監訳者解説 山形浩生

「これ、いったい何の本なの?」店頭でぱらぱらめくっている人は、本書の中身の得体の知れなさを見てそう思うはずだ。

『ハードウェアハッカー』というから、エレクトロニクス系のちょっと変わったハード作りや改造のノウハウや、それにまつわる各種エピソードかな、というのが普通の期待だろう。そして、たしかにそのとおりではある。あるのだけれど……その幅と深さが尋常ではないのだ。

イノベーションとハッカーの意義

そもそもハッカーというと、悪い印象を持つ人も多いだろう。一般にハッカーといえば、なにやら他人のコンピュータに侵入して、ファイルを勝手に消したり改変したり、データを盗んだりする犯罪者だ。じつは著者バニー・ファンも、そうした色眼鏡で見られてきた。

でもその著者を含め、誇りをもってハッカーを名乗る人々がいる。というより、そちらのほうが正規の意味だ。ハッカーは、さまざまなものを独創的なやり方でいじり、その仕組みや性質を理解しようとする人々のことだ。そのいじり方は、マニュアルどおりではない。⁠分解するな」と書いてあってもばらすし、改造や説明書とは違う使い方も当然やる。勝手にほかのものと組み合わせ、全然違う代物にしてしまう。⁠作った人の気持ちを考えろ」とかいうバカな遠慮に凝り固まった人からすれば、許し難いお行儀の悪さではある。そして、たしかに結果として壊してしまうこともある(というかそのほうが多い⁠⁠。安全装置を外し、悪用を可能にしてしまうこともある。ハッカーが何やら悪い連中と思われるのはそのせいだ。

でも、それはあくまで副作用だ。そしてその副作用の一方で、当初の設計者ですら気づいていない新しい可能性が拓け、そこから予想外のイノベーションが生み出されることもある。いや、むしろイノベーション(技術革新)というのは、本質的にそういうものだ。だって、教科書どおり、説明書どおりにやっているだけでは、何も新しいものは出てこないのだもの。そこから外れるからこそ、それは「革新」になる。

ただ、説明書以外の使い方なんて無数にある。その中でモノになりそうなのは何だろうか。そこで重要になるのが、ハッカーたちの技能だ。彼らは、別に無作為にいろんなものを意味なくいじっているわけじゃない。彼らの中でも(良くも悪くも)優秀な人々は、何かを見てその「いじりがい」にピンとくる才能を持っている。無限にあるさまざまな組み合わせの可能性の中で、掘り下げると面白そうなものを直感する能力を持つ。

だからこそ、そうした人々が注目を集め、いまや特に欧米の各種研究機関や先端的な企業で次々に活躍するようになっている。各種ビジネス雑誌やマネジメント系の駄文ではしばしば「イノベーション」がもてはやされているけれど、そこで扱われているのは、ほかのところですでに確立された技術や技法を早めに導入する程度の話がほとんどだ。⁠オープンイノベーション」とかいうお題目は、しばしば企業が外部の連中を無料でこき使えるような勘違いに堕し、しかも狭苦しいお砂場で塗り絵をさせる程度のことしか容認しない代物だったりする。そんなおままごとを超えたイノベーションをどうやって実現すべきか? そこにハッカーたちの活躍の場があるのだ。物事の仕組みを掘り下げ、予想外のまったく違ったものがつながるチャンスを見出し、しかも自分の手でそれをモノにしてしまう――ハッカーのこうした能力こそが、過去も未来も真のイノベーションの源泉であり続けている。

そして本書に描かれた著者の各種ハッカー活動は、まさにそうしたイノベーションの可能性を信じられないほど広い分野から拾い上げる、驚異的なものとなっている。

本書の概要とその異様な広がり

第1部は著者が会社のネット接続ガジェットを中国で量産した時の話だが、エレクトロニクスの話はそっちのけで、金型だ、射出成形のウェルドラインだ、歩留まりだ、品質管理だという話がやたらに続く。では量産ノウハウ本かと思ったら、第2部は欧米と中国の知的財産の扱いの話から、山寨携帯や中国特産インチキSDカードやLSIをこじ開けてその偽造ポイントをつきとめる話。そして第3部ではクラウドファンディングでハードウェアを設計製造し出荷するまでの苦労話、さらにリバースエンジニアリングを扱う第4部では、LSIのシリコンをむきだしにしてその中身まで書き換える話に、HDMIの映像信号を復号せずに改変する異様な技、はては遺伝子組み換え話まで……。

