すべての企業はデジタルカンパニーにならなくてはならない ―2016年、米国のカンファレンスや企業を取材しているときに、筆者はよくこのフレーズを耳にしました。たしかにUberに代表されるデジタルディスラプション企業の台頭、加えて世界的大企業であるGEのデジタル化へのすさまじいほどの注力ぶりなど間近に見る環境にあれば、多少の失敗も折り込み済みで最新技術を採用し、新たなビジネスのニーズをみずから掘り起こす必要性を強く感じるのは無理もないかもしれません。
そしてこのデジタライゼーションの基盤にあるもっとも重要なテクノロジがクラウドコンピューティングです。いまやほとんどのイノベーションはクラウドから始まり、クラウドをベースにしてスケールしていきます。レガシーを多く抱える企業にとっては、クラウドへの基幹業務の移行がビジネス再編の大きなカギになるとも言われています。米国と比べてデジタライゼーションのトレンドに遅れがちな日本ですが、いまどき新規事業の基盤にクラウドを検討しない企業はほとんどないでしょう。
テクノロジだけでなく、ビジネスにとっても重要なプラットフォームとなったクラウドコンピューティングですが、2017年にはどのような方向に進んでいくのでしょうか。本稿では2016年の国内外での取材から見えてきた2017年のクラウドのトレンドを、非常にざっくりとした所感ではありますが、いくつかのテーマに分けてご紹介したいと思います。
AWSは依然として王者ながらもAIなどではGoogle、Microsoftが優位に
2016年はクラウドベンダ(IaaS)がAWS、Microsoft、Google(GCP)の3社にほぼ絞られたことを決定づけた年だったと言えます。少なくとも"メガクラウドベンダ"の呼び名にふさわしいのはこの3社以外になく、そしてこの3社が2017年のクラウド業界を牽引する存在であるのは間違いありません。
ちなみに、AWSにIaaSベンダとして対抗心を燃やし続けていたIBMは2016年、これまでIaaSブランドとして掲げてきたSoftLayerをPaaSブランドのBluemixに統合し、事実上、消滅させてしまいました。2013年にIBMに買収されるまではIaaSベンダとしてそれなりの実績も知名度もあったSoftLayerをたった3年でなきものにしてしまったIBMが、ふたたびIaaSベンダとしてメガクラウドの一角に入ることはまずないでしょう。
ではこの3社のシェア争いは2017年にはどうう変化するのでしょうか。結論からいえば、依然としてAWSが圧倒的な強さを維持し続けることはほぼ間違いありません。その根拠は2016年11月にラスベガスで開催されたAWSの年次カンファレンス「AWS re:Invent 2016」での怒涛のごとく発表されたアップデートの数々です。
過去最高の3万2000人の参加者をあつめ、24のサービスアップデートが発表されたre:Invent 2016。AWSの王者の貫禄を見せつけたイベントだった。
正直、筆者はこの1年におけるMicrosoftとGoogleのAI/マシンラーニングを中心とするマネージドサービスの著しい成長を目にし、ひょっとしたらAWSはこの2社に追いつかれはしないものの、2017年はかなり近い位置での戦いを強いられることになるのでは…とre:Invent直前までは思っていましたが、そんな杞憂はカンファレンス会場に足を踏み入れた瞬間に吹き飛ばされました。全部で24というアップデートの数もすごいのですが、アップデートの内容も、FPGAやGPUを使えるEC2インスタンスの拡張、S3の生データをSQLクエリでダイレクトに検索できる「Amazon Athena」 、データベースエンジンにPostgreSQLを採用した「PostgreSQL for Aurora」など、競合他社と張り合うサービスよりも顧客のフィードバックに応えながら、さらにその想像の上を行くレベルで提供していくという、ある意味、AWSらしさの極致ともいえる姿勢を見せつけられた感があります。顧客とともにクラウドを進化させていくというアプローチは、MicrosoftもGoogleももちろん取り続けているものですが、AWSと顧客の強い一体感には残念ながらまだほど遠いように感じます。
シンプルなVPSのLightsailからFPGAコードを実行するF1インスタンス、さらにはエラスティックGPUまで、より広いレイヤをカバーしたAmazon EC2ラインナップ
S3のデータに標準的なSQLで直接アクセスできるAmazon AthenaはフロントにPrestoを使って構成されている
PostgreSQLをエンジンにしたAuroraも登場
ただし、何度も触れているように、MicrosoftとGoogleのメガクラウドとしての存在感はこの1年で非常に大きく強くなりました。とくにGoogleの成長は著しく、先にも述べたように、IaaSで先行していたはずのIBMを完全に追い抜いてしまいました。そしてこの2社が明らかにAWSよりも先行しているのがAIやマシンラーニングといった分野のサービスです。代表的なサービスであるMicrosoftの「Azure Machine Learning」やGoogleの「Cloud Machine Learning」のほか、両社とも画像認識や音声認識、自然言語処理などの機能別API群、「 Microsoft Cortana」「 Google Now」といった一般ユーザでも使えるアシスタントサービスを提供しており、すでに多くのユーザが利用しています。
