こんにちは。グラフィックファシリテーターのやまざきゆにこです。前回に引き続き、「また同じ絵が描けてしまった!」という現象をご紹介します。会社やテーマ、集まるメンバーもまったく違う会議の場から、絵筆を通して世の中に共通している何かが見えてきます。
今回は、ある「枠」が何度も描けてしまうという話です。もしかしたら、わたしも皆さんも、知らず知らずのうちに入り込んでしまっているのかもしれません。
「○○であるべきだ」の「べきだ枠」
「窮屈な枠」の中に、だれに押し込められたわけでもなく、自ら入ってしまっている…。次のような絵を本当によく描きます。
この絵が描けたときの議論を思い出してみると、必ず「○○であるべきだ」「○○であらねばならない」という発言が聴こえていました。
例えば次の絵は、ある会議室の様子です。
この絵が描けたときの会話は、「会議という場は『きちんと順序立てて話さなければいけない』場なので、つい黙ってしまい、何も発言しないまま終ってしまう
(しかし今日体験した“対話”という場では、感じたままに話をしていいので楽しかった!)」というものでした。
ほかにも次のようなやりとり:
- 「会議で発言するときは、整理して話さなければいけない」
- 「起承転結をまとめて、発表するべきだ」
- 「結論から言うべきだ」
- 「ダラダラと話すべきではない」
- 「きちんと話さなければいけない」
といった会話が聴こえてきて「窮屈な枠」に囚われた人の絵が描けました。
「枠」にじぶんをはめ込んで、窮屈そうにしている人の絵を本当によく描くため、そのうちわたしの中ではこの「枠」を「べきだ枠」と呼ぶようになりました。
今では、絵筆を動かしているときには気づかなくても、後でグラフィックフィードバックをするときに絵巻物の中に見つけては、「あ、また『べきだ枠』が描けている!」と言っています。
じぶんから入り込んでいる窮屈な「べきだ枠」
「○○であるべきだ」「○○であらねばならない」という「べきだ枠」に囚われている人たちの表情はいつもどこか冴えません。そして、そこからなかなか抜けられないでいる人たちの絵が描けます。
例えば、あるAさんの発言。
「メールをしたら、返信するのが当然だ(なのに上司が返信をくれない!)」
このときも「べきだ枠」が描けてきました。「メールを受け取ったら返信するべきだ」という「べきだ枠」に囚われているAさんです。
第三者の立場から聴いていると、Aさんのその上司は、もしかしたら「一日会議ばかりでパソコンを開く時間がない」のかもしれないし、「毎日100通以上のメールが届いている」のかもしれないし、「大切な用件は口頭で伝えてほしいと思っている」かもしれない…などと、いろいろ考えられます。第三者という立場からなら、Aさんが「べきだ枠」にハマっているのは容易に想像がつきます。
しかし、このことが、いざ自分のことや自分が所属する組織や会社のこととなると話が違います。そんな「枠」というものが存在していることすら知らない・気づいていない。そもそも、じぶんが何かに囚われているとは思いもしません。それでも、知らず知らずのうちにハマってしまっているのがこの「べきだ枠」です。目には見えないやっかいな「枠」です。わたし自身も普段は第三者の立場で聴いているからこそ描けるわけですが、当事者であったら描き出せないと思います。
他人にも押しつけている「べきだ枠」
「○○であるべきだ」と「べきだ枠」を「他人」にも押しつけている絵もよく描きます。そして、これもまたほとんどが無意識のうちに、知らず知らずのうちに、悪気はないのに押しつけてしまっている現象として描けます。
例えば、上司が部下に対して
「どうしてミスが大きくなる前にもっと早く相談できないんだ?」
という会話を聴いているうちに
「部下はもっとじぶんから、上司や先輩に質問するべきだ」
という上司の持つ「べきだ枠」が描けました。
また、ある会社の営業所から本社に対して
