エンジニアに捧げる起業幻想

第9回起業の理想と現実~失敗だらけの体験談

この連載も後2回です。

最終回はこれまでのまとめになると思いますが、その直前の今回は事例を挙げていろいろ考えてみます。

最初はエンジニア起業の良い例悪い例などを挙げようかと思っていたのですが、知っている他人の悪い実例を挙げるのは中々ハードルが高いのでやっぱりやめておきます。

また、全然知らない人の起業の失敗例なら良いですが、連載第1回でも書いたように知らない人の起業で聞こえてくるのは成功例ばかりです。ハイパーネットやワイズノットのように失敗例として有名になるケースもたまにありますが、どちらもエンジニアの起業ではありません。そもそも有名な起業の失敗例とかはだいたい特殊なケースが多いので、あまり参考にはならないという気もします。

ということで今回は自分の失敗例を挙げてみたいと思います。

私自身のエンジニアとしてのキャリア

その前に自分のエンジニアとしてのキャリアについて触れてみます。

私は1995年に新卒でとあるIT商社(以降D社)に入社しました。私のいた大学では理系が就職活動をやるようになった最初の年でした。いわゆる就職氷河期というやつです。

就職活動していたのは1994年でしたが、その当時はまだインターネットというものが一般的ではなく、UUCP接続というある程度データが溜まったら一気にバーン!と送るような接続方法もまだ多かったような時代です。

というのも当時のインターネットでのアプリケーションはだいたいメールかニュースくらいで、インターすなわちネットワーク間の接続というのはあまりメインではなく、いわゆるLANのほうが主な利用目的でした。

外部とは、メールかニュース(NetNewsというインターネット上のニュースというか掲示板です)ぐらいでしかやり取りしないため、通信は随時ではなくても良かったということです。

ですから、就職先としてインターネットにおけるテクノロジーを仕事にできるようなところもほとんどありませんでした。名だたるSI企業に行って「インターネットをビジネスとして扱う予定はありますか?」と聞いても、⁠まだなんとも言えない」という回答がほとんどだったのを覚えています。今からすると相当もったいない経営判断ですね(笑⁠

その中でかなり積極的にインターネットにおけるテクノロジーをビジネスとして手がけていたのがD社でした。ルーターやスイッチの販売(スイッチが登場したばかりのころで、まだ10Base5もたくさんあったころ)やSun Microsystemusのサーバ、NFSファイルサーバなどの販売を手がけていた会社でした。幸いその会社から一番早く内定が出たので、すんなりその会社に入社することになりました。

最初はエンジニアではなく営業職だった

私はエンジニアになりたかったので採用も技術職としての採用だったのですが、内定者懇親感で当時の社長とその次の社長(当時営業部長)に懇々と営業になったほうがいいと説かれ、2時間ほどして抵抗するのを諦めて営業として入社することになったのです。

自画自賛ですが(笑⁠⁠、同期入社の中ではエンジニア採用された人達より入社時の技術力は高かったと思います。私の当時の役割はプロバイダ向けのサーバやネットワーク機器の販売でしたが、当時は猫も杓子もプロバイダを始めるような時代で、仏壇屋さんやかばん屋さん、バイク屋さんがプロバイダを始めたいというようなケースまであり、そういった主に新興系のプロバイダ向け担当でした。

ちなみにそのバイク屋さんのプロバイダはまだサービスを継続しています。20年前に担当していた営業マンとしてとても嬉しいことです。ネットに全然関係のない企業向けのケースが多かったので、技術営業としてネットワーク設計やサーバのサイジングなどもしながら機器の販売をしていました。

大手のプロバイダは先輩の営業マンが担当していましたが、私が担当していた新興系プロバイダの中でも大きく成長するところも何社かあり、2年目には営業マンとして5億円くらいは売上を上げていたと思います。ちなみに、1人で年間5億円というのは、営業としては結構良い数字だと思います。粗利にしたら2億円くらいでしたでしょうか。お給料は300万円もなかったですが(笑⁠

転職してエンジニアのキャリアがスタート

それでも、2年も経つと、入社当時は自分のほうが技術力が高かったのが、やはりエンジニアとして働いている同期に技術面で抜かれていったりもします。結局2年経ったころ(半年前からD社にアルバイトで入社していたので2年目の10月くらい)に、エンジニアとしてプロバイダを手がけるA社に転職することにしました。

このA社は有料プロバイダと無料プロバイダと、さらにパソコン通信という3つのネットサービスを展開していました。D社と違って有名な会社なので名前を伏せる意味はないかもしれません。そういえばA社はエンジニアが起業して最後はコケた事例です。

