、いよいよ本題となるWebサービスの失敗に関してディスカッションが進みました。テーマとして取り上げられたのが、佐々木氏が関わったnowaと、関氏、清田氏が関わったVoxです。
まず、nowaについて「当時ブログブームからSNSブームにシフトしようとしていた中、すべての機能を盛り込もうと思って企画したのがnowaでした。Vox(Commet)のあとということもあったのでその真似ではとも思われたんですが、どちらかというと触発されて始めたくなったのが最初のきっかけです」と、佐々木氏はnowa立ち上げの経緯を話しました。
「リリース後は“全部入りブログ”など皮肉めいた表現をされたこともありましたが、オープンなブログではなく、当時勢いのあったmixiと同じようにクローズドな空間で表現できる場を提供しようと思っていたんです」(佐々木氏)。
こうした話のあと、関氏がVoxについて振り返りました。
「当時、シックス・アパート本社がLiveJournalを買収し、SNSのような雰囲気へのアプローチが進んでいました。その中で、共同創始者の一人Menaが“カジュアルで初心者、そう、お母さんでも使えるようなブログを作りたい”というメッセージを出したことがきっかけで、TypePadでプライバシー機能を強化するようなイメージでVox(Commet)の開発がスタートしました」と説明しました。赤松氏から「事業としてはどうだったんですか?」と質問が入ると、関氏の立場としては「担当者ではなかったので、(外から見て)予算が大きくていいな」というのが最初の印象だったそうです。その言葉通り、当時のシックス・アパートはVoxへのリソース配分を強めていったそうで、結果として「1つのサービスへの極端なリソース集中から組織全体の空気が悪くなった」と、関氏は当時の様子を振り返りました。
マーケッター不在、選択ミスをしてしまったnowa
話がnowaに戻ると、nowaのリリースについては「ちょうどライブドア事件後でもあり、ライブドア自体が社会的な注目度が高く、また、印象として悪いイメージがついていたのです。ですから、サービスに社名をつけるよりも、サービス名で勝負したいという気持ちはありましたね」(佐々木氏)という述べ、「当時のライブドアのエンジニアたちは例えて言うならジャニーズJr.。みんながメジャーデビューができると信じてそれぞれの立場で、それぞれの企画を作っていました。ただ、nowaがなぜうまくいかなかったのかを振り返ると、マーケッターの視点がなかったように思っています」と、自身の失敗した理由について分析をしました。
このマーケッターの視点については、同じくライブドア出身の山崎氏が「堀江さんがいなくなりマーケッターの役割を担う人物がいなくなった。結果として佐々木さんが話したように、(外部から見て)個々のサービスがうちわ感で進められていく状況が強くなったように思います」と述べています。
さらに佐々木氏は当時の状況について「つまり、ここが大きな選択ミスだったと思っています。“ライブドア”の知名度を自分たちで捨ててしまっていたわけで、綺麗事だけにとらわれすぎた結果、不特定多数のユーザへリーチできる環境を、自分たち自ら捨ててしまっていたんです」と話し、自分たちのサービスだけで広げていこうという強い意識が、結果として外部環境を活用できない足かせだったことに気づいたとのことです。
この意見に対し赤松氏は「そもそもとしてnowaには特徴がなかった。流行りモノにのっただけだったのでは」と厳しいコメントをした上で「当時の自分も流行りモノに手を出しただけで失敗していました」と、流行りモノが持っている、“勘違い”という怖さについても取り上げられました。
リソースの集中が早すぎたVox
続いて、Voxに話が戻りました。
Voxはグローバルのサービスでもともとアメリカ主導で開発が進んでいたものです。この点について「アメリカ側のイケイケ感に対して、日本側は若干引いていました」と関氏は振り返っています。そして、携帯電話対応についても、最も重要な市場である日本側に開発者がいなかったため、「日本向けとして提供できる品質ではなかったように思う」とのこと。
また、先ほども述べたように「ファウンダーが企画して創り上げたサービスだったため、社内から意見を言いづらい環境だった」(関氏)というのも、失敗してしまった大きな原因だそうで、結局、「開発陣を含め、社員全員がVoxに対して強く踏み込めなかった、つまり、モチベーションを高められなかったことが、失敗した大きな原因だった」と分析しています。
山崎氏が「それはいわゆるプロジェクトマネジメントのミス?」という問いかけに対し、「まさにそのとおりで、プロジェクトが進めば進むほどメンバーのモチベーションが下がっていった」(関氏)とのこと。
赤松氏も「外から見ていてVoxは綺麗すぎる感じで、熱いユーザの獲得に失敗していた印象」と述べています。その他にも、「Mena自身がソーシャルな雰囲気がなかった(閉じたネットワークを好んだ)」(関氏)など、いくつかの原因はあったそうです。
