GTDとはなにか
GTDとは、デビッド・アレン氏がその著書『Getting Things Done: The Art of Stress-Free Productivity (「仕事を成し遂げる技術―ストレスなく生産性を発揮する方法)』(2002年)の中で提唱した仕事のやり方で、その頭文字を取って「GTD」と呼ばれています。
この仕事のやり方は、ナレッジワーカーを中心にまたたく間に広がりました。GTDを取り上げたWebサイトやブログは多岐に渡り、それぞれがGTDを仕事術や時間管理術、エネルギーとストレスの管理法などと、独自に解釈していることも特徴的で、GTDは多様な解釈を許容するようです。
GTDの手順は単純で、まず「頭の中の気になることをすべて書き出す」、次いで「然るべき決められた手順に従って仕事を分類し、実行する」、そして「それを定期的に繰り返す」という3つだけです。
然るべき決められた手順とは、その「気になること」が、必要なことか、資料か、二分以内に終わるものか、複雑な手順を要するか、他人に任せられるか、実行する日時が決まっているか、いつかやればいいのか、をまず検討します。そして、これに該当しないものは「次にやってしまうリスト」に書き入れ、複雑な手順を要するもの(プロジェクト)は単純な動作(タスク)にまで分解し、それぞれいつやるべきかを再び検討していくというものです。
こうして手順を記すと、一見複雑そうに見えますが、原理的には書き出した「気になること」ひとつにつき、同じ手順のフィルタリングを一度かけるということを、書き出したことがなくなるまで機械的に繰り返すだけです。そして初回以後は、やることが出来たらとりあえず記録しておいて、定期的にまとめてフィルタリングする時間を持つようにします。
こうした手順を踏むと、毎日の「次にやるべきこと」のリストが出来上がります。そして、そのリストを見ながら、今やることに集中することで、やるべきことを覚えておくことや、次に何をやればいいのかを考える無駄な時間をなくし、ストレスから解放された脳を、創造的なことに使うことで生産性を向上させる、というのがGTDの一般的な認識です。
くわしくは、gihyo.jpの連載「GTDでお仕事カイゼン!」やITmedia Biz.ID:Getting Things Done(GTD)まとめなどを参考にして下さい。
GTDの問題点
それぞれの分野で秀でた人は、暗黙知と呼ばれる言葉では言い表すことができない領域の知識を持っています。これは、勘やコツと呼ばれる個人的な知識の領域で、明確に語れる類いのものではありません。
GTDは、こうした暗黙知的な「仕事のやり方」を一般化、標準化し、マニュアル化したものです。GTDが破綻しやすく、またリカバリーしやすいのは、それが最大公約数的な「手順」だからです。だからこそ、GTDは多様な解釈を許すのだと思います。しかし、あくまでも最大公約数的であって、万能の手順ではありません。
大抵1日はスケジュール通りには進みません。新規の仕事や緊急の仕事、あるいは友人から頼まれた仕事や遊びの誘い、電話やメールなど、どこからか不意に邪魔が入ることになります。
そこで、事前に作成しておいた「次にやることリスト」と照らし合わせながら、今やるべきことを進め、それ以外のことはすべて後回しにし、後に「然るべき決められた手順」に従って、スケジュールに組み入れるかどうかを検討します。その結果、この時間帯にはリストに書いてあること以外してはならず、メールや電話は後でまとめて片付ける、というような「時間割」が形作られていきます。
つまり、GTDが管理しているのは、時間や生産性ではなく「行動」なのです。自分と周囲の人間の行動を管理する技術、とも言えます。GTDのスケジュール管理やデータ管理はすべて、「今日やること以外はやらない」為にあります。
身も蓋もない言い方をすれば、GTDは基本的に行動を制限し、禁止することで生産性を上げる方法です。学校で「授業中によそ見をしてはいけません」と叱られていたことを、より高度に洗練させたものに他なりません。ただし、教師・チャイム・カリキュラムのすべてを自分で用意しなければならず、その部分に対しては比較的自由度が高く、自分の好きなツールを使用することができるため、GTDは高い人気を博しているのだと思います。
様々なGTD実践者が、様々にGTDを解釈していますが、僕の中では上記のように、GTDは「自分を学校にする方法」です。僕がGTDに挫折した理由のひとつとして、こうした行動を制限されること、しかも自分自身で、というよりはGTDという手順によって自分の行動が制限されていることが嫌になってきた、ということがあげられると思います。
