今回の“理系なおねえさん”は、サイエンス・イラストレーターの菊谷詩子さん。幼い頃からとにかく絵を描くことと、生き物が好きだったという菊谷さんは、その2つを見事に融合させた職業に就いています。海外では一般的ですが、日本ではまだ珍しいサイエンス・イラストレーターの世界に、どのようにして踏み入れたのでしょうか。
日本ではまだ珍しい科学絵専門のイラストレーター
さっそくインタビュー開始!と、思ったものの、資料として持ってきていただいたイラストレーションファイルに思わず見入ってしまうのでした。「わー」とか「ほー」としか言えないインタビュアー……。
――サイエンス系の文章だと、絵が入ると入らないとでは全然違いますねえ。数千字の文章が、一枚の絵で表現できてしまうという説得力があります。
菊谷「特に生物系はそうですね。(内田が見入っている絵を指して)……それはワイオミング州にあるビッグホーン盆地の復元ですね」
――日本だと、サイエンス・イラストレーターの方はどのくらいいらっしゃるのでしょうか?
菊谷「自ら名乗っている方はあまり多くないです。どこまで広げるのかは本人の自由なので。例えば恐竜の絵を専門に描かれている方は、自分のことを“恐竜画家”や“復元画家”、植物の絵を描かれている方だと“ボタニカルアーティスト”とおっしゃっていたりします。」
――「この分野!」と決めてイラストを描かれている方の割合ってどのくらいになるのでしょうか?
菊谷「特定の分野を専門的に、半分研究者として描かれている方のほうが多いですね。私は特定のものではなく、生き物全般に惹かれてこの世界に入ってきたので、広くカバーしているほうだと思います」
サイエンスライターですら最近になってようやく社会に浸透してきたかも? という程度の日本では、サイエンス・イラストレーターの認知はまだまだこれから。菊谷さんがこの道に入ったきっかけも、この職業の存在を知ったことからだそうです。
――絵を描くことは小さい頃からお好きだったんですか?
菊谷「はい。絵の道に進みたくて美大予備校にも通ってみたのですが、自分には無理だと思ってあきらめました」
――そこで、もう1つの関心事だった生き物の道に進学するわけですね。美大と東大の理学部、この2つの間で迷うというのは端から見ると贅沢で羨ましい悩み! 本当に両方がお好きだったんですね。
菊谷「ですので、絵といっても元から好きだった植物や動物の絵ばっかり描いていました。けれども、美大となるともっと違うことが求められるじゃないですか。自分の内面と向き合うような。そういうところが私には無理かも、と思ったんです」
――サイエンス・イラストレーターですと、純粋に菊谷さんが好きな生き物を描けますもんね。
菊谷「大学在学中に、こういった職業があるということ、そしてそれを教えてくれる学校の存在を知ったことが、この道に入ったきっかけですね。“画家”というと遠い存在でしたが“生き物が好きだということと組み合わせられるんだったら自分に合っているのでは”と思えたんです」
――なるほど。自分の「2つの好き」を組み合わせた、ぴったりの職業ですね。生き物好きも昔からですか?
菊谷「はい。アフリカで過ごした小学校時代の影響が大きいです」
豊かで楽しかったアフリカ生活
実はご両親の仕事の関係で、小学校の5年間をタンザニアとケニアで過ごしたという菊谷さん。
――アフリカでの生活、というと私にはまったく想像がつかないのですが……
菊谷「断水1週間は当たり前、みたいな(笑)。日本でいう普通の生活とは程遠い暮らしでした。母はないものづくしで家事がやりにくくて苦労していたみたいですけど、私は楽しかったですね。動物好きの子供にとっては天国でしたよ、まわりが全てサファリパークですから」
――確かに! ということは、アフリカに行く前から動物好きだったんですね。
菊谷「好きといってもアリを捕まえて飼ったり、犬や鳥を飼ったり。普通の子どももやっていますよね。私はそれが未だに好きなだけです」
――いえいえ、興味を持ち続けるということは、難しいですよ。これは理科離れの話に繋がりますが、途中で興味が薄れてしまうということも大きいと思います。人によりますが、小学校に入った時点、または中学校に入った時点で学校教育によって断絶が起こるんですよね。
菊谷「そう考えてみると理科好きになるきっかけに恵まれていたかもしれません。タンザニア時代に補習校で来ていた(当時タンザニアには日本人学校がなかった)理科の先生は色んなものを作って見せてくれましたし、ケニアの日本人学校でも理科の先生がとても頑張って実験をしてくれました。薬品を混ぜて気体が出たりするのを実際に見ると、楽しくって」
