・日時:2019年9月27日
・場所:書泉グランデ7階
『圏論の道案内 〜矢印でえがく数学の世界』発売記念
西郷甲矢人先生 講演会より
────圏論に興味を持つ人たちが、向こうからやってきた────
西郷甲矢人と申します。共著者の一人として『圏論の道案内 〜矢印でえがく数学の世界』を書きました。今日参加された方々にはいろんなバックグラウンドをお持ちの方がいらっしゃるかと思います。どこから話していけばよいか迷うところですが、今回はちょっと易しいというか、もう本当に漫談みたいな感じでいければと。本書はおかげさまで「数学はあんまり知らない」という方でも手に取っていただいているようですので。
今日は本当に気楽な感じでお話したいと思います。細かい内容みたいなところにはできるだけ入らない予定です。皆さんの中にはもしかすると、私より数学をよく分かってらっしゃる方もいらっしゃるかもと思いますので、情報としてはちょっと物足りない感じがするかもしれません。その辺は質疑などでフォローできればと思います。
まず皆さんに読んでいただきたいのは、やはり第1章です。ここはコーヒーやお酒でも飲みながら、ぜひ気楽な感じで読んでいただけたら嬉しいです。極端な話、第1章だけ読んでくれてもいいかなと思うくらいです。
本書の中でもっとも重要な概念が、第4章にある自然変換です。こちらまでちょっと頑張って読んでみてください、ということを第1章では言っています。特に数学がお得意な方ですと、前書きなどはパッと飛ばして読まれることもあるでしょうし、それはもちろん構いません。その上で、やはりここは本書の特徴、書かれた背景なども書かれていますので、ぜひ多くの方に読んでいただきたいです。
第1章でも書いていますが、本書の読み方についてちょっとお伝えできればと思います。私も共著者の能美十三さんも数学科の出身なのですが、数学科では4年かけて、数学の本の読み方を習います。どんな感じかといえば、 1日で一行か二行進むか進まないか、ということだってあるんですね。パッと見ただけでわからないのが当たり前。数学の勉強ではあることなんですが、このことがあまり伝わっていないと思いまして。パッと見てわからないと、私には数学の才能がないと思って諦めてしまう。そんな方が、おそらく世の中にはけっこういらっしゃるのではと感じています。
できるだけ敷居は下げようと意識はしました。とはいえ数学の本ですので、読んだだけで分からないということもまあ多いかなとも思います。ただそれは普通のことですので、ぜひ気楽に、気長に読んでいただきたいとすごく思います。
第1章にもちょっと書いていますが、この本を書いたきっかけについてもう少し詳しくお話します。私は数学者で、物理、特に量子論と数学との関連部分みたいなところをやっていまして、そこで論文や本も書いたりしてきました。ですのでいろんな分野の方々から質問を受けることもあるのですが、圏論の分野にすごく興味を持たれる方がけっこういらっしゃるんですね。
「圏論っていうのを知ってる?」という風に聞かれるので、一応、ある程度は知っていると答える。少し解説すると、聞いてすぐにはわからないと言われることも多い。当然数学ですからね。そこで、いろんな誤解に対して「いや、それは違うんですよ」と説明し続けると、向こうの興味がまたどんどん増していくわけですね。
そんな感じで、熱心に学びたいという方が多く、すごくいろんな質問をいただきます。認知科学や意識といった分野、たとえば(手元のペットボトルを指して)これがお茶に見えるとか、そういう仕組みを研究されている方々にも非常に興味をもっていただいたりします。
このように、ずーっと質問に答えていく場面がしばしばありました。そこで、どこかにまとめて書いておけば私自身ちょっと楽になりますし、皆さんの役にも立つかなと思ったのが、本書を書いたひとつのきっかけです。
何が言いたいかといえば、私は圏論を「売り込みたい」わけではないということなんですね。といいますのも、あまり広い分野に手を出すというのは、数学者にとってストレスフルな部分があります。もちろん、多大な広い分野で大活躍されている、天才的な数学者の方もいらっしゃるんですが。
たとえば、神経科学の分野の方と一緒に論文を書くような場合、すごく緊張感があります。なぜかというと、証明にいく前のレベルで奮闘しなきゃいけないんですね。数学では「きっちりと定義されたものから、当たり前ではない定理を証明する」ことが大事でして。ですので数学者から見た場合、この内容に果たしてどれほど中身があるものかと、少し疑問に感じてしまう瞬間も正直あるわけです。
数学者の目からすると、なんというか、衒学的で、わざわざ言わなくて済むように見えることを、わざわざかっこつけて言っているみたいな印象で捉えられかねない。でも、そこを通過しないと、その先にも絶対行けない。だからストレスフルな面もあって、できればあんまり売りこみたくないというのも本音なんです。どちらかと言うと「私は圏論の専門ではありませんから」という感じで、この本を書く前は距離を取ろうとしていたんです。
