サイエンスに片思い

第1回横浜サイエンスフロンティア高等学校往訪編

連載第1回目は、2009年に開校した横浜サイエンスフロンティア高等学校に取材をし、教育の視点から見たサイエンス、その可能性について前編・後編に分けて考察します。

(取材日:2009年3月)

連載開始にあたって

文系の私には長らくサイエンスに対してある種の偏見というか、誤解がありました。それはサイエンスというのはサイエンティストという職業の人間だけに見える一領域的な世界であって、文学者や音楽家のものとは全く違うものだと考えていたのです。

しかしながら、今日、サイエンスは人間の創造的活動領域をも含め、世界というものの摂理を追求し、解明するものだと思い直すに至りました。そのことで、数学や物理といった自分が高校時代に苦手として来た学問が今更ながらまったく違って見え始めたのです。とにかく嫌いだった数式なども急に魅惑的に見え始めました。

ただし、ここに至るまでには相当長く時間を要してしまい、私はすでに40代になっていました。もちろん、何かが魅力的に見え、関心を持つことに年齢は関係ないはずです。サイエンスに恋をした私は、今更ながらその魅力を読み解き、これからサイエンスに興味を持つだろうあらゆる世代の人達と一緒に、そうか!こういった世界の読み解き方がある、こうすれば世界を描写できるのだ、との新しい観点や価値観を共有したいと思ったのが本連載の趣旨なのです。

また、本連載はWeb Site Expertでの連載対談もきっかけになりました。

将来、Webアプリケーションの開発には様々な分野の様々な知見が必要になるとの見解から、学際的なコミュニケーションを試みた連載でしだが、一連の対談で感じたのは「Webはすでにサイエンスの領域に入っている」ということでした。本来、IT業界においてWebサイトの開発はビジネス目的のための工程であって、Webサイトは管理されるべき成果物です。しかしながら、もはや囲われたWebには大きな価値はないのです。有機的に連鎖し、想定以上に活性化することがビジネスの目標となっているのです。

結果、Webの開発者にはこういったメッセージが投げかけられていると考えています。⁠世の中に必ずあるのに、見えていない相互作用を可視化/活性化する仕事⁠⁠。これこそWeb・サイエンティストの果たす役割なのです。本連載が目指すのも、サイエンスはサイエンスでも、特に<世界のつながり>を知るための科学、そして思考の確立です。これにより世界は違って見え、Webもまた世界の摂理の中に組み込まれるのだと考えるのです。

なお、本企画の序編として取材をしたのは、名前にサイエンスを掲げる国内唯一の高等学校で、今年度新設の横浜サイエンスフロンティア高等学校です。⁠Web Site Expert』の連載では、マサチューセッツ工科大学メディアラボや慶応大学SFC、東京大学情報学環という学際領域研究の場をいろいろ訪れましたが、常々感じるのは文系理系を超えた創造力を養うには大学からの教育では遅過ぎるのではないかということでした。その意味では、公立校でありながら理系重視を唱える本校は、実は文系理系を超えた学際的学校なのかもと期待しつつ取材を申し込んだのでした。ちょっとドキドキしながら往訪したのは、高校受験を思い出したから、いや息子の受験先を見学しに来た親の気分だったからでしょうか。

インタビューおよび執筆を担当する前田氏。
インタビューおよび執筆を担当する前田氏。

横浜サイエンスフロンティア高等学校往訪・序編

横浜サイエンスフロンティア高等学校

知識の架け橋、知恵の架け橋

横浜サイエンスフロンティア高等学校の校門からは2つの校舎を結ぶ2つの渡り廊下が見えます。手前が知識の架け橋、奥側が知恵の架け橋と呼んでいるそうです。知識が知恵に変わるようにという思いで名付けられたのです。

校舎をつなぐ知恵の架け橋。
校舎をつなぐ知恵の架け橋。

通常の高校に比べると極めて多い22の研究室に加え、各階の教室の前には著名サイエンティストの写真が大きく映し出された壁面(それもホワイトボードになっている⁠⁠、自由に触ることのできるパーソナルコンピュータのあるラウンジ、また鶴見川を見渡すリバーサイドのラウンジにはバードウォッチング用の双眼鏡が置かれるなど、高校というより大学の施設にも見える充実ぶりに驚かされます。

PC Lounge。
PC Lounge。

第一期生入学直前に訪れたわれわれを暖かく迎えてくれた先生方も正式な内示は取材当日ということであり、図書室には書籍が搬入され、女性達がRFIDタグをつけるのに忙しそうです。そんな忙しい中、あえて取材を受けさせてくれた学校にも高い使命を帯びた事情があったのでした。

それは、94億もの巨費をもって設立した本校は、横浜中田市長(取材当時)肝いりの一大プロジェクトであり、教育熱心な神奈川県でも新規にエリート校であると自ら掲げた異色の学校だからです。

まず何より、教育陣の人選が素晴らしい。スーパーバイザーにDNAの自動解読に世界で初めて取り組んだ理化学研究所顧問で、東京大学名誉教授の和田昭允(あきよし)氏、宇宙ニュートリノを世界で初めて観測したカミオカンデの小林昌俊氏、ナノテク素材C60フラーレンの発見者であるハロルド・クロトー(Harold Kroto)氏等ノーベル賞受賞者二名を含むそうそうたるメンバーが後押しをしています。

