サイエンスに片思い

第4回恋する細胞――日本科学未来館編・後編

前回に続き、今回は日本未来科学館 橋本裕子さんへの取材を交えながら、科学の不思議、科学への好奇心について迫ります。

生物を分子にまで還元すれば生命を語ることができるだろうか?

橋本さんの話では、未来館が目指す科学コミュニケーションは「一般市民と研究者・技術者が理解を深め、共に豊かな社会を目指す」ということです。単に科学をわかりやすく伝えるというだけでなく、科学技術がもたらす影響を考えたり、将来にわたって豊かな社会実現するために科学と自分の関係を⁠自分自身⁠で考えることを重要視しているそうです。

図1 日本未来科学館 科学コミュニケーション推進室 展開・育成グループリーダー 理学博士 橋本裕子氏
図1 日本未来科学館 科学コミュニケーション推進室 展開・育成グループリーダー 理学博士 橋本裕子氏

では、具体的に日本科学未来館がどういった取り組みを行っているかというと、たとえば、橋本さんが担当した「生命科学」のコーナーでは「生物を分子にまで還元すれば生命を語ることができるだろうか」というコンセプトがあり、昨今ゲノムや分子の解明が行われてはいるが「生きているということはそれだけではわからない」という非還元主義的な疑問/姿勢も意識しつつ、展示解説ができるように企画されています。

生命科学とは、人間を含む生物が営む生命現象を解明する科学です。⁠ゲノム」⁠医療」⁠脳」⁠バイオラボ」の4つのフロアにわかれたこのフロアでは、分子からタンパク質や細胞、そして個体から脳まで、幅広い生命現象を、人を中心にしつつ総合的に伝えています。

図2 生命科学のコーナー。実際に触れながら、生物の生命現象を学ぶことができる
図2 生命科学のコーナー。実際に触れながら、生物の生命現象を学ぶことができる

まず「ゲノム」では、ヒト染色体の標本や生物進化の系統樹を眺めるとともにゲノム解析の先端技術を知り、⁠脳」では最新の知見をもとに、脳の統合機能やその構造を学べます。⁠医療」では高度な画像処理技術(いあわゆるCTスキャンなど)や情報工学の成果を積極的に取り込みながら進む医療技術や、ヒトゲノム情報をはじめ最新研究データを基盤に新しいアプローチを開始した先端医療を紹介しつつ、それらの技術が実際に社会へ浸透することについて意見を募る「エンドクサ」というコーナーがあります。また「バイオラボ」コーナーでは科学コミュニケーターの実演や研究者のトークイベントを実施しています。

図3 社会への浸透に関する意見を募る「エンドクサ」
図3 社会への浸透に関する意見を募る「エンドクサ」

具体的には、⁠シーケンシング・パズル」というゲノム解析の方法をパズルのように楽しみながら学ぶ展示物として、約30億文字あるヒトのDNAは一度に読むことができないため、適当なサイズに切断し、解析をしてもう一度組み立てる方法が用いられる。この展示ではATCGの書かれたプレートを操りながらゲノム解析の疑似体験ができます。

また、ゲノム解析が進み、個人の体質は遺伝子情報によって左右されることがわかってきている。ここでは患者一人ひとりの遺伝子情報と照らし合わせて、体質にあった薬を処方する、という未来の薬剤師の体験が出来る。薬の種類や分量を間違えるとパネルに描かれた患者の顔に副作用のサインが出る仕組みになっている。

図4 遺伝子情報と薬の処方について体験できる展示
図4 遺伝子情報と薬の処方について体験できる展示

その他、脳の活動をセンサーで直接捉えて機械やロボットに出力する「ブレイン・マシン・インターフェース(BMI⁠⁠」という先端技術を映像やパネルで紹介したり、筋肉の電気信号をロボット操作に変えるBMI技術を疑似体験できるようになっています。

実際に医療ロボットをコントロールして手術を体験できるコーナーもあったがさすがに一度で成功させるのは難しく、その難度を思い知らされました。

恋する細胞

日本科学未来館の刊行物「ミーサイマガジン」9号はこんなフレーズから始ります。

恋をするのは、何も人間ばかりではないかも知れない。
愛し合う二人が結ばれると、女性の体の中では細胞たちにも恋の季節が訪れる。
⁠恋愛」を、生物が自分の遺伝子を残すためだけの戦略だと言ったら味気ない。
けれども、そんな遺伝子の思惑があろうとなかろうと、
細胞はまるで恋をしているかのようにふるまい、結び合う。
数十年にわたり一個一個の卵子をつくっては送りだす女。
日々数億個の生死をつくる力を持つ男。
男と女の駆け引きの後、恋する細胞たちは時にはダイナミックに、
時には精緻な機構を利用して、新しい命をつくりあげていく。

科学冊子にしては、少々ロマンチックに過ぎる文章ですが、文章の感慨も味わえるに違いありません。冊子の編集を担当した橋本さんもこの画像がお気に入り。今でもこれを見ると科学の側面から垣間見た生命のからくりに「ジュンとしちゃう」と語っていました。⁠ミーサイマガジン」9号には、小説家の島田雅彦氏と行動遺伝学者の山元大輔氏の「恋愛を科学で語ることは可能か?」というさらに刺激的なタイトルの対談があります。

対談中、島田氏は「文学は、求愛行動の成れの果て、もしくは求愛行動の申し子とでもいいますか……。」と言い。山元氏は「人間の思考や感情は脳みその分泌物である」要するに「唾液が唾液腺の分泌物であるように、思考や感情も(ジュっと出る*筆者挿入)分泌するものなんだと」話す。翻って島田氏は「ショートカットで得られる快楽と、妄想によって何とか得られる快楽とでは、質的に違うのだと思いたい。しょせん、⁠ジュッと出る⁠物質の問題とはいえね」と面白い対談が続きます。

科学コミュニケーターの橋本さんも、ある大学で細胞を観察したレポートを文系の学生に書かせたところ、とても豊かな表現で魅力的なテキストになったという話しを聞いたとおっしゃっていました。話が科学の話から恋愛の話に飛んだように思えたかもしれませんが、科学を科学の中だけで終わらせないところが日本科学未来館の魅力の一つといって言いでしょう。

お台場の広い敷地にガラス張りの近未来的な建物で、館内の大きな円形の吹き抜けには200万分の1の地球であるシンボルのGeo-Cosmosが浮かんでいる空間はデートスポットにも良さそうです。皆さんもサイエンスで⁠ジュンとしませんか?”

図5 日本科学未来館のシンボル、Geo-Cosmos
図5 日本科学未来館のシンボル、Geo-Cosmos
図6 私と橋本さん
図6 私と橋本さん

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