ところが、ものすごく食いついてくるんですね。こちらから売り込むわけでもなく、熱心な質問が向こうからやってくる。普通は、これは使える、応用できるということを必死に売り込んで伝えていった結果、興味を持つ人が出てきそうなものですよね。ところが圏論については「これは絶対何かある」と自分から思う方々がすごく出てきたんです。そういう、強く欲する気持ちみたいなものは、嘘じゃないと思うんですね。
私は意識の専門家でもありませんし、認知科学の専門家でもありません。本当に役に立つかなんて、私は正直分からないところもある。けれど、圏論についての話を、面白い、面白いと聞かれる方がいるということは、たぶん何かあるんだろうと。そう思って、ちょっとお手伝いさせて頂いている次第です。こういう、ある種の抽象的な数学にあまり触れてこなかった方たちにもなんとか読んでもらえるように、意識して書いた自負はあります。
────共著者「能美十三」は実在する? ────
本書は会話体で書かれてまして、私と、さきほど少し名前が出ました能美十三さんによる共著です。この件が SNS などでいろいろな憶測を呼んでいまして。能美十三とは誰なのか、そもそも実在するのか、といったことが言われています。
第1章でも書いていますが、本当にいるんです。能美十三は。
能美十三は存在します。一意、つまりただひとりです。肩書きも嘘ではなくて、某有名企業の会社員です。仕事をしながら非常に猛烈に働いていただきました。能美さんのお力なくしては、本書は完成しませんでした。
質疑で一番出るのも実はその点かなと思っていたくらいなのですが、まずそれだけは信じていただきたいですね。実名を出すといろいろ差し支えがあるみたいで、彼は絶対に表舞台には出ないことになっています。ですので、こうしたイベントにはいつも私が出てきて、ますます存在が疑われると。(笑)そういう感じですね。
多分これもよく出る質問一つなんですが、前著で『指数関数ものがたり』という本を日本評論社さんから出していまして。なかなか渋い本なんですけれども。こちらの本を出した時も、これも会話体なんですね。それでこの時も存在が疑われまして。
「これは実際に会話したんですか」という質問もよくいただきますね。昨年同じく共著で出した『指数関数ものがたり』の第1章なんかは、たしかに飲みながら話しました。ところが第2章以降はですね、まったくの架空です。そしてこの『圏論の道案内』ですが、少なくとも書く段階においては一回も飲み会はしていません。
どういう風に書いていったかといいますと、こういう事項を、こういう順番で書いて欲しいと箇条書きのメールをまず能美さんに送ります。すると、数日から10日くらいで会話体の第一稿が来るんですね。箇条書きを入れるだけで見事なテキストを返してくれるという、素晴らしい「関数」なんですけれども(笑)
手直しや加筆補正は結構やってますので、そういう意味では、共著と言っても嘘ではないと思います。配列ですとか、細かいところについては私がやりました。
第1章、第10章については私がすべて書いていますので、文体の違いみたいなものも含めて読み取っていただければと。最近はテキスト解析があると思うので、能美さんの存在をまだ疑う方はですね、もしお暇でしたら一度解析されてもいいかもしれません(笑)そうすると、一人の人間で書いたものではないことが明確に分かるはずです。
とはいえ著者同士も、もはやどっちが書いたか分からなくなってくることがあります。というのは、お互い書き方を真似していくんでしょうね。文体といいますか、彼だったらこう書くだろうみたいなことを思うんです。ある意味、一体性もあるというか。そんな感じで書き進めていました。
能美十三に対する私の当たりがきつい、そんな強い言い方をしなくても……、みたいなコメントがSNSなどにあったそうなんですが、あれは能美さんの自作自演です(笑)。書いているのは彼ですので。私はどちらかというと優しい口調に直していまして、そこはちょっとお許しいただきたいと思います。
もっとよく読んでもらうと、能美の西郷に対する当たりのほうがきつかったりしますので(笑)。ぜひその辺をよくよく読んでいただき、西郷は別にビシバシというタイプの人間ではなく、温和な人間なんだということをぜひ……、もちろん能美も温和なんですけれども、そのあたりを念頭に置きつつ楽しんでいただければと思っています。
決してきついことを書いているつもりはないんですけれども、自分がきつく言われているように感じる方もいらっしゃるのかもしれませんね。「お前何もわかっていないなあ!」みたいな感じで。まあ友だち同士のやりとりということで、漫談だと思って気楽に読んでいただければ思います。
やはりどんな分野でもそうだと思いますが、楽しい気分で読まないと身につかないですよね。ですからあまり身構えずに、気楽に読んでいただけると嬉しいです。
第2回 圏論の三つの根本概念 「圏」「関手」「自然変換」に続く