こんにちは。グラフィックファシリテーターの、やまざきゆにこです。前回は「筆が進まない」「描きたくても描けない」その理由を紹介しました。今回はその正反対に「私の筆がグイグイ走る!」議論について話をします。そこには参加者の「光る一言」がいっぱいです。あなたも今よりもっと議論上手になれちゃうかもです。
筆が喜ぶ「いいなあ、その発言!」
筆がグイグイ走るとき。それは一言で言ってしまえば、「いいこと言ってるなあ!」と感じる発言と、であったときです。
議論を傍らで聴いている私は、ずっと壁に向って絵筆を動かしているので、議論が始まって5分と経たないうちに、たいてい「今だれが話をしているのか」わからなくなってしまいます。でもおかげで、私の耳は発言者から切り離された「発言」だけを拾う作業を繰り返すことになります。そのとき、素直に「いいなあ、その発言!」と反応して筆が喜んで描いているときがあります。それがまさに「筆がグイグイ走る」瞬間。
そんな「いいなあ、その発言!」と感じて描いた〈絵〉を、まずはいくつか紹介します。
「いいなあ、その疑問!」
ある議論の中で「ブログの世界は宝の山」という話になり、私は“宝箱の絵” を描いてました。そんな私の耳に背後から
「でも、それってだれにとっての宝かなあ…」
という声が飛び込んできました。だれが発言したかはわかりません。でも「宝だと思い込んでいるけど本当にそれってターゲットにとって宝なの?」という彼の〈疑問〉は聞き逃せませんでした。
発言を聞いた直後の私の頭は、何の意図も、意志もないまま筆を動かしてます。描くという行為はほぼ脊髄反射。おそらく単純に「なんだかいいこと言ってるな~」と思って筆が走っただけ。ただとにかく「このまま聞き流してしまうのはもったいない!」と描き留めたという感じです。
「いいなあ、その違和感!」(1)
別のワークショップでのこと。議題はネット上の「検索」について。本当に欲しい情報を呼び出すのにもっといい検索サービスはないかという話でした。そのとき1人の参加者が
「何を検索するかにもよるけど、 もう “検索”させないでほしいな~」
と言いました。「そもそも『検索する』という行為自体どうなの?」と彼がちょっと〈違和感〉を感じてもらした言葉だったと思います。
そのときの議題はあくまでも「検索」だったので、彼の「検索しないで欲しい情報を手にする」案に対して深い議論にはなりませんでした。発言した本人もちょっとつぶやいただけかもしれません。でも、私の筆は「描かずにはいられません」でした。「そうだよね~検索したくないよね~」などとその言葉に深く共感しながら描き留めたことを覚えています。
「いいなあ、その違和感!」(2)
「検索」に関連して「amazonのリコメンド機能」についてもよく話題に出ます。まったく別の研修で、
「夜中に自分が見ていた履歴に従って、昼間に本やDVDをリコメンドされても困るよね…」
という会話がありました。みんなも「それは困るねー」「やだねー」などと笑いながらも、本題とは少し外れたその話題はそこで終わりました。でも、その彼が感じたちょっとした〈違和感〉が「すごくいいなあ!」とつい私は描いてしまいました。
何かを《感じた》から発した言葉
さて、「いいなあ」と筆が走った〈絵〉を見直して見ると、どれも、その場の議論では大きくは取り上げられなかった発言が目立ちます。〈絵〉にしなければその場から流れて消えてしまった可能性の高い発言ばかり。それらを私の筆が走って〈絵〉にしてしまった理由はなんでしょう?
- 「本当にそれってカスタマーにとって宝になってる?」
- 「本当にみんな検索なんてしたいの?」
- 「なんでもかんでもリコメンドされたい?」
これらは、彼らがちょっとした〈疑問〉や〈違和感〉を《感じて》もらした言葉。彼らのこの《感じた》というのがすごく「いいなあ!」と思うんです。
例えば、彼らの多くは、あるべき姿と今を照らし合せて何かズレを《感じて》発言したんだと思います。もしくは「会社の事情もわかる、上司の言い分もわかる、でも…」と、彼らの中で、何かこう、しっくりきていない《感じ》がある。
じつはとっても「本質をついている」発言、と言えるかもしれません。
役割分担。「いいなあ」を拾うのは私の役割
しかし、いくら本質を言い当てても、「理想と現実は違うよ」「今議論すべき本題とは違うよね」とその場で取り上げられず流されていく事情もわかりますよね。会社の都合、部門の事情、議事の進行の都合、年次・役職の違いによる発言力の弱さなど、理由はいろいろあるでしょう。
ただ幸いに、私はそういった事情や背景を知らない第三者としてその場にいます。まして発言者から言葉がすっかり切り離された状態。ならば素直に「いいなあ」と思った発言に飛びつく役割の人間が1人ぐらい居てもいいんじゃないでしょうか。
流れて消えていってしまう発言の数に比べたら、ちょっと筆が走ることぐらい害にはならないとも思うんです。それよりも大事なことは“〈絵〉に残す”ということ。
要約しない。まとめない。
「いいなあいいなあ」と勝手に共感して筆を走らせている姿は、議事進行側からするととても無責任に見えるかもしれません。でも、私はグラフィックで議論をうまくまとめて要約しようとは一切思っていないんです。これが議事進行を任されているファシリテーターの方との一番大きな違いだと思います。まさにこれも「役割分担」だと思っています。
私はグラフィックで議論の内容をわかりやすくきれいに図式化するつもりはないんです。それらは参加者自身もさまざまなフレームを使って、ホワイトボードを使って日々模索しています。そこで私がすべきことは、同じように整理したりすることではなく、議論に忠実に、発言を「拾う」こと。逆に、型や枠におさまりきらない発言まで「拾う」のが私の役割だと思うんです。
「とりあえず私が“拾って”おくので、みなさんは気にせずまずは設定したゴールに向って議論を進めてください。その代わり、後で一緒に〈絵〉を見直してみましょう!」というのがその場の私のスタンスです。
筆が走った〈絵〉が教えてくれること
その場の議論の流れを変える威力や即効性はなくても、とにかく〈絵〉に残しておけば、会議が終わった後、時間が過ぎて見直したときに、思わぬ自分の思い込みに気付かせてくれたり、様々な事情を抜きにして改めて原点に立ち返らせてくれる発見が〈絵〉の中には必ずあります。特に、筆がグイグイ走った〈絵〉についていえば、
- 違った視点を教えてくれる
- あるべき姿と現状のズレを教えてくれる
- しがらみを忘れて原点に立ち戻らせてくれる
ということが挙げられると思います。そして〈疑問〉や〈違和感〉を《感じて》もらした言葉には、様々な事情を抜きにした本音の強さがありました。議論の時間の中では邪魔者扱いされていたかもしれない発言も、見直してみる価値は必ずあるんです。
さて、今回は私の筆が喜んだ「いいこと言うなあ」を集めてみましたが、最近「いいこと言うなあ」だけで終わらせないヒントが、「とにかく絵にしやすい優秀なリーダーたちの語り」にあるのではないかと感じることがあります。次回はそんな体験をご紹介したいと思います。「グイグイ筆が進む」の第二弾、「とにかく優秀なリーダーの話は描きやすいんです」という話をしたいと思っています。ぜひ楽しみにしていてください。
ということで今日のところはここまで。グラフィックファシリテーターのゆにでした(^-^)/