(笑)」
――新聞紙!!
中村「食事とかはドアの外に置かれて。看護婦さんの顔を見るのは1日2回の点滴のときだけ。24時間1人がつきっきりで次の日はまた別の看護婦さんが来る形なので、新人の看護婦さんのときは点滴の針がうまく刺さらなくて辛かったですね…」
――すごい世界ですね…。ただ、将来お医者さんになる身としては、患者としてのリアルな体験ができて良かったのかもしれないですねえ。
さまざまな経験を経て、無事医師に。現在は泌尿器科の女医として奔走する日々です。
――ところで、どうして泌尿器科を選んだのですか?
中村「対極にある科がないんですよ。例えば胃がんだったら、手術をする外科と、内視鏡で治療をする内科とか、一つの症例が治療法によって分かれてしまう」
――「こっちの科だ」「いやこっちの科だ」という感じで、1人の患者さんを取り合う雰囲気を感じるのですが、それに近いですよね。
中村「それが、泌尿器科だとほぼ一つの科でできるんです。だから信頼をつけてさあ手術するぞっていう外科的治療もしやすいし、逆に化学療法や内科的治療になった場合でも診やすいし、最後の緩和治療までもできる」
――最初から最後まで。
中村「ええ。患者さんに診断をつけるところから始まって、治るあるいはお亡くなりになるところまで一つの科で診ていきやすい点が魅力的だったんですよね」
――それは患者にとっても嬉しいですよね。でもそれだけ範囲を広く勉強しないといけないですよね。
中村「そうですね。だから、普通じゃあまり耳にしないような珍しい症例まで覚えておかないといけない、全部診ることができないといけない、という大変さはありますね」
――そのぶん、責任が大きいですね。
理系頭は「大人気ないお父さん」のおかげ?!
数学が苦手と言いながらもきちんと克服できたのは、素地がしっかりしているに違いない!聞くところによると、その理系頭の素地は、お父様のユニークな教育法によって形成されたようで…
――小さい頃の思い出で、理系へのきっかけみたいなのはあります?
中村「あんまりそういうのがないんですよね。弟は昔から理系な感じですけど」
――弟さんはエンジニアでしたっけ。
中村「はい、バリバリの理系です。昔からものづくりも好きでしたし。でも私は違いましたね。内田さんみたいに実験が好きだったわけでもなく、どちらかといえば嫌いで。結果がわかってるのになんで再現しないといけないの、っていう気持ちがあって」
――予定調和的なことが苦手だったんですね。
中村「結果が出ていることをわざわざやるのがめんどくさかったんですよね。自由研究も最終日に母親に泣きついて完成させてました」
――その場でやっつけで(笑)。
中村「はい。勉強も大嫌いだったから全然しませんでした。算数はできたから理系かなとは思ってましたけど。物理は担任の先生の教え方がすごく上手だったから好きになれたんです」
――あの先生は教え方がお上手でしたよね。つくづく思うんですけど、先生あるいは親の影響って大きいですよね。
中村「そうだ、うちは父親がすごく理系なんですよ。小学校のとき一緒にお風呂に入ると色々なことを教えてくれてましたね。小学校3年生の頃にルートの出し方を教えてくれたりとか」
――ええー!小3で?
中村「3×3=9っていうのはその頃もう知っている。9のルートが3なんだよ、じゃあ5のルートはどうやって出すかわかる?っていう感じで。内容はもう忘れてしまいましたが、こうやって計算したら出せるんだよ、って手計算で教えてくれました」
――素敵なお父さんですね。その影響は絶対ありますよ。
中村「1から100までの足し算をしよう、とか。お父さんは絶対勝てるぞ!いやいや私のそろばんのほうが早い!ヨーイドン!……で、大人だから数列使うじゃないですか」
――数列使っちゃうんですね(笑)大人なのに大人げない(笑)。
中村「そう、今思うと大人げなく(笑)。で、お父さんすごい、魔法使いみたい!私のそろばんより早い人がいたなんて!!となる。それで数列の出し方を教えてもらったりとか。生活の中でちょこちょこ算数的なことは教えてもらってましたね」
――すごく教え方がうまいですね。普通、子ども相手だったらわざと負けたふりしそうですが。
中村「大人げないんですよ。今日だって孫と算数カードをやるのに本気出して。うちの子、意気消沈しちゃって」
――まさに素敵な“理系くん”ですね。でも、家庭の中にそういう何気ない「理系のタネ」が少しずつ散りばめられていることって、すごく大事だと思います。
中村「あと、幼稚園のときからお小遣い制でした。小さい頃から自分でお金を管理していたから、簡単に頭の中に算数が入ったのかもしれないですね。10-9より、100円-90円のほうがわかりやすいじゃないですか。100円で●円と▲円のお菓子をいくつずつ買う、とかも。現実社会での計算の必要性を小さいときから身につけておくことは大事ですよ」
医者はあまり理系じゃないかもしれない
そして皆様を悩ませる恒例の質問です。
――これ、恒例の質問なのですが。中村さんにとっての理系女性へのイメージってどうです? といっても毎回面白い人達ばかり選んでインタビューしてるから、ご本人が自分が「理系女性だ」って意識していないんですよね。
中村「そうですね。私も意識してませんね。医者って逆に理系じゃない人が多いかもしれないですね」
――それは、コミュニケーションが重視される職業だからとも思うのですが、どうですか?
