こんにちは。グラフィックファシリテーターのやまざきゆにこです。
さて、さまざまな会議や研修で筆を動かしていると、絵に興味を示して近寄って来てくださる方たちが、必ず現れます。
今日は、そんなグラフィックを楽しむのが上手な方たちが、じつは、議論の流れを変えていく、つまりはグラフィックを絵に描いた餅に終わらせないキーパーソンなんです、というお話です。
絵の世界を楽しめるオトナコドモな[実行者]たち
これはグラフィックダイアログの中で感じていることなのですが、面白いぐらいに、絵を見て"感じたままに"語り出すのが得意なのは、その「場」の長である社長、役員、部長、マネージャー、リーダーといったクラスの方たちが断然多いように感じています。
何のためらいもなく、私が絵の解説(グラフィックフィードバック)をする前から、たとえば私が描いた参加者の似顔絵を見て「○○さん、ちょっとかっこよすぎない?」とか、絵を指して「どうしてこの人は羽をつけて飛んでるの?」とニコニコしながら質問してきます。絵の眺め方が本当に軽やかです。
一方で、最初はグラフィックには近寄らず、一定の距離を置いて、腕を組んで、難しそうな顔をして見ている人もいます。感想を言うよりも、初めて見るグラフィックに、呆気にとられているといった方もいます。
でも、何も感じていないわけでは決してないんです。実際、4、5人の小グループに分かれてを再開すると、しきりに壁の絵を指差して語り出します。それを聞いていると、実は自身が大事にしている価値感(でも言葉に出して言ってなかったこと)を再認識したことや、新たな問題意識に気付いたことなど、その沈黙の間に自己探求の時間があったことがよくわかります。
絵を見て言葉にする反応スピードは、人によって本当に違います。そしてまた速い遅いということは問題ではありません。
しかし、そういった様々な反応を示す人たちがいる「場」の中で、みんなの目線を1つに集め、絵の世界からみんなと新たな気づきを共有して、全体の方向性を確かなものにする。そんなグラフィックダイアログで、口火を切るのは、「場」の長であるリーダー、もしくは今の肩書は1メンバーであっても次にリーダーたるポジションに呼ばれる人たちです。そして、そんな彼らには、共通の思考パターン、行動パターンがあるように感じています。
それは、絵を楽しみながらも、しっかり絵の世界と対峙する姿勢。そこにあぶりだされた現状から目をそらさず受け入れる姿勢。そして絵の中から何が問題なのか、何をすべきかといった議論を始めていくこだわり。その議論の進め方は、いいかえれば、[実行]を前提に、だれよりも[責任]を持ってその議論に立ちあっている人たちならではともいえます。
そんな[実行者]たちとのから生まれた絵をここで1つ紹介します。
絵空事で終わらせない議論 「『失敗を許す』を絵にすると?」
下の絵は、社団法人 企業研究会主催の研修で、海外に駐在し現地でトップとして活躍するビジネスリーダー向けに行われたプログラムで描いた一枚です。ここでは「リーダーが失敗を許さないと部下はチャレンジをしなくなる」「失敗を許す度量がトップには求められる」といった『失敗を許す』という話を扱っていました。
このとき、受講者の一人から「それはよくわかるが、明日から現場に戻って本当に許せるかと言ったら、どうしても『失敗を許す』とは言い切れない自分がいる」という意見が出てきました。赴任先から一時帰国してその研修に参加していたKさんの言葉には、とても重みがあり、現実に直面している問題をいくつも想定しているように感じました。
そのKさんのモヤモヤ感、経営者として「失敗を許す」「許さない」の判断の難しさについて、講師を交えた受講者の方たちが車座になって、みんなで活発な議論になりました。しかし、そのときの私はというと、筆がうまく進まなくて、壁に向かって苦しんでいました。
「失敗を許す」という言葉に、イメージが湧いてこないんです。「失敗とは、例えばどんな失敗?」「許される失敗とは、例えばどの程度のもの?」。議論のほうは「失敗」の二文字から思い描くイメージが、それぞれ違ったものでぶつかりあっているようで、なかなか絵に描けません。
「せめてその失敗がどのぐらい大きいのか、もしくは小さいのかがわかるといいんだけど」とふと思った私は、とりあえず、「小さな石ころに蹴つまづいたぐらいの失敗なら許される?」と左上に転んだ人を描きました。次に道からはずれて「崖から足を踏み外すほどの失敗はさすがに許されない?」と思いながら、右上に、足を崖の外に踏み出した従業員を描きました。警告の笛をピピピッ!と吹くリーダーの絵も描いてみました。
そうしている間も、意見が交わされていましたが、私にはその後も「失敗」の具体的な絵が描けなかったので、手を挙げて、今上記に書いたとおりのままに、「描けなかったので試しに想像で絵を描いてみました」とみなさんにフィードバックしました。
すると、やおらKさんが立ちあがって、この絵に近づいて、崖を踏み外した従業員を指差して「そうそう!この失敗を私は許したいんだ」とおっしゃったんです。じつは私は、右下にある大きな目標までの道を大きく描いていたんですが、Kさんにはそんな広い安全な道を歩いていくつもりは毛頭なかったんです。この崖に飛び出すぐらいのチャレンジをして、その先に見えるもっと高い目標の旗を取りにいくイメージ。経営者の目線とはこういうものなんですね。他の受講者の方たちもそこでウンウンと強くうなずいていました。そこで、私は
