《絵》にするという行為にはとてもやっかいな相手なんです。
議論でそれほど重要な言葉でなければ、私もこだわりません。“カスタマー”と聞いても、“つるつる頭”に描いて先に進みます。でも、その言葉が重要なポイントであった場合、曖昧なまま議論を進めていくと、後に必ず《ズレ》を生じて、議論が進まなくなったり、堂々巡りになってしまったり。
配布資料(文字)と発言(音)だけの会議の場なら、気にならなかったことでも、《絵》に変換するという行為は、嫌でもこうした《曖昧なイメージのまま使われている便利な言葉》に、つまづくんです。語られている言葉が《ぼんやり》したままだと、「どう描こうか?」と、どうしても筆が止まってしまいます。
「筆が進まない」とき、そこには必ず《理由》があります。筆が迷う多くの場合は、こんな《ぼんやりワード》と出あったとき。だから、その「迷った」箇所をきちんと伝えるということも、グラフィックファシリテーションの1つの業務として行なっています。
「筆が、迷った」を、フィードバック
つい先日もある講演内容を《絵》にしていたとき、筆が進まず、しばらく壁に向って迷っていたときがありました。《絵》にしようとしていたのは「組織を強くするためには“スタイル”が必要」という講演テーマでした。
「スタイル?」
その言葉を聞いて、私は最初、次のような《絵》を頭の中で思い描いていました。「あの人は“スタイル”がいいね」とか「彼は奇抜な“スタイル”しているね」といった言葉が意味するような《絵》です。
しかしそうしているうちに講演内容で“スタイル”を言い換える言葉がいくつも出てきました。「こだわり」「芯となるもの」「一貫性」…。そこで描いたのが次の《絵》です。
“矢印”で表現したのも、私としては苦肉の策でした。講演参加者の皆さんは「よくわかる」と言ってくれましたが、このときの《筆の迷い》は、必ず伝えることにしています。
- 「“スタイル”という言葉を聞いて、最初はポーズをとっているモデルの女の子を描こうか迷った」
- 「話を聞いているうちに、最初に描こうと思っていた“スタイル”は“見せかけのスタイル”だったと気付いた」
- 「“見かけ倒しではないスタイル”。芯になるもの。曲がらないもの。一本筋が通っているもの。そんなイメージから“矢印”で表現してみた」などなど。
そして、「“スタイル”を描くまでに《筆が迷った》のと同じように最初は聞き手によっていろいろな捉え方ができてしまう言葉で、参加者の中にはしばらく《ぼんやり》と捉えていた人も居たはず」ということを伝えました。その後、講演者の方とは「“スタイル”よりも、もっとふさわしい言葉を探してみよう」ということになり、次の講演以降、表現や伝え方を変えることで「共感が一層高まった」とご連絡いただきました。
聞き手によっては《絵》がなくても、議論の中身をきちんと自分のものにして持ち帰れる人もいます。でも、発言者がその言葉に込めた本来伝えたかった意味や思いを、聞き手全員がどこまで消化できているか? 私の《筆の動き》と同じぐらい、解釈に時間がかかる人もいるはず。また、その《ぼんやり》のまま=参加者の認識が《ズレ》たままでは、話がまとまらない議論の場というのもあるはず。
《ぼんやり》したものを少しでも《ハッキリ》させて持ち帰ることができれば、講演や議論の内容は、その後もじわじわと現場で効いていきます。その手段の1つとして《絵》を残すことで「イメージとして記憶に残る」「後でまた思い出すキッカケになる」など、その時間をもっと“長持ちする”ものにできるなら、私自身、《筆の迷い・つまづき》を見逃すことなく、そして《ぼんやりワード》と出会ったらしつこく格闘しようと、心に決めています。
“空白”はあえて、そのまま
さて、筆が止まっても、議論に助けられて「①なんとか描き出せる」“カスタマー”や“スタイル”を紹介しましたが、「②結局何も描けなかった」という場合もあるんです。
ある研修で、A、B、Cの3チームが新サービスを提案する場があり、私はそれぞれを一枚ずつの《絵》にしていました。
最初のA、Bチームの「こんな生活者」に「こんなサービスを提案していく」というプレゼン内容を聞いて、2チームとも一番下に「こんな生活者」の《絵》を描きました。そこでCチームの《絵》を描くときも、「どんな生活者を想定しているのかな」と思いながら、一番下を空けて、描き進めました。
しかし10分後、発表が終わっても、その空白は埋まりませんでした。Cチームの発表の中で、サービスを受ける側である「生活者」の具体的な話がまったく語られなかったんです。
ぽっかり空白ができてしまった《絵》は、だれが見ても「アレ?」と思う仕上がり。バランスの悪さに思わず描き足したくなります。でも、何かが《ヌケ》てしまっているこの《絵》は、Cチームの発表そのものを映し出した《姿》。「何も描けなかった」には必ず《理由》があるわけで、そこできちんと《空白を残す》という行為も意味があると思っています。
