今年6月より刊行開始し、おかげさまでご好評をいただいております小社の新しい教養書シリーズ「生きる技術!叢書」。既刊の内田樹『最終講義』、釈徹宗『キッパリ生きる!仏教生活』、小川仁志『日本を再生!ご近所の公共哲学』、林志行『自分イノベーション』、加藤則芳『ロングトレイルという冒険』に続き、今回お届いたします本は、岩田健太郎著『ためらいのリアル医療倫理』です。
「医療倫理って何?」という読者の方もいらっしゃると思いますが、たとえば、安楽死は許されるか、人工中絶は是か非か、遺伝的な疾患等の情報はどこまで開示されるべきか、などといった〈いのち〉にかかわる判断について倫理的に考えようというもので、言ってみれば「医療における正しさとは何か」を問うものです。
実はこの医療倫理についての議論は、どちらが正しくてどちらが間違っているかのディベート合戦になりがちなのですが(マイケル・サンデル先生のように)、著者の岩田先生はそこに「ためらい」の姿勢を持ち込むことによって、不毛な二元論からの離脱を試みます。
医者はしばしば自分たちの正しさを強く主張します。ときに強く主張『しすぎること』もあります。人間の生命という大切なものを扱っている医療者ですから、確かにその言葉は真剣です。しかし、ともするとそのような大切な命を預かっているという錦の御旗が、『俺達は医療をやっているんだから』という強気の発言、断言口調を導くことがあります。本当は、命のような大切なものを扱っているにもかかわらず、いや扱っているからこそ、断言口調をできるだけ避け、『ためらいの』口調をもつことが必要なのですが。
(本文より)
たとえばマイケル・サンデルの「白熱教室」では、
「路面電車の運転手。直進すれば5人の作業員をはねるが、待避線に行けば1人をはねればすむ。そのときハンドルを切るべきか」
といった命題のもとに、「正義」とは何かといった議論が展開されるわけですが、この命題はたしかに刺激的で興味はひかれるものの、あくまでそれはディベートのために設定されたフィクションという印象です。それに対し著者の岩田先生は、あくまで医療のリアルな現場に立ち位置を構え、具体的な患者やその家族関係、彼・彼女らが置かれている環境を踏まえたうえで、問題と向き合うことを主張します。思考実験では簡単に下せる判断も、生身の人間と現実を前にしてはそうそう簡単には正否の判断は下せない。そこでは「おずおずと、ためらいの口調をもって」向き合う姿勢が必要になってくるのです。
といっても、本書は堅苦しい読み物ではありません。3.11の大震災で家も家族も失い「どうせ生きていたってしょうがない」とつぶやく壮年の男性に対し、かけるべき言葉を見いだせなかったという体験談からスタートする本書は、一篇のよく練られたロードムービーを観るかのような読書体験のうちに(著者はビートルズの『アビイ・ロード』をイメージしたと言っていますが)、読者を哲学的な思索の世界へと引き込むことでしょう。
著者の岩田先生は、神戸大学大学院医学研究科の感染症医で、数多くの医学専門書のほか、最近は『「患者様」が医療を壊す』『予防接種は「効く」のか?』などの医療系読み物も手掛けられている駿英。内田樹先生の『最終講義』のなかでも、「ブーンという回転音が聞こえる」くらい頭の回転が早い人の一人として、登場されています。
実は本書のタイトルは、内田先生のデビュー作『ためらいの倫理学』からいただいたもの。「自分の正しさを雄弁に主張できる知性よりも、自分の愚かさを吟味できる知性のほうが、私は好きだ。」という内田先生の主張を、医療の分野にもあてはめて考察してみようという本書、知的な刺激がたっぷり盛り込まれた一冊です。