私のエンジニアとしてのキャリアは正式にはここからスタートしています。

配属されたのは無料プロバイダのほうで、予算の多い有料プロバイダ部門とは違いカツカツの運営で、エンジニアも専属は私1人であとはパソコン通信部門のエンジニアの人達がお手伝いしてくれている状況でした。

ちなみに当時上司は一応肩書としてはエンジニアでしたが、実際には事業部長の太鼓持ちで、あの人がエンジニアならみんなエンジニアを名乗っていいと思います。

翌年になってようやく2人目のエンジニアの先輩が他部署から補充されたり、パンチパーマにサングラスだけど超優秀なデータベースエンジニアの人が入社してきたり、あとは技術部長も正式に配属されてようやく部署としての体裁も整ってきたのですが、ここで無料プロバイダとしてのビジネスモデルを支える広告配信システムを手がけるハイパーネットが倒産してしまい、あえなく事業停止の憂き目に会いました。

もう名前を隠す気がまったくないですね、私。

事業停止からの2回目の転職

事業がなくなってはしょうがないので転職活動をすることにしましたが、2社応募したうちの1社であるSo-netで無事採用されました。

A社のころから、というかD社のころから、私の得意分野はサーバ、とくにUNIX周りだったのでSo-netでもそのままサーバ部門で働くことになりました。

ちょうどSo-netの初期のシステムがキャパシティ的に限界が近づいていたころで、メールからFTPからWWWからProxyから、サーバ周りを何から何まですべてを再構築していきました。結局NetNews以外はすべてリプレースしたと思います。このころすでにNetNewsの需要はなくなっていたのでそのままにしておきました。

A社は無料プロバイダということもありサービスもメールくらいしかなかったのですが、So-netはプロバイダとして提供されるサービスはひととおり揃っていましたし、またSLA、つまりサービス品質もA社より高いものが要求されていたのでここでの仕事は良い経験になりました。

やはり数台のサーバで提供されるサービスと、数百台のサーバで提供されるサービスは別物です。

今となってはネットサービスもダウンするのは論外ですが、当時はまだまだそのあたりがルーズでダウンするサービスも多い中、プロバイダはダウンが許されない数少ないネットサービス提供会社だったというのは私にとってはラッキーでした。

2年半経ちひと通りサーバのリプレースが終わったことでSo-netではやることがあまりなくなりました。とはいえSo-netはプロバイダ、すなわち回線屋なのでサーバはあくまで付属サービスなのです。

私は当時、これからは回線というか接続サービスは差別化が難しくなり、これからはWWWなどのネットサービスのほうが盛り上がりそうだと思ったので、そういった「ネットサービスのサーバを預かるデータセンターをやりませんか」とSo-netの上層部に聞いてみたのですが、あくまでSo-netはプロバイダという回答でした。

オン・ザ・エッヂへの転職

それで次の転職先となったのがオン・ザ・エッヂというベンチャー企業でした。オン・ザ・エッヂは当時上場したばかりで上場時に調達した資金でデータセンターを始めたところでした。

そこのマネージャーのポジションが空いているということで、転職して念願のデータセンターの面倒を見ることになったのです。

とはいえオン・ザ・エッヂはメインがWeb制作事業だったので、データセンターを始めたは良いもののそのネットワーク設計は入社したころのSo-netよりも素人っぽい作りでした。

一から作り直せればよかったのですがすでにサービスインしていたため、サービスを止めないようにしながらネットワークの基幹部分から各種監視サービスまでを全部作り直していきました。

このデーターセンターは入社当時チームが5人くらいだったのですが、当然それでは24時間365日のサービスを提供できないので採用と教育を繰り返し、最終的には80名くらいのチームになりました。

技術担当取締役として初めて経営に触れる

データセンターが大きくなっていく途中で、オン・ザ・エッヂの技術担当取締役として初めて経営というものに触れることになりました。ただ、技術担当役員ですから、経営にとっての技術的内容の判断がその役目で、どうやって売上を立てるか、どうやって資金を調達するかといったことについては専門外、門外漢でした。

ビジネスモデルについていえば、データセンターとしてのビジネスについては考えていたので技術担当役員兼データセンターの事業責任者という感じです。

So-netでも一からサーバー環境の作り直しという経験をしていましたが、オン・ザ・エッヂではネットワークまで含めて手がけたのでデータセンターの端から端までを経験することができたことは良かったです。

ちなみに、当初上位プロバイダにスタティック接続だった回線をBGPルーティングに切り替えなどもしたので、一時期はBGPスピーカでもあったのです(笑⁠

また、オン・ザ・エッヂではチームを5人から80人に増やしていくという経験をすることができたので、チームマネジメントについても色々と学ぶことができました。

初めての起業はアメリカで

オン・ザ・エッヂが倒産したライブドアという無料プロバイダの民事再生のスポンサーになり、自社の事業がだんだんB2BからB2Cに変化していく中で、私は自身の初めての起業をアメリカですることにしました。このとき、オン・ザ・エッヂの取締役としては辞任を申し出たのですが、引き止めなどもあり技術担当の非常勤役員として籍は残ることになりました。