たしかに、ハードウェアのハッキング話ではある。でもハードウェアハッカーといえば、いまやメイカー運動のおかげで3DプリンターとArduinoなどのマイクロコントローラを使ったもう少し軽いものがまっ先に頭に浮かぶ。もちろん、デジタル系にとどまらず、アマチュア無線系の自作マニアやオーディオ系の一部の人々が持つ、電子回路系の異様なマニアの世界はある。さらにフィギュアやプラモや、コスプレや、それを言うならお裁縫や料理や、車の改造や盆栽まですべて、広義のハードウェアハッキング活動だ。でも、いずれも自ずと常識的な活動範囲がある。LSIをこじ開けて、そのシリコンまでいじるというのは、その範疇をはるかに超える。オープンソースのハードウェアといっても、そのCPUの内部スペックまでオープンにこだわることは普通はない。そして、そこから遺伝子組み換えまで手を出すとなると、ほとんどわけがわからない。本書を訳しつつ、何度「こいつ、頭おかしい……」⁠いい意味で)と唖然とさせられたことか。

その一方で、ほぼどんな人でも、自分のまったく知らなかったハードウェアの世界の広がりを実感できるはずだ。同じものを見ていても、自分には及びもつかない世界が見えている人物がいるのだということを実感し、そしてその視野の広さの背後にじつは今の自分にも多少は通じる考え方や世界観があるのだ、ということが感じ取れれば、本書を手に取った甲斐は十分以上にある。

本書の世界観:純粋なものづくり好奇心と哲学

著者の活動すべての根本的な基本は、⁠目の前のこれがどうなっているのか知りたい」という純粋な好奇心ではある。どういう仕組みで、どういう作られ方をしていて、その背景には何があるのか?

今、そうした好奇心の働きは薄れつつあるのではないか。僕たちの生活はやたらに便利になっている。モノはどんどん安くなり、なんでも百均とコンビニに並び、ネット通販ですべてが手に入る。おかげで多くの人々は、工業製品すべてが自動化されていて、ボタン1つで何でもできるような印象すら持っている。モノを作っているはずのメーカーですら、多くはファブレス化、仮想化され、実際の製造はどこか余所に任せていることも多い。それが高じて「限界費用ゼロ社会」などという変なことを言い出す人も出てきて、さらに「3Dプリンターが普及すれば何でもその場で生産され、20世紀の大量生産モデルは消える」などという主張まで登場する。

でもじつは、そんなことはありえない。身のまわりのすべては、だれかが実際に苦労して生産している。安くてどこにでもあるように見えるもの、一見かんたんそうに見えるあらゆるものは、まさに大量生産のおかげでそうなっているだけだ。そしてそこには、その生産のためのノウハウが大量に詰め込まれている。それはいったいどんなものなのか? この目の前のガジェットは、どのようにして作られているのか?

生産エコシステムの経済的背景

本書はそこから出発する。中国の深圳での実際の生産の現場を体験し、日本のこの手の文章にありがちな、書き手の自国での狭い知見だけをもとに「あれができねー、これもダメ、中国なんか低品質」と決めつけるのとはまったく違うものを見出す。ものづくりに対する別の適応があり、費用と歩留まりのバランスの中で、モジュール化と現場合わせによる細やかな作り込みの合わせ技が実現しているのが、著者自身の苦闘と驚きの中から浮かびあがってくる。