《グラフィック》を振り返ってファシリテーションするとき、こうした場合には「ここに空白が残ってしまいました。何か入りませんか?」と尋ねています。ただ、このときは、私が聞くよりも先に「顧客視点が抜けちゃってるよ」と他のチームから発言が出たので、あえて尋ねる必要はなくなりました。
“描き損じ” もあえて、そのまま
筆が迷うと、その迷いが“描き損じ”に表れることもあります。「①なんとか描き出した」とはちょっと違います。「③描いたけど乱れちゃった」という状態です。描いていた途中で、「あれ?なんか違うなあ」と、違う《絵》を描きたくなるときです。
その場合も“空白”と同様、“描き損じ”をあえて残します。“バッテン!”をしたり、“ぐちゃぐちゃぐちゃ”と線を引いて、とにかく目に見えるように消します。その痕跡もまた、議論の流れ、浮き沈みといった状態=《姿》を表現してくれているからです。
ある研修のその日のテーマは「新商品の開発提案」。5グループが発表したそれぞれのアイデアを、参加者全員でさらにブラッシュアップしていく場でした。しかし議論は「なぜあの商品は売れなかったのか」という過去の自社商品に話が移っていました。
「あれは値づけの問題でしょう」「いや○○さん(←エライ人)が勝手にGOサイン出したことだから」うんぬんかんぬん…
このとき、壁に向っている私は一人“悶絶”していました。さっきまで描いていた新商品の《絵》は、オレンジ色でニコニコ顔の商品群。しかし、オレンジ色のペンで同じように描くには「ちょっと雲行き(議論内容)が違うなあ」「もう少し暗い色に変えようかな」「泣き顔のイメージ?」…。
さっきまでスイスイ進んでいた筆が迷い始めて、“描き損じ”が出始めました。特につながりのない《絵》をブツブツと描いています。そのうち《絵》は生気を失い、気付くと、《グラフィック》全体が右肩下がりになって元気がありません。それまでは右肩上がりで勢いがあったのに…。
議論すべきコースから《ソレ》たので、次に描こうとしていた流れに乗れなくなって筆が迷っているのがはっきりわかります。また、みんながゴールを無視して《バラバラ》の発言をしたので、《絵》もブツブツ切れている。
とにかく後に残った《グラフィック》は、嫌になっちゃうぐらい乱れていました。淀んでいるようにも見えます。色をつけ足して、少しでもきれいに仕上げたくなります。しかし、ぐっとこらえます。なぜなら「乱れてしまった」のも議論の《姿》。そして、ここにも必ず《理由》があるからです。
「筆が、進まない」が、教えてくれること
《筆の動き》を振り返ると、本当にいろんなことが見えてくるんです。まとめてみると、「筆が進まない」とき
- 「①なんとか描き出せる」場合もあれば、
- 「②結局何も描けなかった」(→空白)
- 「③描いたけど乱れちゃった」(→描き損じ)
そしてそれぞれに《理由》があります。
- ①議論が《ぼんやりワード》で語られている。
参加者の頭の中で思い描いている認識が《ズレ》ている。
- ②議論に《ヌケ・モレ》がある。
- ③発言者のゴールへ向う意識が《バラバラ》。
議論がコースから《ソレ》ている。
実際には、「筆が進まない」といって私が壁紙の前で固まっているのは、10~20秒程度です。議論は先にどんどん進んでいくので私も立ち止まっていられません。しかし、スタート時にはどんな場になるか予想すらしてなかった議論の様子が、2時間後には必ず《グラフィック》として見えてくる。そしてその中には必ず、描いている私すら気付かない痕跡が残っているんです。
描いた私が一番驚いていることかもしれません。そこには《筆だけが知っている》議論の流れ、浮き・沈み、発散・収束、その場の空気そのものまでが《グラフィック》に残っているといえます。第三者として立ち会った私の“筆”が見た《議論の姿》が教えてくれること。それを、リアルタイムでその場にフィードバックしていくと、議論が面白いように流れが変わっていくのはグラフィックファシリテーションの醍醐味でもあります。
さて、《筆》が教えてくれること。今回は「筆が進まないなあ」「なんだか筆の“ノリが悪い”なあ」と私が感じ取っているときの議論の様子をご紹介しましたが、次回は一転して「筆が進む!」「筆が走る!」という“ノリノリ”のときを紹介しようと思います。一見、議論が盛り上がっていないような場でも、ぐいぐい「筆が進む」ときがあったり、そこにじつは大きな“宝”が隠れていたり…これまた面白い現象がイロイロあるんです! 詳しくは第4回で。楽しみにしていてください。
ということで、今日のところはここまで。グラフィックファシリテーターのゆにでした(^-^)/