あけましておめでとうございます。今回は2024年のUbuntuと題して「今後のUbuntuはどのように変化していくか」を中心にした、Ubuntuに関わるある種の未来予測(与太話ともいう)をお届けします。
Ubuntu 24.04 LTS
まず2024年のUbuntuに訪れる変化としては、“Noble Numbat”、Ubuntu 24.04 LTSです。現時点ではまだ「どのような姿になるのか」という部分は見えきっていないものの、デスクトップ周りの更新が行われ、そして新インストーラーやツール、新しいソフトウェアセンターを搭載した最初のLTSリリースとなります。既存のリリースの延長線上にある「この2年間の集大成」という位置づけとなるでしょう。
新インストーラーや各種ツールはFlutterをベースとしたものでの「作り直し」が進められています。またカーネル側でもRustの活躍の空間が広がるという傾向もあるので、これは「RustベースやFlutterベースの『新しい世代の』ツールが積極的に使われる時代」への変化という見方もできます。
また24.04 LTSでは、この2年の間に行われた「エンタープライズデスクトップ」向けの機能により、「Windowsの代わりに、Active Directoryから利用できる環境」として使える、最初のLTSであるという側面もあります。特に22.10で整備されたGPO経由での設定投入機能は大規模なデスクトップ展開には欠かせないものであり、「企業で利用できるLinuxデスクトップ」という意味では2024年がはじまりの年になる可能性があります。
これらとはまた別に、2024年はSnapベースのUbuntu Desktopがより本格的に探求される年でもあります。
Windows 10の終了と「古い」CPU搭載PCの行方
2024年という視点からはやや早い視点ではあるものの、2025年に控える「Windows 10のサポート終了」も検討されるべき時期に来ています。このサポート終了はEnterpriseとEducation Editionも対象とするもので、「基本的にWindows 10は2025年10月に終了」と言いかえることができます。
Windows 10の終了に伴って、業界には大きな変化が訪れます。Windows 10の直接の後継となるWindows 11にはIntel製・AMD製ともに、対応CPUに大きな制約があるからです。
非常に雑に言うと「おおむね2017–2018年より前のCPUでは、Windows 11は対応しない」となります。この「非対応」が最終的に「警告すら出ずに『公式サポートの対象にならない』」というレベルで済む展開に留まることから、「インストールが拒否される」というレベルに至るまで、どの段階の制約になるかはわかりません。しかし今「Windows 10で動いているコンピューター」のそれなりの割合において「Windows 10が終了すると、異なるOSへ乗り換えるか、買い換えの必要に直面する」という事態になる可能性は十分にありえます。
そして7–8年前のPCの利用という観点では「寿命」と言える側面がある一方、「乗り換え先」を探す動きというものが2024年には活発化すると予想されます。ここでUbuntuを含む「WindowsではないOS」に注目が集まる可能性があります。「古いPCを動かし続けることによる、生産性への影響やエネルギー効率」といった論点があり、単純に「Windows 11に見捨てられたPCにUbuntuをインストールするとこれまでに近い使い勝手が得られてエコ」といった結論に飛びつくことはできないものの、業界的には動乱の時代に突入する可能性があります(し、混乱が生じることを懸念したMicrosoftがこの方針を撤回する可能性もそれなりに存在します)。
もっとも、2022–2023年にかけてPCの平均価格というものには大きな変化が生じています。IntelのAlder Lakeシリーズ(の中でも、特にAlder Lake-Nを搭載したIntel N100)により、Beelink EQ12のような廉価なPCの性能が大きく伸びており、「ごく普通の人が使う範囲では」不満の出にくい新品PCが、細かな仕様や耐久性を無視すれば2万円前後で入手できる状態になっているからです。この意味では「中古PCの再生」という方向にはそこまで強い経済的メリットはなく、「捨てるよりは新しい用途がある」といった方向性になることが予想され、大規模なUbuntuブームというようなものが起きることは考えにくいと言えるでしょう。