「忙しい営業所にこれ以上、仕事を増やさないでほしい」
という思いを持っているという話を聴いているうちに
「これらの業務は、本社で処理すべきだ」
という営業所の「べきだ枠」が描けました。
そして、いずれも「べきだ枠」を相手に押しつけようとしている絵が描けました。
そういえば、先ほどのAさんも、上司に「メールを受け取ったら返信するべきだ」という「べきだ枠」を押しつけていました。
ある会議で、「強烈なトップダウンのあるヒエラルキー型組織とは」という絵を描いたときも、今見返すと、トップが部下に「べきだ枠」を押しつけているという次のような絵が描けていました。
“ボス”がじぶんの成功体験でつくりあげた「べきだ枠」に、社員全員をハメようとしている様子です。社員はその「枠」と同じ形の四角い頭になってしまったという組織です(こうして「枠」を押しつけられてつくりあげられた四角い従業員が、第28回で紹介した「不感症ロボット」になっていきます)。
だれもが持っている「べきだ枠」
「べきだ枠」を“無意識に”押しつけている側は「何度言っても伝わらない」と言い、押しつけられた側は「どうしてそんなことを言われなければいけないのか」と言う声が、どの絵からも聞こえてきそう。お互い不愉快な思いをしているようにも見えてきました。
ただ、ここでちょっと質問です。あなたはどちらのタイプでしょうか? 会話の相手は上司や部下、友人や家族でも構いません。そのときのあなたは「こうあるべきだ」と「押しつける側」ですか? それとも「押しつけられている側」ですか?
「相手によってどちらの側にもなり得る」というシーンが思い描けるのではないでしょうか。絵巻物の中でも同様に「べきだ枠」」は“一方的に”押しつける/押しつけられるの関係ではなく、“双方が”押しつけあっている絵として描けてきます。
例えば、部下から上司に対する不満があふれ出てきたときのこと。
- 「うちの上司は、ものすごく細かくてうるさい…」
- 「うちの上司は、放任主義で何も決めてくれない…」
- 「うちの上司は、上ばかり見ていて、部下のことは見ていない…」
- 「うちの上司は、目標数字は掲げるけれど、ビジョンは全くない…」
- 「日々、目の前の仕事に追われていて、気持ちが疲弊…」
- 「上司が変われば、もっと仕事がしやすいのに…」
そして「上司なのだから、もっとリーダーシップを発揮するべきだ。そうでないと部下は…」という話から、彼らの「べきだ枠」が描けたのです。
- 「リーダーとはビジョンを示すべきだ」
- 「リーダーとは組織の先に立って先導すべきだ/」
- 「リーダーとは部下を信頼して任せるべきだ」etc.
それは三者三様、十人十色のさまざまな「リーダーシップとはこうあるべきだ」という「べきだ枠」が描けました。
「べきだ枠」に囚われることは、悪いことではなかった
上司が部下に対して一方的に「こうあるべきだ」と押しつけているのかと思ったら、部下も上司に対して(普段は声には出さないけれど!)多いに「べきだ枠」を押しつけて、その通りにハマらない上司に対して不満を漏らしている絵が描けました。
てっきり“被害者”と“加害者”の関係かと思っていたのですが、「あら? なーんだ。“お互いさま”ですね」と思えてきました。
「べきだ枠」とは、だれもが囚われてしまうもの。だれもが(つい無意識のうちに)押しつけてしまうもの。だとすると、「べきだ枠」を押しつけることは悪いことでもなければ、「べきだ枠」に囚われている自分やだれかをダメ出しすることでもないのかなと思えてきます。
「べきだ枠」に囚われることは悪いことではない、というところから改めて、これらの絵を見直してみると、「あの人とはどうもコミュニケーションがうまくとれない」といったモヤモヤが晴れるヒントが見えてきました。その続きは次回でご紹介したいと思います。ということで、今回はここまで。
グラフィックファシリテーターのゆにでした(^-^)/