「それはインディージョーンズのような橋を架けていくイメージですか?!」
と、言いながら、その踏み出した人の足元に、途中で切れている板の橋を描き足しました。その板には「チャレンジ」という字も書き加えました。
すると、Kさんは「そうそう! もしかしたら駐在期間中にはこの橋の一枚すら架けられないまま終わるかもしれないけれど、それに挑戦した失敗なら許したいんだ」とおっしゃいました。このとき、さっきまで難しい表情をしていたKさんの顔がパッと明るくなったのがとっても印象的でした。
すると別の方から「敗者復活の道も用意されてないとね」という発言も出ました。そこで私は
「では、梯子が必要ですね!」
と崖から元気に戻ってくる絵も描き足しました。そうして出来上がったのがこの絵です。
Kさんはこのやりとりの間、ずっと絵の前に立っていました。時間としては7、8分程度ですが、この間に、Kさんは私にインディージョーンズの橋や梯子を描かせ、「自分のもの」にしてこの絵を持ち帰りました。そして、その場にいたひとたちも、他のどの絵よりもその絵を大事に持ち帰ったと思います。全員が1つの目線を共有した時間でした。
モヤモヤのままで終わらせない[実行者]たち
Kさんは「絵の力はすごいすごい」とおっしゃって赴任先に帰って行かれました。しかし、そのモヤモヤを晴らしたのは、実際は絵ではなく、そこにこだわったKさんの"思い"です。
恐らくKさんの頭の中には、「失敗を許す」「許さない」の判断を迷ういくつかの具体的なシーンがモヤモヤした状態であったのだと思います。「納得できない」「頭ではわかっていてもできない自分がいる」と吐露したKさん。Kさんに限らず、「自分の絵として持ち帰る」議論を進める人たちに共通するのは、そのモヤモヤをどうにか晴らしたいという強い「思い」だと思います。
そして、その"思い"や"こだわり"がだれよりも強いのは、[実行]を前提に議論をしている人だからです。なんとかしなくてはいけないという[責任]がだれよりも強い人だからです。
絵を見ても「そうはいってもお客さんが」とか「上司が」とか「うちの会社の文化は」と、「だれかのせい」「何かのせい」にして言い訳してしまう人は、がなかなか楽しめません。その絵はだれのものでもない、自分たちが交わした議論の姿なのに、どこか他人事のように見ています。
でも、リーダーたちはあぶりだされた絵から逃げない。会社のせいにしない。外部環境のせいにしない。だから、だれよりも先に絵の前に立って、議論を推し進めていく、じぶんの絵として持ち帰る貪欲さが自然と生まれるのではないかと思っています。
彼らの口癖は「納得できない」「見えない」「イメージが違う」「なんだかしっくりこない」といったもの。絵がじぶんのイメージと違えば、「このサービスをする人の絵は、もっと下から支えている感じ」といった具合に細かくその違和感を伝えてくれます。私は喜んで描き直します。
「優秀なリーダーの話は絵にしやすい」と第5回で話しましたが、優秀なリーダーが"常に"具体的なイメージを持って話をするから「描きやすい」と言っているわけではありません。比率で言ったら、「なんとなくイメージはあるけれど、絵にならない」もどかしさを強く抱えているほうがずっと多いと思います。でも「絶対、こっちの道にすすむべきなんだ」という"思い"が人より強いから、絵を目にしたとき、自分のイメージに近づけるように、立ちあがって議論し出すんだと思います。
リーダークラスのダイアログを推し進める力強さは、[実行]に[責任]を持っている表れにほかなりません。[責任]を取ると言いきる力強さに比例しているとも言えます。
Kさんも、このモヤモヤをはっきりさせなければ、じぶんは「できない」と言いきりました。そんな人が推し進めるダイアログはとても力強いです。
気になる絵を指差してみることから始まる
議論がなぜモヤモヤしているのか、当事者である人たちには、本当に見えにくいんです。そもそも議論がモヤモヤしていること自体に気付かない。違和感も感じないまま、議論が流れていくこともほとんどです。
でも、絵は鏡。そのモヤが晴れれば晴れるほど、人の行動を変える力強さがあります。私の筆が迷ったときこそチャンスです。そして次に筆を進めてくれるのは、私のいたずら描きでは決してなく、その「場」の参加者たちが交わす言葉、です。
筆の迷いにピンと察知が速いのは、リーダークラスの人たちが多いのは事実です。でも、モヤに隠れた絵を描き出すには、その人一人ではできません。その場の人たちがつくり出すでしかないんです。
間違いなく、絵の前に立ったら、そこには役職も立場も関係なくなります。だれが最初の口火を切ってもいい場です。内容もスゴイことを言う必要はありません。「私はこの絵が印象に残った」と指差すだけでいい。それが絵に許される"遊び"の部分です。
そして、そんな大したことのないようなつぶやきが、他の人の中に眠っていた言葉を引き出したりします。敏感なリーダーはそのつぶやきに飛びつきます。私自身もその絵がどうして印象に残ったのか教えてもらいたくなります。そうして自然と生まれるが「じぶんたちの絵」としてあなたの心の中に残り、その後の行動を変えていくんです。
次回も、グラフィックの楽しみ上手な方を紹介したいと思います。そのその人たちはチームや組織を巻き込む力がとっても上手な人たちです。
ということで今日のところはここまで。グラフィックファシリテーターのゆにでした(^-^)/