――今、小学校だと文系の先生が理科を兼任すること多いですよね。実験する機会も減っているとか。
菊谷「やっぱり先生自身が理科を好きだっていう気持ちが伝わらないと、なかなか教わる側にも面白さがわからないですよね」
――ところで、小学校のときずっとアフリカにいて、中学で日本に戻るとなると、カルチャーショックが大きそうですが……。
菊谷「自分の常識が通用しないことが辛かったですね。日本人学校には通っていましたが、どうしても補えないところはあって。例えば、“日直ってなんだろう?”とか。あと、世代的にちょうど日本に帰って来た当時は校内暴力の嵐でしたから、そのギャップが……(苦笑)」
――アフリカでのんびりと過ごした日々を思うと……ですよね。
菊谷「最初は途方に暮れていました。普通じゃない環境を経験してきたので、その後どうやって普通に生きていくかすごく悩んだんです」
やっぱり絵が好き、やっぱり生き物が好き
さて、当初はギャップに戸惑いながらも、絵と生き物への興味は持ち続けた菊谷さん。そして冒頭の通り、大学進学で生き物への道を選択し、東京大学理科II類に入学後、理学部動物学科へ進学します。絵のほうはサークル活動で趣味として楽しむことに。しかし専門課程に進んでから、この2つを結びつけるような出来事が。
――専門課程になってからは、授業でもよく絵を描く機会があったとお聞きしますが。
菊谷「私が在籍していた当時、実習はスケッチからはじまったんです。組織学の実習として、マウスから作った切片を染色して顕微鏡で見ながらスケッチするというのが一番はじめ。発生学の実習では、アフリカツメガエルの卵を発生段階を追ってスケッチするとか。臨海実習では、最終日に獲ってきた生き物をスケッチする……こんな感じでスケッチの授業がずっと続いて、私はとても楽しかったんですけど、まわりの同級生には不評でしたね」
――描けない人にとってはつらいですよね。面白そう、とは興味があるのですが、もし絵のダメな私が、そんな実習を受けるとしたら、とんでもないことになっていそうな(笑)。
菊谷「それに、さあこれから研究だ!っていうときに、何でこんなプリミティブなことをしないといけないんだっていう不満もあったと思います。でも、どんなに科学が発展しても、基本は観察ですからね。いくら高度で最先端な技術でも、人が確立したものならある意味踏襲できるわけで」
――まさに、基本をおさえておかないと、何も始まらない。
菊谷「その上で新しい自分の発見なり工夫なりの力をつけるための、とても有意義な実習だったと思うんですけど、当時は皆もっと最先端のことをやりたがっていましたね」
――今となっては実習の経験をありがたがっているかも。その場では菊谷さんの評価はもちろんダントツですよね?
菊谷「どうでしょう、点描でしたからね。生物学では基本、点描画なんですよ。線で描きたくてしょうがなかったです(笑)」
――あ、そうですよね(笑)。
菊谷「この実習経験のおかげで、生き物の絵を描きたいと強く思うようになりました。特に臨海実習で様々な海の生物を描いたときに、その多様性に感動したんです」
――この時点ではサイエンス・イラストレーターという職業は
菊谷「まだ知らなかったです。実習後もしばらく自分は研究者になるんだろうな、と思っていました」
――そして大学院に進学されるわけですね。ちなみに研究テーマは?
菊谷「ヒラメの体色変化です。ヒラメはまわりの環境に応じて体色を変えますよね。そのときの脳の仕組み、ヒラメが外の世界をどう認知しているのかということを、動物生理学的にやりたいなと思って選択しました」
――私自身は、「自分は研究者には向いていないのでは?」と悩みながらもずるずると博士まで進学したのですが、菊谷さんはどうでしたか。
菊谷「私もそうです。研究者として向いているか向いていないか……決定打がなかったんですよね、他の選択肢も」
――その「決定打がない」という感覚、私もわかります。
菊谷「研究って、自分で目的を見つけて抽出していきますよね。でも私は抽出ではなくて、全体を捉えてそのすごさを表現していきたかったんです。生き物って物凄く緻密にできているなあと感心したので、その中で1つのことに集中して実験を重ねていくということではなく、自分の好きな絵を描くことで自分の知的好奇心を満たしていく方法で何かできないかなとは考えていたのですが」
――菊谷さんのその好奇心の方向、博物学に通じるような気がしますね。
サイエンス・イラストレーターという仕事の存在を知ったのはちょうどそんなとき。1枚のある記事がきっかけでした。
――サイエンス・イラストレーターというお仕事を知ったのは、いつですか?