GTDでは、「レビュー」という定期的な「気になること」の見直しと、手順のフィルタリングの時間を確保することを重視しますが、これは学校で言うところの「予習と復習」に相当します。僕の場合、この予習と復習を絶対にやらなければならないというストレスが、次第にGTDを続けることを苦痛なものにしていきました。これは、僕がGTDを使いこなしていなかったこと、自分がGTDの上位に立っていなかったことが原因です。しっかりとした目的意識を持たずにGTDを実践していた為に、GTDという、手順に過ぎないものに、逆に使われてしまっていた結果です。
また別の問題として、GTD的思考は、ややもすると、すべての問題を自分の責任として捉えてしまう傾向があるのではないか、ということがあげられます。
GTDの手順の中では、自分を取り巻くフレーム(大枠)を疑うという余地がありません。それは、フレームの歪みを前提として働くことに繋がります。やって来る仕事を、とにかく次々と処理することに専念してしまい、自分のストレスの原因が、実はフレームの歪みにあり、それを正せばストレスはなくなるかも知れない、という可能性に目をつぶってしまうことにもなりかねません。
例えば、自分が忙しいのは無能な営業や、部下の力量や状況を顧みずに仕事を発注する、上司のせいかもしれないにも関わらず、自分の仕事のやり方が悪い、効率が悪い、あるいは自分の能力不足のせいだと考えてしまいかねないということです。
さらには、Maybe/Someday(いつかやる/そのうちやるかもしれないことのリスト)の中のプロジェクトを、実行可能なタスクに分解していく過程で、失われていくものが出てきてしまうという問題があります。
例えば、空を飛びたいという夢=プロジェクトを、実現可能なタスクに分解し、結局パラグライダーの免許を取ることになった時、僕にはそこで何かが失われているような気がしてなりません。
ずいぶんとネガティブなことを書きましたが、GTD的な仕事の処理方法が、役に立つ技術だということは間違いありません。そうした意味で、GTDは、救急救命のABCDに例えることが出来ると思います。救急救命のABCDとは、緊急時に、気道確保(Airway)・人工呼吸(Breathing)・心マッサージ(Circulation)・除細動(Defibrillation)という判断の手順を踏まえて治療にあたることです。
GTDは大変有効な手段ですが、蘇生した人間にずっと救急医療を続けるわけではないように、たまにはGTDのワークフローから離れて、非GTD的思考を巡らせる必要があるのではないでしょうか。僕がGTDに挫折し、PoICを見つけた時、おそらくその非GTD的な考え方を直感的に感じていたのだと思います。
GTDとPoICの比較
では、GTDとPoICの違いはどういうところにあるのでしょうか。
GTDとPoICの相違は、例えばその時間感覚にも現れています。時間の枠の切り取り方がGTDでは短く、PoICでは長くなっています。GTDの基本時間単位は1日であり、最小時間単位は2分です。しかし、PoICは分単位の時系列でカードを管理しているにも関わらず、取り扱う時間のスパンが、年単位の長期間に渡ります。
東京工業大学の本川達雄氏は、時間の逆数(1/時間)と体重あたりのエネルギー消費量(比代謝率)が比例すると考えられる、と述べています。時間の逆数とは、「時間の進む速さ」のことなので、動物の体の中では、エネルギーを使えば使うほど時間は速く進んでいく、ということになるそうです。
GTDとPoICの、それぞれの情報処理システムを生体になぞらえて、単位時間あたりの情報処理のエネルギー消費量、つまり情報の比代謝率も、時間の逆数と比例するのだと考えてみます。すると、情報処理のエネルギー消費量とは、情報を処理するのにどれだけ仕事量がかかるか、といったことですから、比代謝率の高低とは手間の多寡ということになります。
つまり、GTDのシステム内の時間が早いということは、それだけ情報の比代謝率が高い、つまり単位時間あたりの仕事量が多いと言え、PoICでは情報の比代謝率が低い、つまり単位時間あたりの仕事量が少ないので、時間の進み方が遅いのだ、というような考え方ができるのではないかと思います。そして、比代謝率が低く、エネルギー消費量が少ないので、PoICは長く続けるのに適しているのだと僕は考えています。
また、GTDは誰がおこなっても同じ結果が得られるように出来ています。この場合、結果というのは、「最適な優先順位順に仕事内容が処理されていく」ということであり、その仕事が達成されたということです。ここでいう仕事とは、料理、部屋の模様替え、旅行の準備など、ビジネス以外のことも含まれています。
しかしPoICの場合、誰がおこなっても同じ結果が得られるものではありません。同じ人間が、同じカードを使って、同じ時間作業したとしても、同じ結果が得られるかどうかは判りません。そもそも、同一の結果というものが存在しません。何故なら、PoICが得ようとしている結果というのは、知的生産物、すなわち「アイデア」だからです。ここでいうアイデアには、人生を快適に生きるアイデアや、家を自分好みにするためのアイデア、小説を書くためのアイデア、BLOGのアイデアなど、ビジネス以外のアイデアも含んでいます。