この初めての起業は海外だったこともあり中々いろいろと大変でした。

最初はコンサルティングから始めて、利益が少しづつ出る中でスタッフを増やしていって、2年後には4人のチームになっていました。ちなみにこの会社はささやかながらずっと黒字経営でしたが、個人商店に毛が生えたレベルまでしか行かなかったので経営手腕という感じはまったくしませんでした。

2度目の起業で経験したこと

最初は失敗の連続だった

その後いろいろあり、一瞬ライブドアに復帰して数ヵ月ですぐに今度こそ辞任することになって、2度目の起業をすることになります。それが今も社長をやっているゼロスタートという会社になりますが、この会社は最初経営としては失敗の連続でした。

ここまでが自身のキャリアということになりますが、エンジニアとして比較的大規模なシステムや環境の責任者として、全体の作り直しを2度経験したり、エンジニアとしては珍しく営業の経験もあり、またチームビルディングの経験もあり、起業するためにしていると良い経験は割りとしているにも関わらず、ゼロスタートの最初の2年は本当にダメでした。

ビジネスモデルが甘かった

まず何がダメだったかというと、一番は「ビジネスモデルが甘かった」ことに尽きると思います。

この連載でも何度も一番重要なのはビジネスモデルだということを伝えてきましたが、ゼロスタートはその前の経緯もあり「まず起業ありき」でスタートしてしまったためにビジネスモデルが後付けになってしまったのです。

ビジネスモデルが先にあれば、そのビジネスモデルの優劣はフェアに評価できたかもしれません(し、やっぱりできなかったかもしれません)が、起業ありきでスタートしている状態で考えたビジネスモデルというのは「よくぞ思いついた」と思えるような素晴らしい物に見えてしまうのです。

最初の2年の失敗の後に「ああ、これまでのキャリアではお金の稼ぎ方というのは経験していなかったんだな」ということをしみじみ思いました。

できあがったビジネスモデルの上で力を発揮することはできても、ビジネスモデルを作ること自体はできなかったのです。D社での営業の成績も、オン・ザ・エッヂでの技術担当役員兼データセンター事業責任者としても、ビジネスモデル自体の構築には携わったことがなかったのでした。

このため私の中では「ビジネスモデルありき」という反省が強く刻まれることになりました。

コミュニケーションの意識の甘さ

またもう1つ失敗だったのがコミュニケーションです。

社長の立場ではありましたが、職責という意味ではエンジニアとしての部分が大きく、営業部分は私より優秀で経験豊富なメンバーの考えや意見を尊重していました。正確にいうと、しているつもりだったのですが、それは今考えるとただ単に遠慮しているだけだったのだと思います。

できたばかりの会社としては過分に優秀なメンバーが揃ったということもあり、余計なことを言ってはいけないという気持ちや、営業部門に必要以上に口を出して愛想を尽かされたら困るという気持ちがあり、営業の成績自体は芳しくなかったにも関わらず、⁠大丈夫です」という言葉だけを拠り所にしていた結果、もう後がないという状況まで追い込まれてしまったのです。

前回の連載で、必要な前提はビジネスモデル、必要な要素はモチベーション、コミュニケーション、リソースの確保と評価と書きましたが、この中でビジネスモデルとコミュニケーションに問題があったのですから、うまくいかないというのも当然の結果だったのかもしれません。

もう後がないという状態になってからは、まずは会社の再生のためにできることは何でもやり、自分が思うことはなんでも極力正確に言うようになりました。

幸い3年目からはなんとか利益を出せるようになり、その中でビジネスモデルも模索しつつできあがってきて、ようやく少しは経営というものの一端がわかってきたような気もします。

ゼロからスタートしたらマイナスになってしまって、ようやくまたゼロまで戻ってきたような気分です。

経験があったことのメリット・デメリット

もちろんエンジニアとして起業してうまくいく資質がある人もたくさんいて、そういった失敗を経験せずに最初から成功できるケースもあるのだとは思いますが、仮に私はせめて平均程度の資質くらいはあったと仮定したら、平均程度の資質でエンジニアとしては結構良い経験が積めていて、かつ営業経験もあり、経営メンバーにいたこともあり、チームビルディングもしたことがあっても、それでもうまくいかないことが多いのが経営なのではないかと思ったりします。

次回はいよいよ最終回です。これまでの総括をしてみます。

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