菊谷「修士1年のときに、いま日本大学芸術学部の教授をされている木村政司さんの記事を読んで知りました。記事の中で、サイエンス・イラストレーターを紹介していたんです。その後木村さんにコンタクトをとって、情報が広がっていったという感じですね」
――そのチャンスのつかみ方は積極的ですね。そこからトントン拍子で専門知識をつけられたのですか?
菊谷「いえ、木村先生からはアドバイスだけをいただきました。アメリカにはそういう団体があって、学校もあるということを。そして“自分がやりたいと思っていればそれは叶うよ”と言って下さったんです。たいていの人は“せっかく東大に入ったのにもったいない”とか言うじゃないですか。木村先生のように言ってくれる人はあまりいなかったので、その言葉が後押しになりました」
――私は、研究者というレールを途中で外れることに対しての劣等感がありましたが、そういうことはなかったですか?
菊谷「抜け道を作っておいたんです。修士はとり、博士2年目に休学扱いで1年間だけ向こうに行くという。向こうでダメだったら大学に戻ろうかなと」
――自分の中でちゃんとノルマのようなものを課していたんですね。
勤勉な留学生活とゾウの鼻
そして渡米。「あれほど必死だった1年はなかった」と自ら回想するほど濃密な留学生活を送ります。
菊谷「時間もお金もなかったので、人一倍必死でした。ここで踏ん張らなかったらどこで踏ん張るんだ、ぐらいの気持ちで。おかげで“日本人=勤勉”のイメージをまわりに植えつけることができたと思っています(笑)」
――授業カリキュラムはどんな感じですか?
菊谷「9月入学で、授業自体は6月で終了。そのあとは実地訓練で、インターンのように自分で仕事を見つけてくるシステムでした。私は運よくたまたま、部屋を貸してくれていた人が雑誌の編集者だったんです。その関係で編集長に紹介してもらい、この初仕事をいただきました」
――おー、ゾウの鼻ですよね? 鼻の動きに、断面図まで。
菊谷「イスラエル人の研究者の方と電話とメールでやり取りして作成しました。ゾウの鼻って実は他に資料がほとんどないんです。そのことを先方に伝えたら、いきなり鼻の輪切りのホルマリン漬けがジップロックに入った状態で送られてきて……びっくりしましたよ。ゾウの鼻がまさかこんな形で送られてくると思わなかったから(笑)」
――それは驚きますね(笑)。そんな気軽な状態で送られてくる鼻のホルマリン漬け、見てみたい気がします。
菊谷「この依頼をした研究者の方は色々と指定が厳しくて。初仕事でしたが、その後の仕事のほとんどが楽に思えるぐらいでした」
――ところで鼻の断面ってこういう形なんですね。骨は皆無ですか?
菊谷「はい、全部筋肉です」
――じゃあ将来、ゾウが絶滅してその化石が発掘されたとしたら…。
菊谷「骨だけ残ることになるので、相当おかしい生き物だって思われますよねえ。他の資料から、鼻が長かったんだろうなとは推測できるでしょうけど、見たことないんだったらありえない形だなって思うんじゃないですか。見慣れてるので何も思わないけど、よく考えるとすごく変わった形ですもんね」
――子どもが動物園で初めて見ても、「ホンモノの象」と驚きはしますが、怖がらないのは、絵本の中で既に知っているからなんですよね。全く見たことなかったら変な生き物だなあって思うでしょうね。
知らないことは怖いこと
卒業後は、しばらくアメリカで活動し、2001年に帰国。現在は教科書、図鑑、博物館の展示等のイラストを制作しています。創作活動についてお聞きしました。
――菊谷さんの絵を見ていると、すごく繊細に1本1本の線を描かれていて、まさに愛に溢れている感じが伝わってきます。どのような気持ちで描かれているんですか?
