になりたいなあと思ったんです」
──どちらかというと、宇宙飛行士に憧れる人が多いような。
加藤「私は、管制室でマイクとイヤホンつけて宇宙飛行士と交信している人、あれになりたくて。小学校の卒業文集の将来の夢には『NASAに行くこと』って書いてあります」
加藤「で、ずっと宇宙物理をやりたくて、『Newton』とかホーキングの本を買って読んだりして、中学3年生のときには宇宙物理学者になりたい! と気持ちが固まっていました」
──そして着々とNASAへの道を進まれて……。
加藤「でもあるとき気付いたんですよね、物理学ができないと進めない、と。力学が全くできなかったんです。気持ち悪くないですか?『摩擦はないものとする』とか」
──あはは、確かに。「これを球とみなす」とか、仮定が多いですよね。
加藤「どうしてもそれになじめなかったんです。
その間も『Newton』は買って読んでいたのですが、高校1年生のときかな? DNAの特集が組まれていて。それを読んで『これから世界はこれだよ!』(ガッツポーズ)と思って」
──パラダイムシフトですね。
加藤「あと、生物の先生が放任主義だったというか。教科書に載っている内容の、その先を話さない。『ここから先は面白いんだけど、それは高2になったらやるから今は教えない』とか。そうすると気になるじゃないですか」
──「続きは来週のお楽しみ」のノリですものね。
加藤「気になって授業を全部受けていったら、最後に『ここから先は専門的になるからやりたい人は大学に行って』と。そこでまんまとのせられて、生物学の道に進みました。本当に教え方のうまい先生でした」
加藤「でも私、大学受験の勉強は全くしなかったんです」
──えっ? それはどーいうことでしょうか?
加藤「決めてたんです、高校3年生までは受験勉強を絶対しないって。高校生活ってそのときしかないから、学校でできることは全部やってから卒業しようと思って。だってもったいないもん、受験は浪人してもできるし」
──ははあ、気の小さい私は高校2年生の終わりから受験勉強を始めたんですけど……器が違うというか。
加藤「そして、高3のときに、どうやら受験しなくても生物系に進学できる方法があるらしいことを知って、筑波大学の一般推薦を受けて入っちゃったんです。学校生活を楽しむために生徒会とかクラス委員とか部活動を熱心にやっていたんですよ。それが良かったのかな」
加藤「もしも、一般推薦に落ちたら浪人して音大を受験しようと考えていました」
──ということは、その頃から音楽に興味があったんですね。
加藤「はい、高校よりも前に、中学のときに担任の先生から『お前は理科と音楽どっちが好きなんだ?』と聞かれたことを覚えています」
──その二者択一はすごい。
加藤「そのときは、その先生が理科担当だったので『理科です』って答えちゃったんですけど(笑)。私、そういう部分があるんですよね、人が喜んでくれるほうをとる、というか。その先生じゃなかったら多分『音楽です』と答えていたと思います」
──人に喜ばれるほうに行く、というのはまさに加藤さんが今されているお仕事につながりますよね。
加藤「そうなんですよ。原点はあのときの究極の選択にあるのかなと。他にも好きな教科はありましたけどね、漢文とか。多分、私は理系じゃないんです。書くの好きだし」
理科と音楽、2足のわらじから得たモノ
好奇心旺盛で多方面にアンテナを張る加藤さん。筑波大学入学後は、なぜか音楽大学に入り浸っていたとか。ここに、現在のお仕事につながるヒントが隠されています。
──そして大学に入るわけですよね。
加藤「入って知ったんですが…… つくばは遊ぶところではなく勉強するところだ、と思いました。宿舎にいたんですが、週末は東京の実家に帰っていましたね」
──文化的な加藤さんには厳しかった、と(笑)。毎週、毎週ご実家に?
加藤「はい、そんな感じでした。
大学1年の6月頃かな。実家で新聞を読んでいたら、大学で行われる夏休みの公開講座の記事が載っていたんです。そこで、東京芸術大学の公開講座に参加して、友だちができて、それから彼らの大学にこっそりもぐりこむ生活が始まりました」
──なるほどー。芸術に触れるきっかけをつかまれたわけですね。ところで、その公開講座の内容は?
