いまや大半の家庭にあるパソコンとインターネット環境、まして本稿の読者であれば、ほとんど100%に近い普及率を想定しても間違いではないことと思います。それで家に持ち帰った仕事をしたり税金の申告をしたりなどの活用をしている人がどの程度いるかはわかりませんが、少なくともインターネットは何らかの形で頻繁に利用しているのではないでしょうか。
周知のとおり、インターネット上には多様な情報が膨大に存在します。検索エンジンを使えば、どんな情報でもすぐに手に入ります。未知の用語にしても同じ。その言葉を入力しさえすれば、いくらでも解説ページが現れるでしょう。
しかし、実際には、そうやって得られた情報を活用できるのは、そのことをよく知っている人だけなのです。なぜならば、品質保証のない多数の情報には、相互に矛盾するような解説も、不正確な記述も、誤った説明も、まったく同じレベルで混在しているからです。いったいどれが正しくてどれは間違っているのか……そもそもその意味を知らないがゆえに情報を求めている人が、そんなことを見極められるものでしょうか。
事典の存在意義は、まさに、ここにあります。その用語を知らない人のために書かれた解説は、それなりの知識を有する何人もの人が目を通し、確認をした結果です。まずはそちらに頼るのがよろしいのではありませんか?
さらに言えば、常時接続が当たり前の時代になったとは言え、常時パソコンの電源がオンになっている一般家庭というのも少数派ではないでしょうか。完全に電源を切ってはいなくても、省電力モードで眠っているパソコンを起こすには多少の時間はかかります。ちょっとした調べもののためにパソコンを叩き起こすのも面倒ではありませんか?
確かにコンピュータの検索能力は優れています。しかも速い。しかし、融通が利きません。甚だしい入力ミスは補ってもらえません。――紙には紙の検索力! だいたいこのあたり……というような検索がどれほど便利で、おまけに周辺知識をもたらすものか、ぜひ再確認してください。