「レシートには、暮らしが詰まっている」
そう感じるようになったのは、いつからだろう。
店名や日付、品名、金額が書かれた一枚の紙切れ。わたしにはこれが、一人ひとりの暮らし、そして人となりが詰まった記録に見える。
印象に残っているレシートがある。2015年、100円ショップ「ダイソー」で買った、洗濯バサミ五点。数年後、書類整理のなかで、ふいにこの一枚に再会した。そこでわたしは、しみじみと自分の子育てを振り返ることになった。
一点10個入りだから、トータル50個、かなりの量である。「洗濯バサミをつまむ動作は指の発育によく、想像力をはぐくむおもちゃになります」。そんな話を取材で聞き、わたしは張り切って当時2歳だった娘に買い与えたのだった。
その後、洗濯バサミは、長くつないでヘビになり、アクセサリーになり、おままごとのごはんになった。子育ての記憶のあちこちに、ピンクや黄色、水色のキッチュでカラフルなプラスチックがある。10歳になった娘に、もう洗濯バサミの出番はない。5歳離れた弟を産んだときには、「洗濯バサミを知育おもちゃに」という子育てへの気負いはなくなっていたし、もし似たようなことを聞いたとしても、買いに走ることはなかっただろう。
大量の洗濯バサミのレシートは、はじめての子育てのがむしゃらさや、試行錯誤の象徴に見えたのだった。
レシートの店名や日付、買ったものをたどっていくと、不思議とその場で会った人や話したこと、当時の気持ちや情景がくっきりと浮かび上がってくる。それはたいてい、手帳にも写真にも残っていない日常そのもので、だからこそ、レシートという記録の力に心を動かされたのかもしれない。
いろいろな人のレシートを訪ねてみるのはどうだろう。そこに隠れた話を聞いてみたい。
「あなたの暮らしを教えてください」と、突然たずねても、答えに困らせるかもしれないけれど、レシートなら見せてもらえるだろうか。
そうしてはじまった、レシート探訪。26人の暮らしの断片、ささやかな生活の記録である。