また、シックス・アパートに在籍していた清田氏は「グローバルで展開するかどうかというもの大きな要因だったんじゃないかと思います。世界展開をしていくサービスか、国内で勝負するサービスかという点はだいぶ違いますから。あとは、要因と言うより会社のイメージとして、シックス・アパートは企業と会話できる企業だったというもの、(Web関連企業として)特徴的だった印象です」という、在籍した立場からの企業観をコメントしました。
まとめとして、「Voxに関してはリソースを集中させるのが早すぎました。もっとマーケットを見て戦略を練った上で拡大していけば、別の道、たとえばアドネットワークのようにブログ事業者が獲得できなかった市場で勝てたかもしれません」と関氏が振り返りました。
マーケットを見ること
同時期に登場し、ともにシェアを獲得できなかった2つのブログサービス、「nowa」と「Vox」。これらの振り返りに対し、モデレーターの山崎氏は「同時期、同様なコンセプトのブログサービスでも、失敗した原因はまったく違いますね。では、これらを通じて、失敗しないようにするために何が考えられるでしょうか」と、次のディスカッションの話題に進みました。
まず、赤松氏から「開発者、とくにエンジニアが考えるサービスというのは、自分自身が熱くなれるものになりがちです。また、トップエンジニアと言われれば言われるほど、企業の中で埋もれたくないという気持ちが強く、人脈ネットワークが大きい一方で、周りの一部のエンジニア・クリエイターたちにのみ受ける、内輪なサービスとして盛り上がってしまう傾向があります。結果として数万人のコアユーザぐらいで限界を迎えてしまいます」と、開発者手動のサービスの難しさについて述べました。
一方、この点は清田氏も実際のサービスを例に挙げ、「FacebookやTwitterはもともと開発者のモチベーションで生まれたサービス。その後、マーケットを見る人間が加わったことで、いかにシェアを大きくするか、その戦略を間違えなかったから今のような規模になっているわけです。ですから、開発者のモチベーションに頼って大きくするというのは王道パターンであると言えますが、広げる部分を意識する必要はあります」と、開発者のモチベーションを肯定しながらも、マーケッターの重要性について訴えました。
サービスの終わらせ方と未来へのつなぎ方
もう1つ、仮に関わったサービスが失敗した場合、関係者にとってはクロージングも重要な仕事になります。この話題についても話が進みました。
「自分は当時nowaの終了を見る前に他部署に移ってしまったのが心残り。今回、この場で振り返り、見なおすことができたことでようやく供養ができました」(佐々木氏)や「失敗したとき、クロージングにかかる労力を維持するモチベーションが一番難しいです。クロージングのような撤退戦では、とてもドロドロした雰囲気になりますが、結局そこは責任者が責任を追わざるを得ないですね」(関氏)など、いずれもクロージングの難しさと同時に大切さ、マイナスなことに対するモチベーションの維持について述べました。
尾下氏は「関さんがおっしゃるようにそのモチベーションは重要。ただ、仮にサービスがクローズしたとしても、そこで得られた経験を次のサービスにつなげられれば良いという考え方もあります。いわゆる“ピボット”の考え方ですね」と、失敗を失敗に終わらせないマインドを持つことの大切さを伝えてくれました。
そして、「サービスそのものは非連続になるかもしれないが、人やアセット(資産)は連続性を持たせられるものであり、持たせなければいけません」(尾下氏)と、サービスに限らず、事業をしていく上で大切なポイントにも触れられました。
赤松氏は「金がなくなったら終わりというのは資本主義の基本なので、利益を出していくことは大事ですが、そのためにはモチベーションを維持することが大切です。モチベーションを持てる状態を考えることで、結果もついていくると思います」とまとめました。
同じく清田氏も「モチベーションは大事ですね。仮にサービスが終わるとなったとしても次につながるように(開発者・企画者たちの)モチベーションを上げておきたいです」とメッセージを残しました。
失敗を失敗で終わらせないために
パネリストのそれぞれのコメントを踏まえ、山崎氏は「まず、失敗の要因として共通して上がったのがマーケティング視点とモチベーション。そして、仮に失敗した場合に次につなげる意識が大事ということがわかりました。これはWebサービスに限らず、すべてのことに通ずるのではないでしょうか。(もしWebサービスが失敗したとして)結局、なくなったお金は戻らないわけですから、その残ったお金あるいはリソースでどう儲けていくか、それが事業展開の肝でもあります。後悔するのではなく、次を見据えること。今日のディスカッションのまとめはこのあたりにあるのではないでしょうか」と、モデレーターとして締めくくりました。
以上、パネリストたちの生々しい体験談とともに失敗について熱く語ったトークセッションが終わりました。山崎氏のまとめにもあったように、失敗を失敗のまま終わらせず、次につなげる意識を持つこと、“ピボット”の意識、それが失敗したときに一番大切なことなのかもしれません。