加藤「指揮法と、リズムの講座でした。そこで同世代の学生さんたちと知り合って、遊びに行くようになりました。ひどいときは月~水曜まで筑波で、木曜の午後からオペラ関連の授業にひそかに参加したり。レッスンの手伝いもしたし、学園祭の裏方にも混ぜてもらいました」
──なんだか芸大に本籍を置く学生みたい!
加藤「『えせ学生がいる』ってよく言われていました(笑)。でも、そこで学んだことが大きかったですね。私は彼らからオペラのことを色々と教わって。逆に私は彼らに生物学の話をしたりしていました。例えば、歌手はノドを大事にするから風邪に気をつけるという話から、ウィルスに抗生物質が効かないのはなぜ? という説明をしたり。音楽学部の学食で染色体の絵なんか描いていました。あと、電気泳動の話をしたり」
──お互いに、専門のことを教えあっていたんですね。
加藤「はい、異文化交流してました。自分の学部では当たり前のことが、そこでは知られていない。タンパク質や細胞って普通の人は知らないんだ、ということを肌で感じましたね」
──「知らないということを知る」って大事だと思うのですが、その機会ってあまりないですよね。
加藤「そうなんですよね。異文化コミュニケーションできたことと、人脈が広がったことは大きかったです」
理系進学のメリット
そんな生活を続けながらも「生物学は生物学で楽しかったから単位は落としていなかった」という加藤さんは、大学院に進学します。理系に進学して得られたメリットとは……。
──修士と博士がくっついた5年コースに進学されたんですよね。5年というと、ある程度の覚悟が必要かと思うのですが、迷いはありませんでしたか。
加藤「実は、大学4年のときにはオペラのプロデューサーになりたくて、オペラの先生のところに丁稚奉公していたんです。秘書のような形でお手伝いをして」
加藤「でも、ある日その先生に、教授から大学院進学を勧められていることを話したら『西洋ではドクターの称号持っていると扱いが違うよ。ホテルでダブルブッキングになったときに、いいほうの部屋に通されたりするんだぜ。入試がそれほど大変じゃなくて、音楽をやる暇があるようなら、進学してみたら?』って言われて。『そっかー!』と思って受験を決めちゃいました(笑)。まあ、自分でも長く学生でいたかったし。なので本当に参考にならなくて悪いんですけど…。」
──簡単におっしゃっていますけど博士号をとるって簡単じゃないですよ。長かった大学生活で学んだことで、一番役に立っていることって何だと思われますか。
加藤「……全部の科目がおもしろかったので、無駄なことが1個もないかも。そりゃ中にはめんどくさいのもありましたけど(笑)」
──それは物事をプラスに見られるからでは?
加藤「いやー、だって必ず何かには使いますもん。
あと、新しい情報が怖くなくなったこと。専門家には聞けば何かの情報はもらえるから。例えば私はITとか工学のことはパッパラパーです。でも適切な条件で勉強すれば、たとえ専門家にはなれなくても、ある程度は理解できると思うんです。理科系の情報は怖くない、と」
──聞けば分かるという自信ですよね。他にも思いつかれることはありますか。
加藤「情報のありかが分かったことですね。大学に行けば専門の先生がいて、みんな聞けば親切に教えてくれるってことを知ったことかな。あとは図書館の使い方や学術論文の探し方を知っている」
──情報へのアクセスの仕方を知っているって大事ですよね。
加藤「これができると未知なことにも明らかにチャレンジしやすいですし。
学生時代に進学で文系と理系を迷ったときに、理系をとった理由は、文系の学問は自分でできるけど、理系の学問は、行って実験室を見たり実験器具を触ったり専門家に話を聞かないと難しいと思ったから。
でも実際に行ってみると、その専門家との接し方とか、専門情報の取り出し方がすごく役に立ったかな」
主婦のおばさまたちにバイオを説く日々
加藤さんは「生命倫理」という分野が大学院時代のご専門。加藤さんいわく「文系と理系の境界の学問」とのことですが、どのような研究を行っていたのでしょうか。
加藤「実は私、大学4年生の時点で理系をドロップアウトしているんですよ」
──えっ? それはどういうことでしょう?