AWSもre:Invent 2016において3つの機能別AIサービスを含む「Amazon AI」をリリースしましたが、現状ではやはり後手に回っている印象が否めません。もっとも、AI関連はようやくTensorFlowなどのフレームワークが揃い、GPUやFPGAといったハードウェアリソースがクラウドにより使いやすくなった段階に入ったところです。テクノロジそのものに大きなブレイクスルーが到来していない状況なので、AWSがMicrosoftやGoogleとは異なった方向性でユニークなアップデートを発表する可能性は十分にあるでしょう。
ご存知の通り、Microsoftはここ数年に渡って進めてきたオープンソースへのフォーカスや、Red Hatなど過去に敵対関係にあった企業との戦略的提携を積極的に進めており、Azureには毎日のようにその成果が取り込まれています。Googleもまた、これまで苦手としてきたエンタープライズ分野への市場参入を明確に示しており 、Home Depotなどすでにいくつかの大きな事例が発表されています。さらに国内においても東京データセンターのオープンを発表するなど、本格的な営業展開に入る構えを見せています。
こうした動きを見る限り、両社ともより幅広い層の顧客に訴求し、サービスを提供し続けるパブリッククラウドベンダとして後戻りをしない道を選んだことがわかります。これまでMicrosoftもGoogleもAWSの後追いをするかたちのサービスアップデートが多かったのですが、2017年はそれぞれが独自の特徴をどれだけ顧客に訴求できるかが、クラウドベンダとして差別化の要因になるはずです。
クラウドに載せられないサービスはなくなったか?
2016年はエンタープライズのパブリッククラウドへの移行が一段と進んだ年でもありました。一方で、「 どうしてもパブリッククラウドには載せられないワークロードがある」という主張をする企業もあります。また、2015年あたりから顧客の傾向としてあらわれていた「クラウドベンダによるロックインを避けたい」という流れが強まっててきたことにより、プライベートクラウドとパブリッククラウドを併用する"ハイブリッドクラウド"や、複数のクラウドベンダを利用する"マルチクラウド"といった選択をする企業も増えてきました。
また、どうしてもコストやセキュリティの面からクラウドではサービスを展開しないという企業も少なからず存在します。つまり、数年前までのクラウドといえばAWS一択だった時代から、企業はさまざまな選択肢を取れるようになったのです。以下、いくつかの例を挙げておきます。
Walmart
ビジネス上の競合であるAWS(Amazon)は絶対に使わないが、Microsoft Azure、Rackspace、さらにはOpenStackを用いてマルチクラウド環境を構築、ブラックフライデーやクリスマスシーズンなどのキャパシティの急激な増加に多様なクラウド環境で対応する
Evernote
サービスローンチ以来、すべて自社データセンターでサービスを提供しており、パブリッククラウドはいっさい使わない。その理由は「Evernoteをパブリッククラウドで運用すると4倍以上のコストがかかるから」( EvernoteのVP)
しかし2016年9月にこれまでの方針を変更し、Google Cloud Platformへの移行を新たに発表している
Dropbox
もともとAWS上でファイル共有サービスを展開していたが、2016年にプライベートクラウドに移行したと発表、理由は「コスト削減」のため
Apple
プライベートクラウド上でコンピュートサービスやエナジーサービスを運用する一方で、AWS、Azure、GCPといったメガクラウドもオプションとして利用するマルチ&ハイブリッド環境を構築
Netflix
AWSをいちはやく導入し、ビジネスを大きく成長させたが、現在はAWSのほかにGoogle Cloud Platformも併用、顧客データやレコメンデーションエンジン、トランスコーディングといった用途にマルチクラウド環境を構築、一方でDVDビジネスやストリーミングCDNといったワークロードはプライベートクラウド環境を別に構築して稼働中
AWSの成長を初期から支えたNetflixだが、現在はAzureやGCPも加えたマルチクラウドおよびハイブリッドクラウドを構築している
(2016年11月にサンフランシスコで行われた「Structure 2016」に登壇したジョー・ワインマン氏のスライドより)
これらの事例で興味深いのは、「 コスト面でプライベートクラウドを選ぶ」という企業が増えてきていることです。クラウド導入のきっかけにコスト削減を挙げる企業は今も多いのですが、DropboxやEvernoteのユースケースは必ずしもそうではないことを示しています。スケールメリットやワークロード、そしてコストにあわせて適材適所にクラウドを選んでいくという"クラウドの多様化"は2017年はより進んでいくとみられます。