そして、中国に蔓延しているさまざまな偽造やインチキ商品もまた、そうした適応の一部なのだということがわかる。ときに中国の店頭やオークションサイトでは「こんなの偽造するほうが手間がかかって、正規品より高そう」と思えるような代物に出くわすこともある。でも、それも中国の現場においては筋が通っている。そして、そんなものが出現する環境を作り出しているのは、じつは僕たち利用者の(じつにつまらない)嗜好や、理不尽な安値要求だったりするのだ。

適応としての知的財産レジーム

そして、知的財産についての考え方も、じつはその環境に対する違う適応でしかない。知的財産権は、もともとイノベーションを促進するための手段ではある(⁠⁠保護してあげるから、みんなに公開してくださいね」というのが知財だ⁠⁠。でも、欧米日の先進国ではそれがいまや、既得権益の保護に使われるだけになっている。一方の中国は、⁠知的財産権保護がおろそか」と批判される。でも、それは新製品開発や量産プロセス改善のイノベーションを大量に生み出す仕組みとなっているし、しかも決してオリジナルの開発者が完全にバカを見るものでもない。特にハードウェアの世界では、中国の知的財産アプローチのほうが筋が通っているのではないか? 著者はそう問いかける。

好奇心の実践:ハード、ソフト、制度、遺伝子

「どうしてこうなっているの?」という好奇心が、その背景となる経済的なバランスと知的財産の制度にたどり着いたところで、後半はその実践と言ってもいい。ハードウェアとソフトウェア、設計と製造、そしてそこからさらにチップの中身まで、やろうと思えばどんなものにでも著者の学んだことを適用し、新しい世界を切り開ける。現在の欧米流の知的財産のあり方――自分の買った電話の蓋を開けたりファームウェアをいじったりするだけで、ヘタをすると知財侵害とされてしまう――のおかしさを指摘しつつ、その法律すらハックし、迂回できる。そしてその技能と考え方は、エレクトロニクスにとどまらず、ほんのさわりながらもDNAハッキングにまで適用できるだけの応用力を持つ。この僕を含め、人は何かと易きに流れ、⁠あれができない」⁠もうこの分野も煮詰まった」⁠手の出しやすいネタは尽きてしまった」なんてことを言って、自分の知っている範囲に安住したがる。でも本書を読めば、それが単なる甘えなのはわかる。可能性はいくらでもある。作るほうでも、ばらすほうでも、それ以外でも。本書に描かれた著者の実践は、それをビシビシと教えてくれるのだ。

著者について

著者アンドリュー⁠バニー⁠ファンは、1975年生まれ。アメリカで生まれ育ち、現在はシンガポール在住だ。ハードウェアのハッキング業界では知らぬ者のない存在ではある。知名度的に並ぶ存在というと……強いて言うなら、あらゆるゲームコンソールをいじって改造するベン・ヘックあたりだろうか。でも、それとも質的にかなり違う。

たぶん一般には、マイクロソフト社のゲームコンソールXboxの分解を解説した『Hacking the Xbox』⁠2003年、No Starch Press刊)の著者として最も有名だろう。ケースの開け方、さまざまなモジュールの交換法といった初歩的な話はもとより、コンデンサや抵抗、インダクタ、トランジスタの見分け方なんていうレベルの話から、かんたんな暗号方式の解説をしたと思ったら、あれよあれよとケーブルのデータ解析にROMの裏口からの侵入方法まで、丁寧な写真付きで解説がおこなわれ、そしてそれに伴う当時(現在も同じだが)の知的財産やセキュリティ関連法規制の課題についてのくわしい説明までおこなわれる。そこに表れた精神は、本書ともまったく変わりない。もはやXbox自体が骨董品ではあるけれど、本書と同じでそこに出てくる各種手法はいまだに通用するものだ。

だがこの本は、著者にとってハッカー活動の困難を思い知らされるものともなった。マイクロソフト社は、そこに書かれた細部を公表するなと執拗に圧力をかけ、おかげで著者が当時通っていたマサチューセッツ工科大学(MIT)「この本とは一切関わりを持たない」という念書をよこしたうえ、当初の出版社からも出版中止を言い渡されるのだった。