加藤「4年生で研究室を選ぶときに生命倫理を選択したので。筑波大学ではこの分野の研究室が一応理系の中にあって、私の博士号も理学なんですが、生命倫理ってそもそも文系と理系の境界の学問じゃないですか」
──はい、まさに。その生命倫理を選択された経緯は?
加藤「私は『遺伝子組み換え反対!』とか『クローンは怖い!』とか、生命科学対する危機感からこの分野に入ったわけではなく、むしろ『なんでこの技術はこんなに受け入れられないんだろう?』という疑問を持って、研究を始めました。だから哲学とか法律とか、文系の学問分野で生命倫理をやっている先生方とは、視点が違うと思います」
──生命倫理のご研究を通して、何を得られましたか。
加藤「生命倫理をやってる先生方って、よく『一般人も交えて広く生命倫理の議論を!』って言うんですよね。だけど、一般の人ってそのテーマに興味も関心もなければ知識もないのが普通で」
──それはもう、おっしゃるとおりで。
加藤「遺伝子って何? っていうところからなのに、いきなり遺伝子組み換えの是非を議論しても仕方がないんじゃないかなと。私が生命倫理を研究した結果は、生命倫理を議論する前にやることがあるのでは、ということだったんです」
──その「大前提」に気づく研究者は少ないような。
加藤「そこで、知り合いのおばさまたちを集めて主婦向けにバイオ講座を始めたんです。一般の人に遺伝子って何? という話をしてみたら、一般の人がどれだけ分からないのかも分かるし、何が分からないのかも分かる。大学院2~3年の頃だから7~8年前ですね」
──1人で、しかも学生時代に行うとは、行動力が半端じゃないですね。
加藤「それを自宅で始めたんです、お菓子持ち寄って。
そうすると、子供3人がっちり育てて独立させました! っていうたくましいお母さんが、『胎児の性別がいつ決まるのか』を知らなかったりするんですよ。『妊娠3ヵ月頃かしら?』とか」
──えっ? 受精のときじゃなくて?
加藤「超音波で男女が分かる時期があるじゃないですか、そのときに決まると思っている人が結構多くて。ショックなんだけど、これが普通なんだと思いました」
──なるほど……。普通の感覚が分からないとだめですよね。
加藤「そうなんです!『キュウリを食べると男の子が生まれると言われますが、染色体にどんなことが起きるのですか』とか質問されました。どうやって真摯にお答えしたら良いか、悩みました。」
加藤「あと、大学生がゼミで遺伝子検査を扱いたいから教えてくれってやって来たので、一生懸命しゃべったんですが、全部説明した後に『ところでタンパク質って肉とか魚とかですよね?』って聞かれて、最初からやり直さないといけないようなことが」
──これまでした話はなんだったのだろう、と。
加藤「一般の人にとっては『タンパク質=魚・肉・卵・豆製品』だということが、そのときに分かりました。遺伝子の話をするには、最初に物質としてのタンパク質の話から始めないといけないということを、そのとき肌で感じましたね」
加藤「後は飲み屋で開かれた会合でおじさまたちに講義をしたりとか。中年以上の男性がいるときは「男女の性別は精子で決まる」と言うと、すっごく盛り上がるんです。俺たちだって役立ってるんだーって」
──でもこれって、実際に人と接しているからこそ気付くことですね。
加藤「本当にそう思います」
このような草の根的な活動を積極的にされていた加藤さん。そして、新たなきっかけとなる「出会い」が訪れます。
加藤「そのような会を開いていた頃です。ある学会の手伝い中に、加藤さん(加藤和人准教授・京都大学)の講演を聞いてその話の面白さに感動して、懇親会のときに名刺を交換したんです」
──生命科学と社会の関わりの研究ならこの人! って先生ですよね。
加藤「卒業の年まで全然進路を考えていなかったので、博士論文を書き終わったときに加藤さんに電話をしてみました。『論文書き終わったから、何か一緒にしてみませんか』みたいなことを」
──それはまた大胆な(笑)!