菊谷「締め切りのことを考えながら(笑)。うーん……楽しいって思う瞬間もあるし苦しいって思う瞬間もありますし。まあ総じて言えば楽しいのかな」
――確かに(笑)。物書きでも、書き始めるまで、書いている最中は物凄く苦しいです。
菊谷「下絵が決まらないときは苦しいですね。“よくわからないけど、なんか…この形ヘン!”みたいな。リサーチと下絵がいちばん手間がかかります。わからない部分があると苦しいですね。でも、そこが決まってしまえば後は描くだけ、なんですが」
――リサーチの方法は
菊谷「まずは文献、論文で調べる。そして、研究者に直接聞く。恐竜など既に絶滅してしまったものは、骨格やそういった事前調査から推測して描きます。もちろん実在するものはなるべく見に行く。野生のものでも動物園で見ることができますから。ただ、アフリカで実際に野生状態の動物を見ているので、動物園のものは野生とはだいぶ違うと思いますけどね。覇気が違ったり形崩れしていたり……何かが違うんですよね」
――えっ! 私は動物園の動物からそんなことを感じたことはないです。野生との違いがおわかりになるのはすごいと思います。
菊谷「知らないことが怖いですね。実は知らないのに描いているんじゃないのかということがいちばん怖いです。まあそれは仕事を続けている限り、満たされることはないんでしょうけど」
――そういう「怖い」という不安がなくなってしまったら、アーティストとして終わりなのかもしれませんね。
理系女性ですが、何か?
さて、なかなかユニークでグローバルな経歴をお持ちの菊谷さんに、本企画の大テーマである“理系女性”について、最後にお尋ねしました。
――この本のテーマとも関連するのですが、理系女性ってどういうイメージですか
菊谷「……難しいですよね。理系女性ということで何か思うことがあるのだとすれば、それは外から見た人の感想ではないかな、と。なので自分はよくわからないです。あえて言うとしたら“なんとなく理系に進んだ”という人はいないですよね。
――確かに。皆さんそれぞれ「理系にする」という意志はお持ちのような気がします。
菊谷「あと、私は生物系だったのでまわりに女の子は比較的たくさんいたんです。この企画をいただいたときに“テーマになるほどまだ少ないのか”と思ったぐらい。工学・物理系がまだ少ないんですかね。どうして増えないのか不思議です」
――少ないですよー、工学系は特に(笑)。どうしたら増えますかねえ
菊谷「女の子が物理や化学をやるっていうのは、社会的に何かあるんですかね。私が親に絶対言われなかったのは、“女の子だから◎◎しなさい”ということです。そういう意味で自分で“女だから~”という感覚がなかったのかもしれないですね」
――自分も親にも言われたことないですし、自分でも「女だから」という感覚はありませんでしたね。
菊谷「あと、理系女性という言葉からレッテルを連想してしまうのですが、私はレッテルと戦ってきた人生なんです。アフリカに行けば日本人というレッテル、日本に戻ればアフリカ帰りの帰国子女というレッテル、大学内ではやっぱり女子というレッテル。大学の外に行くと、東大生というレッテル。東大で理系の女という三重苦(笑)。結婚したら妻というレッテルも出てきましたし。そういうのに反発して生きてきたかも。“理系女子? それが何か?”ということで(笑)」
(2009年5月 対談収録)
おっとりと穏やかなたたずまいの菊谷さんですが、お話ししてみると芯があって、ぶれない強さを感じました。フロンティアな分野でのクリエイターとしてお仕事をされているだけのことはあります。
そして、菊谷さんの言葉で印象に残ったのがこちら。
- 「対象を描くとき、光の波長を感じて目がそれを処理して頭の中を通って出てくる。この頭の中を通るとき、自分でその対象との距離を縮められるような気がする。私はリフレクションとして対象を処理しているのではなく、ある意味自己投影を含めて絵を描いていると思います」
菊谷さんの作品は、まさにそんな「菊谷さん自身」が自己主張しすぎることもない密やかさで、でも揺るぎない形で表現されていると感じました。
(イラスト 高世えりこ)
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- プロフィール
菊谷詩子(きくたにうたこ)
学生時代の専攻:動物学。
幼少期を東アフリカのケニア、タンザニアで過ごしたことをきっかけに野生動物に興味を抱くようになる。帰国後、東京大学理学部生物学科動物学コース(旧東京大学理学部動物学科)に進学。修士号を取得後、米カリフォルニア大学サンタクルーズ校(当時※)へ留学、サイエンス・イラストレーションを専攻。アメリカ自然史博物館でのインターン期間を経てニューヨークを中心に活動。2001年以降は日本で教科書、図鑑、博物館の展示等のイラストを制作している。
(※現在はカリフォルニア州立大学モントレー校で専攻が可能)
URL:http://www.utakokikutani.com/