スーパーバイザーの面々。とても豪華な顔ぶれ。
スーパーバイザーの面々。とても豪華な顔ぶれ。

ここにかける意気込みは決して進学校を作ろうというだけのものではないのです。

「理科離れ」が叫ばれる中、あえてサイエンスの必要性を説き、かつ「理科離れ」「論理的思考離れ」と位置づけ、世界に通用する人材を輩出することにある、とスーパーバイザーの和田氏は言います。和田氏の考えるサイエンスとは、物を良く観察し、情報をきちんと収集し、考え、解析方法を使って問題開発のシナリオを作り、問題を解決する手法のことであり、これは世界共通の国際語だと主張します。

そしてこのサイエンスの能力が必要とされるのは理系だけでなく、金融にだって応用可能なのです。だから、⁠理系は高い給与がもらえない」などと言っている日本はおかしい。経済や産業だけでなく、政治の世界だってサイエンスという知恵を持っている人材がこれから求められているのだと言います。和田氏が他誌の取材で答えた興味深い一節がある。⁠次の世代を今の世代より優れたものにしなければ生物は生き残れないというのが、生命科学の知見。子供でも分かる理屈なのに、分かっていない大人がたくさんいる。」要するにサイエンスは、生命進化のための知見であり、社会進化のための知見でもあるということなのです。

地球を救うため、ここへやってきた

今回、開設準備担当指導主事の栗原峰夫先生、佐野和夫先生、小島理明先生のお三方に、サイエンスの魅力を学生に伝えるのにどんな方法があると考えているかを聞いてみました。

今回の取材にご対応頂いた先生方。左から栗原先生、佐野先生、小島先生。
今回の取材にご対応頂いた先生方。左から栗原先生、佐野先生、小島先生。

そのひとつは「手に取れるサイエンス」の重要性です。一般に小中学校の理科は実験が多く、実際に見て触って感じ取れるものが多く、それは面白みを感じることが多いのです。しかしながら高校になると急に受験のための座学が増えてしまい、その魅力が伝えにくいといいます。そこで横浜サイエンスフロンティア高等学校では、豊富な実験環境を提供し、より関心を深め、追求する機会をより多く提供する予定とのこと。

横浜サイエンスフロンティア高等学校では、ライトシェルフやクールピットなど校舎そのもので自然環境に対する配慮・取り組みが行われている。
横浜サイエンスフロンティア高等学校では、ライトシェルフやクールピットなど校舎そのもので自然環境に対する配慮・取り組みが行われている。

もう1つは「自己表現としてのサイエンス」です。横浜サイエンスフロンティア高等学校では、第一回選抜試験の際、食料問題をテーマに30年後にサイエンティストとしてどういったリーダーシップを示すことができるかが問われました。塾などの受験関係者には思った以上に社会科学系の課題に思えたとの指摘が多かったそうですが、横浜サイエンスフロンティア高等学校重視しているのは課題解決の力であり、問題点を見出す能力であるため、サイエンスを身近にするのは知識だけでなく、ある種の使命感も重要なのです。事実、純粋な学生は「地球を救う人になるために、この学校に入りました」と言ったと、先生方は嬉しそうに笑っていました。

横浜サイエンスフロンティア高等学校の社会意識の高さについては、サイエンスリテラシーという授業にも顕著に現れています。生命科学/ナノテク・材料/環境、情報通信の4分野で各界の専門家を呼んで講演をしてもらうだけでなく、ディベート大会、グループ研究、研究発表会に加え英語のプレゼン発表会まで企画されています。

二年次には大学研究室との連携や科学賞・コンクール参加、海外研究での英語プレゼンをする予定です。つまり「なぜ」を育むプログラムであり、また「なぜ」をそのままに終わらせず、課題をつかみ、論理的に追求し、その成果を相手にわかりやすく発表するというのが趣旨なのです。そして、このプロセスそのものも研究活動の基礎となる力との認識だからです。

また、また毎月1回土曜には科学技術顧問の先生方が直接実験を指導する「サタデーサイエンス」なる授業もある。⁠あなたの遺伝子解析の結果は?」とか「ガン細胞を覗いてみよう」など横浜サイエンスフロンティア高等学校ならではの豊富で充実した実験機器があっての先端科学体験です。4月は小柴昌俊先生の講演が第一回目であり、5月以降は神奈川科学技術研究アカデミー(光触媒の働きを観察する実習⁠⁠、理化学研究所横浜研究所(白血球などの免疫研究の最先端に触れる)に始まり、東大・浅島誠研究室を往訪し、アクチビンと再生医療への応用、宇宙科学と生命科学、国際宇宙ステーションの日本実験棟「きぼう」での実験についてとサイエンスてんこ盛りです。

ただの見学会ではなく、ガスクロマトグラフィー質量分析機[GCMS⁠⁠、DNAシーケンサー、走査型電子顕微鏡、蛍光顕微鏡、天体観測機器を実際に触りながら、それも一流の科学顧問の先生から直接授業が受けれるなんて!羨ましい限りです。

ガスクロマトグラフィー質量分析機[GCMS⁠⁠。
ガスクロマトグラフィー質量分析機[GCMS]。
走査型電子顕微鏡。
走査型電子顕微鏡。
(第2回に続く)

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