とはいえ、Windows 10のサポート終了を引き金として、おおむね20年ほど繰り返されている「Linuxデスクトップ元年」という意味では、2024年は非常に面白い年になる、ということは言えるはずです。
また「古いCPU」への対応という意味では、(Windows 11ほど豪快なものではないものの)Ubuntuもあまりにも古いCPUからの決別を検討しています。Ubuntuで検討されているのはおおむね「Haswell以降」、2013年にリリースされたCPUを基準とするものです。こちらは何か決まっているものがあるわけではなく、今後の議論が必要なものになりますが、「さすがに10年を超えたら入れ替えよう」といった話に着地する可能性はそれなりに存在します。
「古いPCを使うことは電力消費の意味でエコではない」という観点と、「古いPCを捨てることはエコではない」という観点の衝突という側面もありますが、「自由である」ということを軸にするUbuntuの立ち位置からは『選択肢を提供する』という意味で重要な年になりそうです。
半導体業界の変化の年
上述したような半導体業界の動き、という意味では、2024年にはさらに異なる視点の変化もあります。
今年はIntelの新世代CPUであるMeteor Lake(そしてその後継となるArrow Lake)や、AMDのZen 5のような、10~20パーセント近い大きな性能ジャンプが生じるプロセッサの登場が予定されています。もちろんあまりにも大きなジャンプは「既存の製品が売れなくなる」という結果をもたらすため、ある程度は「手加減された」変化になる可能性はあるものの、この10年ほどの「CPUのクロック周波数やクロックあたりの性能はそこまで伸びない、マルチコアによって性能を伸ばす」という展開とは異質な変化が起きる年であると言えるでしょう。
さらに、いわゆるx64 CPUだけでなく、ArmとRISC-VベースのCPUも大きく性能を伸ばしてきています。Windows 10の終焉と併せて、ここから2-3年の間は業界地図が大きく変化していくことになるでしょう。また、vRANブーストのような「特定目的向けCPU」というものも広がっていくことになります。
GenAIやLLMの影響
この大きな変化はさらに、いわゆる生成AI、GenAIやLLMの隆盛によってさらに増幅されます。
2022年までの「機械学習」というものの位置づけは「うまく使うことでメリットを得られるもの」でした。しかし2023年のOpenAIを含むGenAIブームにより、「コンピューティングにおいて、ほとんど必須に近い位置づけの機能」に変化しようとしています。そしてこの変化は、エンドユーザーが利用するコンピューター環境にも大きな影響をもたらすことになります。
古典的な機械学習の世界では、「学習」と「推論」という2つの性質の処理に分けられていました。「学習」は非常に大きなデータセットをGPGPU等に読み込ませ、深層学習などのテクニックを用いて「推論のためのサブデータセット」を生成する処理です。「推論」は、「学習」によって得られたサブデータセットを用いて、実際に投入されたデータに対して処理を行い、一定の回答を出すというものです。この2つの処理の最大の特性差は「学習には莫大なコンピューティング性能を要求するが、推論はそこまでではない」という構造がありました。たとえば学習にはハイエンドのGPUが必要なものの、推論についてはRaspberry Piでも良いといった関係性です。
ところがGenAIやLLMはこの関係に納まらず、推論においても莫大な計算機資源を要求します。CPUだけでは処理が追いつかず、比較的高性能なGPUやデータセットアクセス能力を要求する(かつての学習に匹敵するような)「ヘビーな推論」とでも言えるような処理が誕生しています。これにより、GPGPUの需要がきわめて大きくなるという状態が生み出されました。2023年はこの変化に業界が追いつききれず、実質的なGPGPUの単一の供給源であるNVIDIA株はおそろしい勢いで跳ね上がり、TSMCなど半導体製造株にも多くの変化をもたらしました。