ここでハイブリッドクラウドに関する2016年の大きな話題をひとつあげておきます。2016年9月、AWSとVMwareは、AWSのハードウェアリソース(ベアメタル)を使ってVMwareが仮想レイヤから上のサービスを自社の顧客に提供するという戦略的提携を発表し、IT業界を大きく驚かせました。この提携により、AWSはどうしてもオンプレミスから移行できないというユーザ層に入り込むきっかけをつかみ、VMwareは自分自身では成し遂げられなかったパブリッククラウドのスケーラビリティを確保したことになります。
AWSとVMwareの提携はクラウド業界に大きなインパクトを与えた。re:InventにはVMwareのパット・ゲルシンガーCEOも登場し、両社の提携の意義を強調。右はAWSのアンディ・ジャシーCEO
すべてのワークロードをクラウドに載せられると公言していたAWSが、仮想環境として世界一のインストレーションベースをもつVMwareと手を組んだところに、AWS自身もまた時代の流れにあわせて大きく変わらざるをえないことを痛感させられた提携発表でした。2017年はこの提携によりハイブリッドクラウドの様相がどう変わるのかに注目したいところです。
2017年のクラウドをめぐるキーワード
その他、2017年のクラウドを語る上で欠かせないキーワードについて、簡単に触れておきます。
コンテナ
2016年はコンテナの活用が進み、米国ではテスト環境だけでなく本番環境でのアダプションも劇的に増えつつあります。これまでコンテナはAWSやAzureといったパブリッククラウド上で使われることがメインでしたが、2017年はハイブリッド環境でのユースケースが増えていくのは間違いないでしょう。ひとつのコンテナの平均寿命は5分以下と非常に短いため、"使いたいときだけに使う"というクラウドの基本的性質と親和性が高く、アプリケーション開発者にとっても運用担当者にとってもより身近な存在になることが予想されます。
サーバレス
AWS re:Invent 2016ではサーバレスアーキテクチャと呼ばれるLambda関連の発表が非常に目立ちましたが、Lambdaやマネージドサービスをコンポーネントのように組み合わせ、API指向でいくつものサービスや環境を連携していくサーバレスコンピューティングは、クラウドネイティブ化が進むにしたがい、IoTやマイクロサービスとともにより汎用的な技術として普及していく と思われます。
OpenStack
ハイブリッドクラウドやマルチクラウドの流れが鮮明になるにしたがい、OpenStackでプライベートクラウドを構築し、パブリッククラウドのオルタナティブとして利用するユースケースも2017年は引き続き増えてくるとみられます。OpenStackの専業ベンダであるMirantisのCMO、ボリス・レンスキー氏は「OpenStackはAWSの競合ではない。AWSとは補完的な関係にある」と筆者とのインタビューで語っていましたが、今後は大企業を中心にパブリッククラウドとOpenStackを連携させていくケースが増えることが予想されます。
OpenStackは半年に1回という速いペースでアップデートが進むため、どのタイミングでどのバージョンを採用するかという点が非常に悩ましいプラットフォームでもあります。また、2016年にはこれまでOpenStack事業を展開してきた大手ベンダがビジネスの方針を変更または縮小する動きが顕著で、優秀なOpenStack人材をいかに確保するかという点も大きな課題です。しかし、基幹業務やHadoopといったワークロードをパブリッククラウドに移行させたくないという企業のニーズは非常に大きく、Mirantisのような専業ベンダやNECなどのSIerがこれらのニーズにどう応えていくかに注目したいところです。
DevOps
AWS re:InventではAWSのアンディ・ジャシーCEOとヴァーナー・ボーガスCTOがそれぞれ基調講演を行いますが、ボーガスCTOのほうでは開発者に向けたサービスアップデートが中心となります。今回、ボーガスCTOによって発表された内容(AWS X-Ray、AWS OpsWorks for Chef Automate、AWS Step Functionsなど)を見る限り、米国の開発/運用現場では完全にDevOpsが主流となっていることをあらためて実感しました。クラウドネイティブでインフラを運用し、自動化を進め、アプリケーションを開発する、それはすなわちDevOpsとイコールであることを意味します。この動きは米国だけでなく、アジアや南米など新興市場でも拡がりつつあります。DevOpsの採用にいまだ消極的な日本の企業は2017年にどう変化するのか(しないのか) 、非常に興味深いところです。
AWS ヴァーナー・ボーガスCTO
2016年はクラウドの多様化がこれまでになく進んだ1年だったと思います。2017年はその傾向がさらに進むものの、クラウドファーストでまず開発に取りかかるというスタイルが後戻りすることはないでしょう。AI/マシンラーニングやFinTechなど、2016年に話題になったテクノロジはいずれもクラウドを前提にしています。冒頭でも触れましたが、いまやクラウドをベースにしないイノベーションはまずありえないでしょう。そうした意味で2017年はあらためて「イノベーションのゆりかご」としてのクラウドの意義が問われる1年になるように思えます。いかにユーザにバックエンドを意識させず、本来のイノベーションにフォーカスさせることができるのか ―存在を感じさせないクラウドがあたりまえになる、そんな変化が見られる1年になることを期待しています。