加藤「そしたら運良く『僕、ちょうど研究室を立ち上げることになったからポスドク1人必要かも。来てくれます?』って言っていただいて、京都に行くことに。でもやっぱり東京での活動があったので、京都と東京、半々ぐらいの生活を続けていました」
オフィス設立のきっかけは、音楽のほう
2年間の研究室勤務を経て、2006年に起業。冒頭でお話していただいたような、科学と文化のプロデュース活動を行っています。
ところで、科学コミュニケーターとしての活動は大学院時代から想像がつきますが、やはり気になるのは音楽とのかかわり。そもそも音楽がきっかけで、オフィス設立に至ったのだとか。
──今のようにコンサートを始めようと思ったきっかけを教えていただけますか。
加藤「歌手や演奏家って、表に出れば出るほどうまくなるんです。本番の場数で決まる。ところが若い音楽家にとっての場があまりないらしい、ということを、音大生と仲良くなってから知ったんです」
──これからの人なのに、そのような場に恵まれない、と。
加藤「学生をしている間に、200人以上の若い音楽家と知り合ったのですが、彼らをよく見て考えてみたら、自分の立ち位置を見出せたんです。彼らは音楽をする、私は場を作る。違う視点、つまりイベントプロデューサの視点で見られるんじゃないかと」
──ここで「プロデューサーの視点」になれるのは、誰にでもできることはないと思いますが。
加藤「みんなはお客さんの前で舞台に立って歌や演奏がうまくなる、私はプロデュースをたくさんやればプロデュースが上手になるんじゃないかと思いました。そこでコンサートをやることにしたんです。それが大学4年のとき」
──大学4年で、とはかなり早い段階ですね。
加藤「コンサートホールを借りるときに団体名が必要だったのでオフィス名をつけました。そのときは会社ではなく、非営利団体という形で。一人でしたけどね。」
──はー、その頃に個人で団体を立ち上げちゃった、と!
加藤「なので、私が大学院を出て本格的に起業したときも、誰1人驚かなかったんですよ。学生時代から会社ごっこをしてましたから」
──本当に好きなことが仕事に直結しているんですね。
加藤「嫌いなことはしませんから! 好きになったり嫌いになったりはその時々で起こりますけど、その瞬間イヤなことは基本的にはやっていないんじゃないかな」
私の考える理系女性は……
最後に、加藤さんのイメージする「理系女性」について聞いてみました。
加藤「自分はもともと理系でも文系でもなく、境界に立つ人間になりたかったから……難しいですね。ただ、理系の学問も怖くないし、もともと学歴がそこにあるので、理系ということになるのですが」
加藤「あ、理系かどうかというのは「怖くなさ」で決まるのかもしれないですね」
──「理系の学問」は怖くない、という感覚でしょうか。
加藤「あと、理系女子って聞くとピンとこないんですよね。理系男子だとすぐ浮かぶのに(笑)。自分はそこに入らないかもしれない……入らないというより、ボーダーの人間だと思います」
加藤「私は競争が好きじゃないんです。負けず嫌いなので、自然と人がいない方向に進む。
スペシャリストではなくジェネラリストになりたい。そして広く浅くではなく、広く深く関係をつくりたいですね」
──広く深く、というと、おそろしく難しいような気もしますが。
加藤「いやいや! 人をつかまえると自然と深くなりますよ!」
(2009年5月 対談収録)
そんな加藤さんには学生時代の体験から学んだ「仕事をするときに心がけること・五箇条」があります。それは、
- 数打ちゃ当たる
- 誰も取って食わない
- 人脈が仕事を呼ぶ
- 無駄な経験はない
- アイデアを捨てない
とのこと。この五箇条が、理系と文系の両立を生み出したのでしょう。いやはや、そのパワフルな行動力には、頭が下がるばかりです。
(イラスト 高世えりこ)
- プロフィール
加藤牧菜(かとうまきな)
学生時代の専攻:生物学(生命倫理)。
1976年東京生まれ。筑波大学第二学群生物学類卒業、同大学院生物科学研究科修了。京都大学大学院生命科学研究科勤務を経て、現在は「科学と文化」のプロデューサーとして活躍中。2006年~㈱オフィスマキナ 代表取締役。