瀬山士郎先生の 数学よもやま話

第1回数学ブーム?

しばらくの間、数学に関するエッセイを連載することになった。数学そのものに深く踏み込むことはできないが、その周辺部を散歩するというスタンスで話を書きたい。少しの間お付き合いください。

2016年6月29日の毎日新聞夕刊は、1面を使って「数学ブーム なぜ続く」という特集を組んだ。そういいながら、記事は「三角関数を思い出すだけで嫌な思い出がよみがえる」で始まるのだが。哲学者國分功一郎は著書『民主主義を直観するために』⁠晶文社)の中で、バートランド・ラッセルを引いて次のように書いている。⁠ラッセルによれば、かつて教育は楽しむ能力を訓練することであった。⁠ラッセル 幸福論』岩波文庫56ページ)これは楽しむという行為が決して自然発生的なものではないということを意味している。楽しむとは、何らかの過程を経て獲得される能力であり、こう言ってよければ、一種の技術なのである」ここには昨今の数学ブームと言われるものへの大きな示唆がある。数学を楽しむためには一定の訓練を必要とする。多くの人が、それは数多くの問題を解くことだと誤解しているが、そうではない。確かに問題を解く練習をすることは大切だが、それ以上に、記号の意味を読み解く訓練が必要なのだ。数学は記号を使って想像力を展開する学問である。一見無味乾燥な数学記号は、それを読み解く能力がつくと、人の想像力を解放してくれる魔法の呪文のようになる。多くの人が数学に興味を示すのは、数学が人の想像力を刺激し、数学によって開ける新しい未知の世界があることを直感的に感じ取っているからだ。学校教育の場での数学教育はよくその期待に応えてきただろうか。もう一度、学校数学、特に小、中学校の数学教育を見なおす必要があるのかもしれない。

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