この傾向は2024年にも持ち越されることになりますが、一方、2024年は「ヘビーな推論」に向けた半導体の変化が起きはじめる年にもなりそうです。もともとあった流れではあるものの、各種CPUにはクライアントデバイスにおいて行われる「ヘビーな」推論処理に向けたサブのコアユニットが追加され、GenAIのような「CPUだけではうまくこなしきれない」処理を担うための変化が生じていきます。GenAIの多くは「インターネットの向こうで行われる処理」という傾向がありますが、この変化が広がると「ある程度はローカルで処理される」という性質を獲得できるようになります。
「パーソナルコンピューター」の機能の変化
2024年のUbuntuに(おそらく)ただちに影響があるわけではありませんが、今後のデスクトップ環境においては「生成AIによる作業支援」に分類される機能が必須に近い位置づけになっていくはずです。これはWindows 95とインターネットの商用化に伴う変化と同じような、非常に大きな変化です。
過去を振り返ってみると、パーソナルコンピューターの文脈では、インターネットの商用化までは「ネットワークに繋がったコンピューター」を見かけることはあまりありませんでした。もちろんパソコン通信や個別のLANといった「通信」は行われていたものの、「あるのが当たり前」という性質のものではなく、たとえば「Ethernetインターフェースがないコンピューター」というものは、それなりに当たり前に存在していました。つまり、「ふつうのコンピューター」と「ネットワークに接続できるコンピューター」という関係だったわけです。
一方、現在では「インターネットに接続できない、スタンドアロンのコンピューター」というのはあまり考えにくく、「隔離された環境」といった呼ばれ方をするようになっています。つまり、「ネットワークから隔離されたコンピューター」と「ふつうのコンピューター」という関係になっています。「Google検索ができず、ショッピングもできないPC」というものを想像することは、現在では困難です。
「AIによる支援」は、この「当たり前」の変質を伴うものです。つまり現在、「ふつうのコンピューター」と「AI支援が利用できるコンピューター」という関係にあるものが、しばらくすると「AI支援のないコンピューター」と「ふつうのコンピューター」という対比に変わっていきます。この流れにはあらゆるパーソナルコンピューティング環境が含まれます。つまり、デスクトップOSだけでなく、スマートフォンやタブレットなども含めての変化となるでしょう。これは半導体業界の変化とあわせて徐々に、しかし確実に生じる変化です。
そして生成AIやLLMによる支援が当たり前になると、そこから連鎖して大きな変化が発生していきます。
起きる場所のひとつはコンピューターのユーザーインターフェースでしょう。現在のポインティングデバイスとキーボードを中心にしたGUI(あるいはキーボードだけで成立するCUI)は、「利用者の意図をあまり先読みできない」前提で生み出されています。たとえば現時点では音声入力はそこまで有効な入力手段ではありませんが、AI支援が十分に発展する前提であれば、口頭で(そこまでまとまっていない)入力をコンピューターに行うことで、それなりにまとまった文章が出力される、あるいは「会議のための資料」や「イメージを補完する画像」を生成できるといった使い方が成立するようになります。
これにより、「タッチタイプができ、キーボードをそれなりに扱える状態で、GUI操作に習熟していないと意味のある作業ができない」という壁が消滅し、コンピューターがより使いやすい存在に変化することになります。2024年はこれらの「飛躍的な変化」に向かうはじまりの年になるはずで、Ubuntuにもこれらの文脈を埋めるような機能が投入されていくことになるでしょう。
さらに別の連鎖の結果として、PCのハードウェア構成にも影響が及びます。上述のような「AI推論用サブプロセッサ-」が搭載されていないPCの価値は相対的に下落していき(かつての「ネットワークに接続できないコンピューター」がそうであったように)、「最新OSが動かない」問題以上に「AIに対応していない」ということがネックになって廃棄されていくことになるはずです。もっともこれは「外付けプロセッサー」のようなものが出てくることである程度延命される可能性もあり、徐々にソフトランディングしていく形になるでしょう(ただし、「USB 3.0にすら対応していないPCはどうなるんだろう、仮にサブユニットのようなものが登場しても、十分な帯域で接続できない」という問題もあり、「すでに古くなりつつあるコンピューター」を使い続けられるのはあと数年という見立ては必要です)。
