こんにちは。グラフィックファシリテーターのやまざきゆにこです。早速ですが、私は会議や研修のメインファシリテーターの方と組んで仕事をしていますが(専門にしている方もいれば、社内でその役割を担っている方もいます)、ここ1~2年「今どきのファシリテーター」の力量に毎回驚かされています。
「今どきの」と書いたのは、時代と共に活躍する“タイプ”が変化してきている感じを受けるからです。一言で言うなら「しなやか」、「おだやか」、いや正直「ゆるい」!「頼りない」!? でもそんな彼らが「会議にいい流れをつくるんだよなあ~」と感心させられっぱなしなんです。
今回はそんな今どきの敏腕ファシリテーターが作り出す「会議にいい流れを生むコツ」を拾い出してみたいと思います。
1つとして同じファシリテーションが無いのが魅力的で、それは個性によるものとばかり思っていたのですが、最近いくつかの共通点を感じています。それは今の時代が求めている『場』を生む要素とも言えるかもしれません。
ただし、私が感心させられているその手腕が、必ずしも、どの『場』にもふさわしいとは限りません。読み手の方には取捨選択をお願いしたいのですが、いい『流れ』を生むヒントが落ちていそうなので、思いつくままご紹介してみたいと思います。
「いい流れを生む」ファシリテーター
大前提として、ここでご紹介するのは“新しい何かを生み出そうとする『場』に立ち合う”ファシリテーターの方たちです。彼らの関心は“何を生むか”というゴールよりも、参加者が自ら気付いて考え始めるスタートラインと、意欲的に参加してみんなと何かを紡ぎ出していくというその過程(プロセス)について考えを巡らせています。
最近彼らの口からよく聞くのは「自律」「主体性」「オープン」「対話」「共感・共有」「自己探求」といった言葉。参加者にいかに「主体性」を起こさせ、「対話」「共感・共有」「自己探求」できる『場』をつくり出せるか、その「仕掛け」をあの手この手と考えている「場の仕掛け人」とも言えます。
①「居心地への気配り」が違う
まず『場』の選定ですが「無機質な会議室」から少しでも離れようとするのが最近の傾向でしょうか。環境を思い切り変えて温泉旅館で合宿、ハイクラスなホテルで終日議論。しかしこれらは派手な一面に過ぎず、本当に感心してしまうのは、細部に至るまでの彼らの配慮です。
「無機質な会議室」であっても、テーブルクロスを敷く、畳やマットを持ち込んで車座になる、コーヒーやお茶菓子を用意する、手配するお弁当にもこだわる、イスとテーブルの配置を真剣に考える、会議のタイトルに一工夫を加える、事前の招待メール・参加後のありがとうメールを送る、夜の宴席予約まで、その気配りたるやスゴイんです。
ファシリテーターの細かい気配りなど、参加者にはそれが特別な行動であるとは気づきにくい。いくらでも手を抜ける部分でもあります。それでもそこに時間やお金を投資できる(もしくはそうクライアントを説得できる)ファシリテーターはスゴイなあと感心してしまいます。
②最小限の「問いかけ」にこだわる
場の仕掛け方として最近は本当にいろんな手法がありますよね。チェックインチェックアウト、前述したワールドカフェ(※第8回で紹介)も今注目を集めている手法の1つでしょうか。みんなで未来図を絵にしてみる、物語を書いてみる、粘土作業をする、皆でダンスをするというのもあるそうです。
しかし、「面白そうな手法!」と参加してみたものの「なんだかつまらなかった」なんて経験ありませんか? そこでファシリテーターの違いが出るのかなと感じるんですが、いい体験をさせてくれるファシリテーターに共通するのは、その「仕掛け」の新しさ・ユニークさに頼りきっていないところ。「仕掛け」を通して「参加者に考えてほしいこと、気付いてほしいこと」を心の中でずーっと深く深~く考えているという点です。
