節分の意味
二月の行事「節分」は文字通り、季節の分かれ目という意味。
現在は立春の前日のことだけをさすかのような日になっていますが、本来は立春、立夏、立秋、立冬、各すべての前日が「節分」。昔はそれぞれの日をお祝いしていました。季節の合い間におとずれる邪気を豆をまくことで祓い、次の季節の訪れ、来るべき幸運を願う。
それはいろいろな意味があると思うけれど、ひとつは、大きな仕事が終わりを告げ、達成感でふと気持ちがゆるんだところに悪い気が自分の中に入り込むことをさける、ということをさしているのではないかとわたしは考えています。
日々にメリハリをつけることでリズムがうまれ、単調さから開放される。忙しく過ごしていればなおさら人は気持ちをきりかえてゆくことが意外とむずかしいもの。そんな視点で一年をぐるりと見渡してみれば、きっちりと春夏秋冬を網羅している日本の行事は季節折々、なかなかうまいタイミングでわたしたちの気持ちをリードしてくれることに気づくことでしょう。
決まりごとを楽しむこころ
さて、行事がハレの日だとすればその間に訪れる日常、ケの日をささえてくれるものはなんでしょう。それをにほんの「習わし」や「しきたり」、「風習」だととらえるとちょうどよい塩梅になってきます。
日本人の生活、衣・食・住・庭・書・茶。普段の生活の中に何気なくある決まりごとは若い頃には口うるさく、面倒なものとしか思えない時期もありますが、実はわたしたちの精神を深いところから支える、目にはみえない大きな柱となっているように思います。たとえば景色に色の少ない今の時期。花を探し部屋に生けたくなるものですが生けるといえば茶花。時節にあわせてどんなものを飾るか大体の決まりごとがあります。
基本の決まりごと、芯があるからこそ、自由を生み出せる。そんな場所から日本人の「粋」の領域は生まれるのかもしれません。行事と習わしは表裏一体。人生を編んでゆく指針としてもう一度新しく使っていきたいものです。
(絵・文 広田千悦子 ひろたちえこ)