著者の一言

超一流ほどスピリチュアルを馬鹿にしていない

あなたは、「⁠スピリチュアル」という言葉を、どこか胡散臭いものだと思ってはいないだろうか。

占い、パワースポット、怪しげなセミナー。

知性ある人ほど、自分はそちら側ではないと、そっと一線を引く。
無理もない。かく言う私も、ほんの少し前まで、そのうちの1人だった。

だが、結論から言えば、その線引きに、あまり大きな意味はない。なぜなら、この世で超一流と呼ばれる人物ほど、スピリチュアルを頭ごなしに馬鹿にしていないからだ。

ジョブズは禅に学び、その感性を製品に宿した。松下幸之助は、運を磨くことを経営の土台に据えた。
彼らだけではない。理性の人と見られながら、その裏では見えない力にそっと手を伸ばす。

もっとも、それを公言する者は少ない。占いや祈りを信じていると知られてしまえば、築き上げた信頼にひびが入るからである。
だから、多くを語らない。ただ、手放しもしない。

見えない力は「信じる」ものから「使いこなす」ものに

では、なぜ、知性ある者ほど、見えない力を求めるのか。少しだけ、歴史を振り返ってみたい。

じつは、目に見えないものへの感受性は、いつの時代にも存在した。国家の命運を決めるような大きな判断も、明日の天気の見立ても、かつてはみな、祈りや占いに委ねられていたのである。
万有引力を発見したニュートンでさえ、その生涯の膨大な時間を、錬金術に注いでいる。科学と神秘は、かつて1つのものだった。300年前まで、あの重力でさえ、オカルト扱いされていたのだ。

つまり、こういうことだ。何が科学で、何が迷信かの境目は、私たちが思っているほど、たしかなものではない。一度信じられた真実も、いつかは必ず塗り替えられる。この繰り返しこそが、人類の知の歴史にほかならない。

そして、その流れは、いまも続いている。

欧米では近年、ある層が着実に存在感を増している。「⁠SBNR⁠」⁠。信仰は持たないが、精神性は重んじる――そんな人々のことである。彼らは、瞑想や祈りを、信仰ではなく1つの技術として扱う。
意外に思われるかもしれないが、合理主義の総本山であるシリコンバレーも、その例外ではない。数値で測れないものに、いま、たしかな価値が見いだされ始めている。

信じるものから、使いこなすものへ。

スピリチュアルの潮目は、確実に変わりつつある。

「正解のない問い」に向き合うために

前置きが、少し長くなった。
本書が試みるのは、ただ1つ。スピリチュアルを、怪しげな神秘としてではなく、人生を前に進めるための実践的な知恵として捉え直すことである。

信仰ではなく、教養として。
妄信もせず、毛嫌いもせず、ちょうどよい距離感で付き合っていく。

この感覚を、本書では「スピリテラシー」と名付けたい。

なぜ、いまスピリチュアルなのか。皮肉にも、その答えを教えてくれるのは、AIである。

機械が賢くなるほど、答えのある問いは、人間の手を離れていく。私たちの手に残るのは、正解のない問いのほうである。どう生きるか。何を信じるか。何に手を合わせるのか。
一流が手放さずにきたのは、まさにそんな答えの出ない領域だった。

さて、本書の見取り図をかんたんに示しておきたい。

第1章では、歴史上の偉人と現代のトップランナーが、見えない力とどう向き合ってきたかをたどる。
第2章では、人類とスピリチュアルの長い関わり合いを振り返る。
第3章では、掃除・参拝・吉方位という3つの習慣を「開運三種の神器」と名づけ、今日から使える作法として整理する。
第4章では、SX、すなわち体験としてのスピリチュアルが経済をも動かし始めた現在地を読み解く。

信じるか、信じないか。それは、あなた次第である。
ただ、この世の一流たちが最後まで手放さなかったその知恵を、あなたにも、ぜひ受け取ってほしい。

マウンティングポリス

人間という存在を根本から理解することを目指す研究家。

太古から変わらぬ人間ならではの生存本能を追求する過程で,古今東西のマウンティング事例を収集・分析し,「マウントフルネス」という独自の概念を提唱。近年は研究の対象をスピリチュアル領域にまで拡大,「テクノロジーが進化するほどに,人の関心は見えない領域へと向かう」という仮説のもと,日夜,研究に向かっている。

著書に『人生が整うマウンティング大全』(技術評論社)がある。

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