彼らが一番苦心していることはその「仕掛け」を使って「どんな問いを参加者達に投げかけるか」ということです。『問い』という言葉も最近のキーワードかもしれません。しかも「いかに最小限で鋭いテーマ設定ができるか」ということにこだわりを感じます。参加者が「自らが動き出す」ためにはこちらからの投げかけは最小限なほど効果的という考えです。
「いい問いさえ投げられれば、後は参加者自身が考え歩き出して行く」という彼らの信念には、参加者の可能性を信じて止まない愛情すら感じるときがあります。
③「放置」「見守り」っぷりがすごい
それにしても驚かされるのは、やはり彼らの参加者に対する「放置」っぷりです。問いかけは最小限がいいとはいえ、あまりに関与してこないファシリテーターに、参加者はたいてい戸惑います。中には「え?!何しろっていうの?!」なんてちょっと怒り気味の人も。後ろで絵を描いている私はそんな混乱・迷走する『場』にハラハラドキドキ。
ここで驚くほど、にこにこ穏やかに「放置」「見守り」に徹するファシリテーターたちがいるんです。そしてそれが後々、だれも予想していないスパイラルやアウトプットを生んだりする。
じつは怒り出してしまう人ほど、責任感のとても強い人だったりします。人の頭は優秀で、隙間ができるとそれを埋めようとするようで、指示がなければそのうち“自分で”考え始めます。そして次々と人は責任感や意志を持って立ち上がり始めるんです。中には第二のファシリテーションリーダーが現われる。そんな様子を私は何度も目撃しました。
ファシリテーターの方に「こうなることを予想していたんですか?」と聞くんですが、「必ずこうなるとも限らない」との答え。それでもガンと動かず黙って見守れるその強さ。これもまた参加者への期待値の高さに比例するんじゃないでしょうか。
④「否定」しない
このスタンスにもハラハラさせられています。2つのスタイルがあるのですが、1つは「相手の意見を否定しない」というスタンスです。これは「主体的な対話」を生むファシリテーションの今のトレンドかもしれません。ちなみに、いつもいつも「否定しない」わけではありません。あくまでも「今この時間」は「相手の意見を否定しない」。お互い自由に意見を発言しやすい雰囲気をつくり出すための“最低限のルール”です。
もう1つは「議論の『流れ』そのものを否定しない」というスタンス。いい『流れ』だなと感じたら、予定を変えてでもその『流れ』を優先してしまうところです。例えば休憩中に議論が盛り上がり始めたら、次のプログラムに入らない。ファシリテーターと呼ばれる人はタイムマネジメントを任され、最終的に何かしらの成果を期待されているので、普通なら予定通りにプログラムを進めたくなると思うんです。でも、彼らはそれにこだわりがない。私のほうが「時間は大丈夫?」とハラハラさせられています。
⑤誘導しない・フレームにハメない
いい意味でこだわりがない。とにかく今、ここで起きていることに敏感で、予定したプログラムに縛られず、とても柔軟に対応できるファシリテーターが増えていると感じます。たとえ「時間」を区切ったとしても、『流れ』を中断しないようにどう次へつなごうかと考えをめぐらせています。
先日読者の方から「場の仕掛け人がイメージを持つこと、と書いてありましたが、意図(CTIのコーチングで言う意図的な協働関係からくるプラスのイメージの意図)にも近いのかなと思いました」という感想を頂きましたが、彼らにはその「意図」すら手放せる強さがあるように思います。
時として設定されたゴールに向かって誘導しようとする意図的なファシリテーションってあると思うんですが(ここでの「意図」はマイナスのメージですね)、『流れ』を否定しないファシリテーターは、先頭を歩いて誘導することはなく、どちらかというとみんなの後ろを歩いている感じです。
フレームを用意していても、それに無理矢理ハメようともしません。逆に、フレーム外=予想外の何かを参加者が生むことに大きな期待を寄せています。彼らは『場』が流れていくイメージは持っていますが、「イメージに近づけたいという気持ち」やその「イメージそのもの」はいつでも手放せちゃうんです。実にそのいい加減さがスゴイ!