同じ頃に、アーロン・シュワルツが学術論文のフリーアクセスを促進しただけで訴追され、同じくMITに停学処分を受けて自殺に追い込まれたことから、この本は彼に捧げられたものとなり、フリーで公開されることとなった。興味があればぜひご覧いただきたい。

そして、このXbox以外の各種ハッキング活動については、本書で主要なものが網羅されている。著者はハッキング活動だけでなく、特に知的財産権関連の活動家としても知られ、2016年にはデジタルミレニアム著作権法(DMCA)の野放図な適用についてアメリカ政府を訴える訴訟を起こしている。

深圳について

また、著者は2016年には『Essential Guide to Electronics in Shenzhen』という深圳のガイドブックのようなものを書いている。もちろん本書でもわかるとおり、彼は深圳のエレクトロニクス事情について、これ以上はないというくらいくわしい。ただし、このガイドブックは漢字も読めない人々のための入門だったりするうえ、深圳自体もここ数年でさらに急速な変貌と遂げている。日本のみなさんで、深圳電気街のガイドブックが欲しければ、鈴木陽介『これ一冊でもう迷わない! 問屋街オタクが教える 深セン電気街の歩き方』⁠Kindle版)が、アップデートもしっかりおこなわれ、内容的にもくわしくて、いちばん参考になるだろう。

またこのガイドブック以外にも、本書に描かれた深圳の状況はまだおおむね残っている。ものづくりの場としての深圳については、現地でJENESIS社として生産工場を営む藤岡淳一『⁠⁠ハードウェアのシリコンバレー深圳」に学ぶ――これからの製造のトレンドとエコシステム』(インプレスR&D/Kindle版)も、工場側から見た深圳の特殊性について、本書の情報と補い合うさまざまな知見がこめられていて参考になる。

ただしそこでも指摘されていることだが、最近では深圳も急激に開発と発展が進み、人件費も高騰してきた。そのため、大量生産からすでにだんだん少量多品種カスタム生産へと移行し、いまやそれすらも数年で消えるのではとさえ言われる。深圳の状況については、最近やっと主流メディアでも少し採りあげられるようになってきたが、おおむね三周遅れの古い情報ばかりで、そのうえガセも多い。深圳の新しい動きについては、本書のメインの訳者である高須正和のネット上での各種連載が参考になる。

最後に

もちろん、深圳に出かけると、エレクトロニクスマニアであれば本書でバニーが感じたような興奮が本当に湧き起こってくるのはたしかだ。でも、本書を読めば、そうした興奮の源はどこにでもあることがわかる。深圳は、その刺激の1つにすぎない。この解説を執筆中に開催されたMaker Fair Tokyoのようなイベントで刺激を受けることもできる。あるいは、本書を読んで何かその気になり、手近のラップトップの裏蓋を開けるところから入ってもいいし、ドローンのおもちゃを買って、ひさびさにガジェット精神を昂ぶらせることもできる。それをどこまでも深められるようにしよう。そして、ほかの人々にもその楽しさを伝え、今の世界のあり方をもっともっと深く理解しよう。本書の伝えるこのメッセージを、なるべく多くの人々が受け取ってくれればと思う。そして、ハッカーやハッキングの意義と広がりを、本書を通じてさらに多くの人が理解し、日本のイノベーションの高まりと活用促進が実現しますように!

2018年8月 東京/バンコクにて
山形浩生(hiyori13@alum.mit.edu)

山形浩生(やまがたひろお)

監訳者。1964年生まれ。小学校1年生の秋から約1年半,父親の海外勤務でアメリカに居住。麻布中学校・高等学校卒業後,東京大学理科Ⅰ類入学。東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻を経て,某調査会社所員となる。1993年からマサチューセッツ工科大学に留学し,マサチューセッツ工科大学不動産センター修士課程を修了。1998年,プロジェクト杉田玄白を創設。
開発コンサルタントとして勤務する傍ら評論活動を行っている。また先鋭的なSFや,前衛文学,経済書や環境問題に関する本の翻訳を多数手がけている。