中村「難しいですね、どうなんでしょう。医者になるまでの6年間で理系部分が失われちゃうのかもしれませんね。ひたすら覚えることばっかりですから。A+Bは?と聞かれたら、すぐさまCと答えられるような頭のつくりにさせられるんです。考えることはしてますが、考える=理系ではないじゃないですか。それは文系も同じですし」
――では、中村さんの考える理系的な考え方とは?
中村「うーーん。なんとなくイメージですが、できないことはできないとスッパリあきらめたりとか、なんでも計算して考えちゃうみたいな感じですかね。例えば、人の生死は計算だけでどうにもならないんだけど、これだけやってもダメならしょうがないな、って思うのは理系っぽい感じがしますね」
――物事の割り切り方が。
中村「でも、いずれにしても人の生死はわからないですからね。もうダメだと思っても復活したりしますからね」
――実は理系でもはかりきれないところにいる、と。
中村「どうなんでしょう。こればっかりは難しいですね」
「パワーあるな、私」
中村さんと話していると、こちらまでパワーをもらえた気分になります。やってみたいことも、まだまだあるのだそう!
――お医者さんはすごく忙しくて大変な職業と聞きますが、お子さんを3人つくられているのがすごいです。
中村「できちゃいましたからねえ、なんて(笑)。うちは主人が医者じゃないからそのぶん助けてもらえるということも大きいですが、やはり病院や科の体質によりますね。岡山大学の泌尿器科医局に所属している女医は、私含めて8人中6人結婚していて、しかも結婚している人には全員子供がいるんです」
――へえ!
中村「珍しいケースなんですけどね。逆に、だから働かざるをえない(笑)。この前、朝の9時から21時まで子ども3人連れてディズニーランドで遊んでいるときに思いましたね、パワーあるな私、って(笑)」
――開園から閉園まで!しかも小さいお子さんを3人連れて。
中村「勉強しなかった18年間、パワーを溜め込んでいたのかもしれないですね。途中で辞めたくなったこともあったけど」
――医学部って、入学した時点でゴールが決まってしまいますからね。
中村「もう覚えることが多すぎて、その努力をするのがすごく嫌だったんです。でも辞めても特にやりたいこともありませんでしたし。あと1年頑張ろう、あと1年頑張ろう…で、気が付いたら国家試験受かっちゃった!みたいな」
――アフリカへの夢はまだありますか?
中村「もちろん。でもそうこうしているうちに結婚して子どももできたから、しばらくは動けなくなっちゃいましたね」
――本当に気が付けば…という感じですね。
中村「でも、今の病院の近くにAMDA(アジア医師連絡協議会)があるんですよ。最近そこに所属している女の子と仲良くなったから、日本が嫌になったらいつでも行けるぞ!って思いながら頑張ってます(笑)」
――中村さんは本当にそのうち行きそうな気がします(笑)。
(2009年7月対談収録)
対談を終えて
理系女子、女医さん、3児の母……どんな視点から見ても爽快にそのステレオタイプな予想を裏切ってしまう中村さん。中学高校時代は、教えられる内容をそのまま受け取るのが勉強だと思っていましたが、中村さんの姿を見てそれは違う、と目からウロコでした。
「あたりまえ」を根本から疑う姿勢に、幼心に「生粋の理系魂」を感じました。そして持ち前のエネルギッシュさもただものではありません。これからもどんな生き方を切りひらいていくか、期待大です。
(イラスト 高世えりこ)
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- プロフィール
中村あや(なかむらあや)
学生時代の専攻:医学。
1975年千葉県生まれ。群馬大学医学部医学科卒業。岡山大学病院、福山第一病院、国立病院機構岡山医療センター、岡山市立市民病院を経て現在岡山赤十字病院勤務。日本泌尿器科学会泌尿器科専門医・指導医。岡山大学大学院医歯薬総合研究科在籍中。