つまり、GTDとPoICでは求める結果がそもそも異なっているのです。GTDの目標とは、あくまでも「何をするか」であり、PoICの目標は「どうするか」なのです。
GTDとPoICの連携
GTDは、ひとつの仕事を、手順に従って「分析的」に検討し、フローチャートに従って「選択的」に分類し、唯一の解答である「最も効率のいい仕事の順序」に至るという「直線的」な考え方をします。これは「還元主義的」であり、ジョイ・ギルフォード(Joy Paul Guilford、1897年 - 1983年)の言う「収束的思考」に相当します。収束的思考とは、既存の情報から唯一の、あるいは最善だと考えられる解へと到達しようとする、思考過程のことです。
またPoICは、タグで分類したカードを、「統合的」にドッグに貯め、時系列で「包括的」に管理し、カードを捲り、並べ、遡り、「既存の情報から新しい情報を(より多く)作り出す」というPoICのパイルドライブは「非直線的」におこなわれています。これは「総体主義的」であり、ギルフォードの「拡散的思考」に相当します。拡散的思考とは、既存の情報から数多くの、新しい多様な考えを生み出そうとする思考過程のことです。
創造性とは、拡散的思考と収束的思考が統合されたものであり、アイデアを現実のものにしていく一連の運動のことだと言えます。ブレイン・ストーミングやKJ法といった発想法も、思考を拡散させ、そこから唯一の解答へと思考を収束させていく方法について述べています。思考収束ツールであるGTDと、拡散思考ツールであるPoICも、統合的に使うことができると思います。
例えばPoICでは、その機能のひとつである、「データウェアハウス」的な側面からデータを分析して、ある意思を決定することができます。前回の例で言えば、「残りが5%を切ったマヨネーズ」というデータを「認識」し、何故それは起きたのかと「分析」し、ほかに何が起こりうるのかと「予測」することで、いまどうすれば良いのかという「結論」、すなわち「今日のうちに買い置きしておこう」という意思決定を導き出すことができます。
この「今日、マヨネーズを買う」という部分が、GTDで言うところのプロジェクトに相当することになります。そしてGTDを用いて、いつ買うか、どこで買うか、どうやって行くか、お金はどうするのか、他に買うものはないのかなどと、プロジェクトをタスクに細分化していき、最適な手順にまとめあげて実行します。また、「マヨネーズを買う」というプロジェクトの実行日が「今日」でない場合、細分化された手順は「GTDカード」に記入され、PoICのドックに納められることになります。
つまり、ふたつのシステムを補完的に使用することで、現状に対して「どうすればよいのか」が、PoICによって導き出され、それを実現するために「何をすべきか」を、GTDによって決定していくことが出来るようになります。GTDを挫折したことにより、僕は自分がGTDの上位に立つためには、きちんとした目的意識が必要なのだと感じました。その目的意識は、PoICを利用して自分の中から引き出すことができるのです。
重要なのは目的を達成することであり、ツールの優劣を決めることではありません。お互いに補完しあうことで、目的意識を持ちながら、やるべきことを完遂できるのではないでしょうか。
まとめ
僕はGTDに挫折しており、完璧にメソッドをマスターしているとは言えません。ですから、僕のGTDについての感想は、ひょっとして「木を見て森を見ず」的な、ずいぶんと偏ったものになっているかもしれません。その点に関しては、あらかじめご了承願います。
ただ、GTDがデビッド・アレン氏の著書のタイトルにもあるように、「Art(技術)」であるということは間違いないところでしょう。これは、自動車を運転する技術、などと同様の意味での技術のことです。ここには「何のために自動車を運転するのか」といった目的意識は含まれていません。「どこに行くのか」「行った先でなにをするのか」はドライバーひとりひとりが考えることであり、それらが運転技術には含まれていないように、GTDそのものにも目的意識は含まれていないのだと思います。
僕にとって目的意識を持つ、つまり、意思を決定するためのツールがPoICであったに過ぎず、PoICでなければGTDと連携できない、というものではありません。そして、GTDとPoICは対照的な考え方ではありますが、決して対立するものではなく、むしろ両方の良い点を自分なりに取り込み、相補完的に連携することによって、さらに創造的な仕事を成し遂げられるのだと考えています。
次回は「PoIC++~43TabsとPoIC拡張」と題して、PoICとGTDを併用する際に問題となる「GTDカード」の扱いに関して、その解消方法である「43Tabs」を説明し、PoICの拡張について書いていきたいと思います。