⑥「答え」を求めない、急がさない
彼らの進行スタイルやタイムマネジメントの「ゆるさ」に、だいぶ慣れてきた私ですが、今だに一番ハラハラするのは「こんな尻切れトンボな感じで終わっていいの?!」と思わず叫んでしまう終わり方にあります。
彼らはアウトプットの完成度についてまったく問題視していません。だからゴールに向けて参加者を急かしたりしません。でも急かしてくれないから不安になった参加者は自分で走り出す。そして参加者のほうが何かしら「アウトプット」を出そうとしてくる。…そんな感じです。
ファシリテーターが「答え」を求めてこないので、「こんなあやふやな状態でいいの?」となんだか落ち着かない気持ちのまま終わるんです。でもあまりに不完全燃焼なので、終わった後も気になってあれこれ考えてしまう…。そしてそのとき初めて気づくんです。「これが彼らの罠だったか!」と。
「大事なのは今、正解を出すことではない」と彼らは言います。むしろ帰った後も本人の中で「探求」を起こせるか。帰った後も「持続可能な問いを残せるか」ということを大事に考えています。
⑦「持ち帰ってほしい」が彼らの口ぐせ
「答えを求めない」彼らですが、面白いぐらいに共通して言うのは「参加した人たちに“何かしら”持ち帰ってほしい」という思い。
彼らの関心は「参加者が“何を生むか”」というゴールよりも、その過程(プロセス)で起きること、感じることを持ち帰ってほしいという思い。『流れ』を拾う私のグラフィックと相性がいいのはそういう理由からかもしれません。
その過程で少しでもいいものを持ち帰ってほしいから、彼らは居心地にものすごく気を配り(①)、問いかけは最小限に抑え(②)、放置・見守りに徹し(③)いい流れを否定せず(④)誘導もせず、フレームから外れることを歓迎し(⑤)とにかく急かさず、すぐに答えを求めない(⑥)んですね。すべては本人が自ら歩き出して何かを見つけるために。
⑧「余波」が違う
こうした思いで準備された『場』はなんとも言えない“ウエルカム感”を醸し出します。大袈裟に手を広げて「ようこそ!」とは一言も言っていないのに、研修や会議に気乗りしないでやってきた参加者も、扉を開けた瞬間からすっかりその空気に飲み込まれてしまうんです。
当日のファシリテーターは本当に驚くほど寡黙で、無理に『場』を盛り上げるために饒舌になったりしません。でも、参加者を見ていると、参加意欲が増してくる、さっきまでのやらされ感は消えている、眠っていた主体性が目を覚ます、そして「今日は楽しかった」「次回も楽しみ」と言って帰っていく。その後のメールの感想も早い。意見交換も活発になる。
その日だけでファシリテーションの成果は測れないんです。終わった後の持続性=余波がじわじわと広がり続ける。それを見越した彼らは、参加者が集まった海に「どんな一滴を落とすか」「どれだけの波紋を広げられる一滴を落とせるか」ということに集中しているように見えます。
次に求められるのは「コンテキスト・マザー」
つい目の前の成果や混乱・迷走に気を取られがちですが、その後の余波を見るにつけ、彼らの忍耐力には感心してしまいます。すべては「可能性を信じる」その参加者への期待値の高さ、信頼の深さに比例すると思います。温かく見守るその目線はまさに「MOTHER!」母親のような存在です。
しかし、一方で、当事者である参加者たちと一定の距離を置くというのが今のファシリテーターの流儀だとしたら、そんな遠慮とも見える静かな立ち姿にもどかしさを感じるときがあります。母なるポジションだからこそ、見えている『流れ』がきっとあるはずなんです。私自身は「グラフィックを描く」という手法を通してですが、第三者として一定の距離を保てるポジションだからこそ感じ取る『流れ』がたくさんあります。そしてそれは、なかなか当事者である参加者達には拾いにくいものなんです。
うるさいなあと言われても母なるポジションなら、誉めるばかりだけでなく、時には叱咤激励をしてあげる。そんなお節介さが加わってきてもいいのではないでしょうか。今よりももっと継続的に同じ『場』に関わっていくことでさらにその力を発揮できると思います。「ファシリテーター」に求められる条件は、時代と共に変化していて、次にくるのは、そんな流れているもの~コンテキストを読み取り、フィードバックできる『コンテキスト・マザー』と呼べるような存在なのではないでしょうか。
さて次回は、前回「Q&A」で実はもっとも多かった質問「絵心がないんですけど」に挑戦してみたいと思います。正直、今のところ明確な答えを持ちあわせてないのですが…次回までに考えてみます。
それから、最後に1つご報告です。
先月、「グラフィックファシリテーター(graphicfacilitator)」の商標登録証が特許庁から届きました。大きな封筒からそれが出てきたときは…驚いたのと同時に感無量…でした。申請を出したのは2年前。改めて思い出したのは「描くことで世の中に役に立ちたい、いや絶対立てるはず…」と1人使命感に燃えていたあのときの思い。まだまだ発展途上ですが、初志・初心を忘れず、これからも日々技術を磨いていきますので今後ともどうぞよろしくお願い致します。
ということで、今日のところはここまで。グラフィックファシリテーターのゆにでした(^-^)/