もちろんこれらは2024年の1年だけで完了するようなものではありませんが、一方、1995年から2005年までの変化を思い起こすと、「おそらく10年はかからない」ということは言えるはずです。この数年の「あまり変化のない時期」を取り戻すような変化が起きていくはずです。この変化により、「Windows 11の登場で利用できなくなるPC」という問題そのものが消滅する、つまり「ヘビーな推論処理に対応していないPCは実用にならない」という展開になる可能性もありえます。
2023年までの時点では、CUDAベースのソフトウェア資産の影響により、GenAIの需要≒NVIDIAの需要という構図であるということができました。NVIDIAのソフトウェアスタックの陰にはUbuntuが存在しています(NVIDIA DGXのOS部分はUbuntuベースですし、GPUコンピューティングのシェアとしてかなりの部分はUbuntu上で動作しています)。この構図が崩れないという前提においては「Ubuntuが使われる場所が増えていく」という捉え方もできるでしょう。
GenAIによる支援とオープンソース
GenAIの隆盛により、「プログラミング」のうち、難易度のそこまで高くない領域の裾野が大きく広がる可能性があります。現状のChatGPT(GPT4)やその競合プロダクトにおいても、「~~するPythonの処理を書いてください」といった要求に対して、『それなり』のコードを出力することができます。これを修正することで、一定レベルの処理をするコードを得られるという構図は現状でもそれなりに存在しており、技術的進展によってさらに強力なツールになっていく可能性があります。これは読み書きの両方に影響し、たとえば「このソースコードには脆弱性がある」といった検出についても裾野を広げていくことになるでしょう。
オープンソース的な発想では「コードを書ける人」あるいは「コードを読める人」の数が増えることは、成果物を生成するパワーが大きく増幅されることを意味します。
ここには「GenAIで置き換えられるような処理をするソフトウェアは都度生成すれば良く、オープンソース的な協働の世界に配置する必要はない」といった反論や、あるいは「GenAIに全力で頼った質の悪いコードにそこまで意味があるのか」といった議論の余地もありますが、そのあたりはいったん置くとしても、この流れには「AIが生成したものには著作権が付与されるのか」という課題があります。
オープンソースソフトウェアの「オープン性」を維持する力には、「著作権を根拠とした、ライセンスによる制約」(つまりコピーレフト)による『オープン性の強制』という性質が占める部分がそれなりに存在します。一方、「AIの生成物に著作権が付与されるか」という命題は現時点ではかなり否定的な方向であり、「AIが十分に使いものになるソフトウェアを生成する能力」を獲得しても、これをオープン性を維持した状態で共同利用することは、現状の整理では厳しいという側面があります。言い換えると「現時点ではGenAIによるパワーを、直接的に利用できる段階にない」というのが実情です。
こうした観点で、2024年は「GenAIによる成果物をどのように受け入れていくのか」「どのような法的根拠を整備するのか」といった議論が行われる年にもなるでしょう。
また、GenAI、特にLLMを軸にした「検索」の再定義というものも2024年には本格化すると考えられます。
現時点でもいくつかの検索エンジンに搭載された「AIベースのサマリ作成機能」のようなものが、より大きな流れとして発生することになります。現状においても、「バグ報告が集約されているオープンソースOSのほうが、不具合情報が閉じられた空間にあるプロプライエタリOSよりも情報が集まりやすい」という性質があります。仮にユーザーの(AIベースの支援を含めて)バグ報告・集約能力、あるいはAIのサマリー作成能力などが十分に高くなったとすると、「AIに聞くことを考える限り、オープンソースOSのほうが良い回答が得られやすい」といった状態になることもありえます。
もちろんこの構造に対抗するために、プロプライエタリOSが類似の情報集積空間を作ることで対応することは考えられるものの、「責任の所在が非対称である」というプロプライエタリOSと、「利用者がas-isであることを十分に受け入れて利用する」というFLOSSの差により、この構図はOSS側が有利なことは言えるでしょう。
いずれにせよ、2024年は「変化のはじまりの年」となるはずです。